セラミックの激うま恐竜レシピ

 
 
 盛夏の鹿命館大学のキャンパスは、容赦のない太陽光を遮る物も少なく、蝉の鳴き声が悲鳴にも似て不快指数をアップさせてゆく。そんな外気状況下でも大学院の施設内に一歩でも入れば、空調の効いた快適な生活空間が広がっており、それは人類の生物としての活動適応気温の幅狭さを物語るのだ。
 草木生い茂る丘陵地帯にある大学院の一区画。白衣姿の松上晴人は、調査捕竜・βチームの面々を自然科学研究科の会議室に集合させている。
 珍しく薄い色のシャツワンピースを着たセラミックは、紙カップの氷がちになったアイスコーヒーに刺さったストローをがらがら回しながら言う。
 
「松上さん。今日、来られる予定の方は、まだなんですかね?」

 βチームの正規メンバーの1人、中山健一が中国遼寧省の海外出張から戻ってくる。彼は凄腕の恐竜ハンターで、プロとしては研究員である松上以上の腕前だそうだ。セラミックが加入する前のβチームにおいては、主力的な位置付けで活躍し、張り切りすぎた余りか負傷してしまい、今回療養も兼ねた長期出張となったようである。

「皆、待たせて済まない。丁度、今しがた、ここに着いたようだ」

 スマホ片手に松上が、申し訳なさそうな表情で吉田真美に視線を配る。彼女は夏らしい色合いのパンツルックで足を組み、リラックスしながら座っている。
 真美さんは『いつものことだ』と言わんばかりに余裕な態度で、文庫本の文字列を数行に渡って速読している最中だ。
 事前に伺った話や真美さんの態度から中山健一が、どのような人物なのかはイメージしにくい。何せ写真すら見せられた事もなかったので、セラミックは彼の事を筋肉質で山のような大男に想像した。プロの恐竜ハンターで一流の仕事人ともなれば、レスラーのような髭面の男であるはずだ、と勝手に決めつけるしかない。

「あら~、ずいぶんと待たせちゃって、ごめんなさいね~! これはお詫びの印。アイス買ってきたから、皆で食べてねぇ!」

 会議室のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、女口調の小柄な男性? 身長もさる事ながら、長髪で中性的な美しい顔立ちは、まるで少女漫画に出てくるキャラクターのよう。
 ぽかんと口を開けたままのセラミックに向かって、(Tシャツにジーンズ)はその小顔を近付けてきた。ヤバい、人懐っこい笑顔が可愛すぎる。初対面にも関わらず物怖じしない態度は、グローバルに活動している証なのか?!

「あなたがセラミックさんね! 松上から話は、かねがね聞いているわよ。噂通りの若くてカワイイ子ね~。松上がいかにも好きそうなタイプで、私も気に入っちゃったわぁ」

 可愛い人からカワイイと言われた。セラミックはまんざらでもなかったが、所々に引っ掛かる。
 松上は軽く咳払いして紹介前の人物に対し、落ち着いて黙るように言い渡した。……もう手遅れだ。第一印象は決定的となり、どう考えても面白い人に違いない。

「君は相変わらずだな。え~、昨日かな? 日本に無事、帰国した中山健一君だ。この中でセラミックは初顔合わせとなるはずだから、お互いに宜しく頼むよ。これからβチームの正式メンバーとして復帰する予定なので、以前にも増して頑張るように。簡単になりましたが、リーダーからは以上……です」

 セラミックと吉田真美から拍手が捧げられた。中山健一は嬉しそうに松上に握手を求めているが、何だか松上の方が照れている。さっきと同じようなノリで、ご無沙汰だった会話を始めたのだ。
 真美さんは真面目な顔のまま、小声でセラミックに伝えた。

「フッ、また恋のライバル出現か。あんたも大変だねェ、うかうかしてらんないよ~、セラミック」

「ええ?! 何を言ってるんですか真美さん」

「またまた~、端から見てるとバレバレだよ。……全く、あんな暗い男のどこがいいんだか知らないけど。彼、中山健一君は松上晴人君の事が大好きなんだよ、男同士なのにね」

「……えええ~!」

 セラミックは口に含んだ氷を一粒、床に転がした。

 場の空気が1℃ほどクールダウンした頃合いを見計らって、松上晴人は改めて3名の前でブリーフィングを開始した。

「皆、よく聞いてくれ。βチームの正規メンバーである中山君が戻ってきた事もあり、かねてから迷っていた依頼を受けようと思う」

 当の中山健一は、久々となる調査捕竜――恐竜ハントへと向かうダイブ予定に気分を否応なく高揚させていた。

「何々? どういった内容なの? 松上研究員」

「中山君、まずは落ち着いて説明を聞きなよ」 

 少しイラついた真美さんが、必要以上に食い付く中山をたしなめた。セラミックは彼の隣の席で、ついクスクスと口を押さえつつも笑ってしまった。

「え~、ジュラ紀における最強の肉食恐竜でもあり、狩猟難易度トップクラスのアロサウルスだ」

「アロサウルス!?」

 一同は声を揃えた。無理もない、有名な割に今まで数回のハンティング成功例しか存在しない正に最高レベル恐竜、アロサウルス狩りに今回挑戦するというのだ。

「もし成功すれば、我々のチームもようやく一流として国際的に認められるって感じかな」

 松上の不敵な笑いに、真美さんは少し異を唱えたくなったようだ。

「国際的になんて……前回の日米合同作戦で十分だったじゃない。あんまし背伸びしなくてもいいよう」

「う~ん確かに。弱小、いや中堅のβチームには少々荷が重すぎるかもしれない。αチームもこの度は別のミッションに参加しているので、支援を得る事が難しいしな。だが、これは私の願いでもあるのだ」

 ホワイトボード中央付近にマグネットで固定された紙面を、松上は所在なげにペン先でノックした。

「私にとって子供の頃から一番好きな恐竜は、アロサウルスなんだよ。デカいだけのティラノサウルスじゃなくてね。肉食恐竜として最も完成された美しい姿形をしていると思う」

「なんだそりゃ。自分の都合じゃないの」

 現実主義者の真美さんは、松上の幼稚な男のロマンに付き合ってられないような台詞をこぼした。だが、松上が持つ、そういった面に惹かれて今まで行動を共にしてきたのも、また事実なのである。それに対して中山健一は同じ男としての理解を示し、セラミックの目を丸くさせた。

「あら、いいじゃない。私は特に反対しないわよ。安全面に配慮さえできていれば、松上君の夢に付き合ったげる」
 
 いつもなら松上からの依頼にすぐ合意するセラミックだったが、今回は違った。何だろう、うまく言えないが野生の勘が働いたのだ。こういった勘は決して馬鹿にはできない。優れた恐竜ハンターになるための資質とさえ言えるのだ。

「アロサウルスは集団行動の習性もあると聞きます。少人数での大型肉食恐竜狩りには危険が伴います」

「確かにそうだな。今回だけは見習いのセラミックには抜けて貰おうかと考慮しているのだ」

「ええ?!」

 セラミックは多少なりともショックを受けた。レアなアロサウルスの目撃情報に舞い上がり気味の松上晴人から戦力外通告を受けた気分となった。もちろん、それは自分の安全を最優先してくれる松上の思いやりである事は、瞬時に容易く理解できていたのだが……。

「いいえ、行きます。行かせて下さい、松上さん」

 恐竜ハンター見習いは、自分の胸騒ぎを信じながらも、思わず答えを出した。
 松上の驚いたような、それでいて、ちょっぴり嬉しそうでもある微妙な表情を汲み取ったのか、中山健一は言ったのだ。

「うふふ、セラミックちゃん、勇ましいわね。松上研究員を守ってあげるのよ」

 男性とは思えない何かを発散する彼に対し、セラミックは苦笑いするしかなかった。

 ジュラ紀の世界は雨期を迎えていた。中生代エレベーター基地の周辺は年中温暖で、四季を思わせる気温の変化は曖昧となっている。

 久方ぶりのジュラアナ長野へのダイブに中山健一は、いつになく興奮気味だ。とは言っても松上晴人ほど人格が豹変する訳でもなく、現代と同じで平常運転だ。サファリ・ルックで先頭を歩く彼は.50ベオウルフと呼ばれるスペシャルな大口径銃を大事そうに抱えながら、最後尾の男に呼びかける。

「未だに歩きなの? トラックやオフロード車を導入する計画はどうなったのよ~」

「ジュラ紀に持ち込む物資は、現時点でも必要最小限と決められている。車は分解すりゃ、いくらでもこっちに持ってこれるんだが……制限を設けなきゃ、古代環境を汚染しまくって、未来にどんな悪影響を及ぼすか分かったもんじゃないからね」

 そう答えつつ、ショットガン片手に地図を眺めるのは松上晴人。いつもの殿ポジションで、アロサウルスの目撃情報があった北西の大河地区にチームを向かわせる。背中には今回、新兵器である偵察用ドローンを背負って意気揚々だ。ドローンはX字型のアームの先端にそれぞれ4枚プロペラを付けたヘリコプタータイプである。

「皆、何を恐れてるのかしら? 車1台で、恐竜が絶滅するとでも?」

 そんな中山健一の無責任とも取れる呟きに、すぐ後ろの吉田真美はカチンときた。

「現在に至ってもね、恐竜絶滅に関する決定的な原因は究明中なのよ。あんた『風が吹けば桶屋が儲かる』っていう日本の示唆に富んだ、ありがたい諺を知らないの?」

 3番目を歩くセラミックは、吉田と同じ89式小銃を担ぎ直して言う。

「え~、絶滅の理由? 巨大隕石衝突説が超有名で、メキシコかどっかに証拠のクレーターがあるって、私でも知ってますよ!?」

 松上リーダーは、前を行くセラミックの背中に刺繍されたディフォルメ・アロサウルスのエンブレムを眺めながら口を挟んだ。ちなみにβチームの制服デザインも、松上が一手に引き受けている。

「ジュラアナ長野は恐竜絶滅の原因を探る上でも、かなり重要って事だねぇ! ……祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現わす……だったっけ? 国語は苦手だな! 我々人類も非常に危ういバランスの上に成り立っているから、いつ恐竜と同じ運命をたどっても、おかしくはないよ~」 

「あら、随分と説教臭いわね」

 振り返った中山健一は、セラミックと親しげに話す松上晴人をチラ見した後で、急に立ち止まった。

「ぐわぁ!」

「きゃあ!」

 松上はセラミックのジャングルブーツを踏んでバランスを崩し、絡みついてしまった。

「おい、セラミック! 俺が背負っているドローンは大丈夫かどうか見てくれ」

「私よりドローンの心配ですか……」

 セラミックはプニプニしているほっぺを更にプクッと膨らませた。そして先頭から聞こえてきたのは情けない声。

「いや~ん! ウ○コ踏んじゃった!」

 彼は丘の向こうでソテツの葉を食んでいるカンプトサウルスが落としたと思われる糞を、モロに踏んづけてしまったのである。

 綺麗好きな中山健一は、汚物が付着したブーツを狂ったように地面に擦り付けたりしているが、滑り止めの凹凸が多い靴底は簡単には拭えない。もはやチームの歩調は乱れに乱れ、前進する意思は失われてしまったかのようである。

「おい! 健一君、先頭はもっとクールになれよ。そんなに動揺しなくてもいいだろう」

 松上リーダーが諭すと、彼は半泣き状態の顔を上げ、感情を露わにした。

「あなたには分からないの? 踏んでしまった人の精神的なショックが。昔の、小学生時代のトラウマが蘇る~!」

 彼の心の痛みは、大体察しが付いたが、チームの先導役の人間としては少々沈着冷静さが足りない。

「しょうがねえな~。……落ち着くまで一旦ここで休憩でもするか」

 丁度、丘陵地帯の崖上辺りだったので、周囲の見晴らしは最高だった。
 休憩中に、松上晴人は嬉しそうに荷物を降ろすと、リュック上に背負ったドローンを起動させた。
 吉田真美は、セラミックと顔を見合わせると、呆れたように言う。

「ちょっと、こんなとこで何するつもりなの?」

「松上さん、近くに恐竜がいるんですよ」

 松上晴人は注意深く周囲の安全確認を行うと、VRゴーグルをはめてドローンの小型カメラから送信されてくる映像の同期具合を確かめた。

「セラミック、近くに恐竜がいるからこそ、このドローンで観察しに行くのだよ!」

「ダメだこりゃ! まるで新しいオモチャを買い与えられた子供だわ」

 真美さんが目をつぶって、頭を抱えるのも無理はない。業者からのレンタル品である新兵器の性能を試す絶好の機会に、松上リーダーは興奮を隠しきれない様子だったのだ。

「それではジュラ紀の空中散歩、いや恐竜の偵察飛行に行って参りますゆえ、宜しくお願いします」

 平らな地面に置いた4ローターのドローンは、LEDの光を放ちながら軽快なモーターの駆動音と、プロペラが巻き起こす強い風を残して、10メートル以上を一気に垂直上昇した。

「わお~! 素晴らしい! まるで自分が空を飛んでいるみたいだ」

 松上は頭部に固定したVRゴーグルを通して、限りなく現実に近い飛行を絶賛体験中である。
 映像はパソコンのモニターを通じて、真美さんとセラミックも見る事ができた。

「凄いね~、確かに。ドローンのカメラが見た映像を、我々もリアルタイムで見ることができるって訳か」

「きゃ! 空中から見る古代の風景なんて、ホント初めてで、何だか新鮮!」

 セラミックは後で松上からVRゴーグルを貸して貰おうと、真美さんの肩を揺さぶった。

「ははは、俺は翼竜の翼と眼を得たかのようだ!」

 送信機のコントロールスティックを器用に動かしながら松上は、丘の上にいたカンプトサウルスの数頭に向かってドローンを飛翔させた。

 身長5メートルはあるカンプトサウルスは、頭上から迫ってくる見慣れない飛行物体に若干警戒心を強め、手で引き寄せた葉っぱを口で千切る動作を中断したのだ。

「これは本当に使える! 恐竜ハンターの眼となり耳となり、将来において必需品となるかもな」

 次の瞬間、松上はドローンのVR映像を通して異常を察知した。奴らが、草食恐竜達が、警戒音を発したのだが、どうも視線が明後日の方向を凝視しているように思えたのだ。空中のドローンを全く見ておらず、別のより大きな脅威に対して怯え、緊張が走っているように見える。

「オイオイオイ、まさか……」

 その時VRゴーグルをした松上晴人の聴覚に、中山健一からのイヤな情報が飛び込んできた。

「ちょっと! 私が踏んじゃったのは、草食恐竜の糞だけじゃないわよ! 未消化の骨が混じっている臭い物も混じっている!」


 カンプトサウルスの群れが、兎のように背伸びしながら警戒している。その方向へ、松上はドローンを方向転換した。高度を若干上げて、何が接近中なのかを空から探るのだ。
 草食恐竜の視線の延長線上には、原始的な被子植物の森が鬱蒼と茂っているだけで、上空からは特に異常が見られない。気になるのはβチームが休憩している開けた場所から、それほど距離的に離れていないという事だ。

「肉食恐竜でも潜んでいるのか? まさかアロサウルス?」

 枝葉が邪魔して地表を移動する生物は分かりづらい。体色を変化させてカメレオンのように周囲の風景に溶け込む技を持つ恐竜もいるらしい。

「おい、中山君! ベオウルフの出番だ。周囲の警戒レベルを上げたほうがいい」

 今回のターゲット恐竜、アロサウルス用に特別手配されたベオウルフは、M-16系では最大となる50口径を誇る化物じみた銃である。セミオート・オンリーのライフルだが反動が凄まじく、扱う人間を選ぶ。なよなよとした中山健一は、こう見えても腕利きのガンマニアで、こういった銃を平気で使用する。

「さあ、あなた達も、いつでも撃てるようにして……」

 彼は銃口付近のハンドガードを横から伸ばした左腕で保持する“ソードグリップ”の構えを決めた。
 上着の前をはだけ、銃の初弾を装填した吉田真美が、緊張した様子で叫ぶ。

「ちょっと、リーダー! いつまでドローンを飛ばしてるのよ。ゴーグルを外さないとヤバいよ!」

「分かってるよ。何とか、ここまで戻そうとしているところ……」

「きゃあ! 前、前!」

 セラミックは思わず悲鳴を上げてしまった。前方の獣道ならぬ竜道となっている開けた地形から、黒っぽい地味な体色の全長8メートルクラスの大型恐竜が現れたのだ。
 頭に乗った枝葉を首振りで払い落とした後、2足歩行の恐竜は顎を半開きにして周囲の臭いを嗅ぎながら駝鳥のような足取りで迫ってくる。肉食らしいナイフのような牙と鋭い爪が特徴的だ。

「アロサウルス! アロサウルスよ! 間違いないわ!」

 銃を構えた中山健一は、空に向けて一発の威嚇射撃を行った。ベオウルフが凄まじい反動と炸裂音を発すると、さしもの巨大肉食恐竜も停止せざるを得ず、その場で驚いたように伸び上がる。

「きゃあ! 後ろ、後ろ!」

 セラミックの叫びに松上晴人は、ついにVRゴーグルを額に上げて操縦を止めた。囲まれてしまった状況を察知して、ドローンを放棄する事を決めたのだ。

「チッ! 頭のいい連中だ」

 舌打ちした松上がコントローラーからレミントンM870ショットガンに持ち替えた時、後方から近寄ってきたアロサウルスは、すでに走り出していた。巨体にも似合わず結構なスピードが出せるようだ。

「どいて! 二人共、早く伏せて!」

 焦って射撃を開始した吉田真美とセラミックが屈んだ瞬間、黒鉄色のベオウルフが吠えた。

 リップクリームのような巨大な薬莢が2つ宙を舞う時、アロサウルスの頭部は爆散し、腹部も風船のように割れて血煙が立ち上る。

 勢い余ったアロサウルスは松上に向かって突進し続け、彼の前で派手に崩れ落ちる。

「わわ、わ~!」

 2トンクラスの恐竜が倒れる時、運悪く松上周囲の地面が崖崩れを起こしたのだ。

「松上さん!」

 セラミックは反射的に飛びつくと、彼に腕を伸ばし続けた。アロサウルスと一緒に崖下に滑落しようとする松上晴人の手を掴んだ刹那、バランスを崩した彼女は巻き添えを食う形で運命を共にしたのだ。

 崖上では真美さんの悲痛な声と、中山が放つ銃声のけたたましい響きが交錯していたが、セラミックと松上には届きそうになかった。


「う~ん……」

 セラミックは、顔に降りかかる2、3滴の雨粒で目が覚めた。数十メートルの滑落で、頭を少し打ったようだが、途中の草木がクッションとなり、擦り傷程度で済んだようだ。背中の89式小銃も脊椎を守ってくれたのかもしれない。

「……そうだ、松上さん! 松上さん、どこですか?! 返事して下さい!」

 崖下の付近一帯は、土砂崩れの湿った土の臭いが充満し、大小の岩や倒木も散らばっていた。

「……!」

 半分土砂に埋まっている図体の大きなアロサウルスは、すぐに発見できたのだが、肝心の松上がいない。
 時間が経つにつれて、焦りからくる動悸が激しくなってきた。

「松上さん!」

 崖に群生していたシダ植物に覆い被さるような形で、松上が崖の途中に引っ掛かっていた。落下時に岩か木に接触したようで、頭部から出血し、左肩口のシャツは赤い鮮血で染まっている。
『本当に意識を失っているだけ?』……セラミックは生死不明である松上の無残な姿に胸が張り裂けそうになった。

「今、助けに行きますよ!」

 返事がない事が気掛かりだ。果敢にもセラミックは、危険な救助に向かった。小雨がパラつき始めているので、放っておけば不安定な崩落現場は更に酷い状況になりそうだったのだ。
 彼女とて、さすがに全くの無傷という訳でもなく、全身に擦過傷や打撲のダメージが所々に連なっていた。そのため一挙手一投足のたびに体のあちこちから、顔をしかめるような激痛が伴う。
 
 ようやく松上の元に辿り着いた時、恐る恐る彼の顔に耳を近付けてみた。そして脈と呼吸がある事に胸を撫で下ろしたのだ。

「セラミック……無事なのか?」

「ひゃっ!」

 口元に最接近した時に、予想外の言葉が発せられ、セラミックは仰け反った。はずみで2人は地面まで転げ落ちてしまった。

「痛いですよ……松上さん」

「それは、こっちの台詞だ。頭を打ったかもしれないのに不用意に動かすんじゃない」

「額から血が流れていますよ、本当に大丈夫なんですか?」

「おいおい、君もだよ、セラミック」

「え……? きゃああ!」

 松上とセラミックは、取りあえず負傷の程度をお互いに確認し合った。特に松上は、落下のショックで左肩に何かが刺さった跡のような傷口が開き、ボタボタと出血している。幸いにも骨折まではしていないようだ。
 額の血を拭いて貰ったセラミックは、唯一残っていた松上のリュックをあさる。

「布で暫く縛って、止血してみます」
 
「すまないな」

「いえいえ、後で私の怪我も診て下さいね」

「それにしても崖の上からは声がしてこないな。2次遭難を防ぐために、捜索は断念したか」

 松上晴人は吉田真美と中山健一が、生きている事を前提に話をしている。しかし、あのアロサウルスが現れたのだ。……最悪の場合は……いや、そんな事は考えないでおこう。上でも2人だけで臨機応変に対応し、今は救援隊に出動要請を済ませた頃合いだろう。

 俄に周囲が暗くなり、土砂降りの気配がした。運悪く天候が悪化し、雨も本降りになってきたのだ。

「くそ~、泣きっ面に蜂だな、こりゃあ」

「あっ! よく見ると、崖下に洞窟のような穴が開いてますよ!」

「何が潜んでいるか分からんが、とにかく行ってみるぞ、セラミック」

「はい!」

 セラミックは、松上が無理に会話を続けている事を悟ってしまった。おそらく彼女の不安を払拭させるためか、余計な心配をかけさせまいとしているのだろう。彼の足取りはおぼつかず、ふらついて真っ直ぐに歩けないほどだ。

「しっかりして下さい、松上さん」

「頭を打ったからかな、君が天使に見えるよ」

「何言ってるんですか、私は最初からエンジェルですよ」

「ははは……」

 なぜか少し涙が出た。セラミックは松上に肩を貸して洞窟に向かう時、その事を雨で濡れたせいにしたかった。


 崖下にぽっかり口を開けていた洞窟は、大人2人を迎え入れるだけの余裕があり、幸いな事に奥行きも十分であった。真っ暗な世界は不気味で、足を踏み入れるのに若干躊躇したが、セラミックは銃を構えながら先行する。試しに一発撃ち込んで、何かが飛び出してくるのを待ってみようかと思ったが、弾の無駄使いは止めておこう。
 岩がゴロゴロしている内部を見回す。暗闇に目が慣れてくると同時に、先客はいない事が確認できた。

「きゃあああ!」

「何だ、何だ?! 恐竜か?」

 セラミックのすぐ足元で、サソリとクモの合いの子のような生物が、岩の隙間へと逃げ出したのだ。

「驚かせるなよ、セラミック……」

 満身創痍の松上が、そう呟いた頃、外部では湿った空気に伴う雨の激しさが増してきた。

「取りあえず、キャンプファイヤーでもして明るくしましょうよ」

「キャンプファイヤーってお前……」

 松上がセラミックの言葉に苦笑いした時、洞窟の片隅に木の枝でキッチリ組まれた恐竜の巣と思しき物を発見した。

「丁度いい、もう使われていないようだし燃料にしちまおう。残念ながら卵は残ってないみたいだな」

 セラミックは、松上からマグネシウムライターを借りると、ナイフで鉛筆を削るように柔らかな金属表面をゴリゴリと粉状にし始めた。

「よし、もういいだろう、着火!」

 松上は、石皿上の削り粉めがけてフリントを擦り、火花を散らせる。火口は火種にしたガーゼに、あっと言う間に燃え移った。乾いた恐竜の巣は、2人が暖を取るための最適な薪となったのだ。

「さあ、上着を脱いで下さい。松上さん」

「いやん。何するの」

「もう! こんな時にふざけるのは、よして下さいよ。こっちまで恥ずかしくなっちゃう……じゃないですか!」

 無理矢理、彼の上着を脱がすと、左腕の傷は思ったより深くて出血も酷かった。
 ハンターは恐竜に咬まれてから、やっと一人前になれると言うが、咬まれた傷でなくてよかった。数ある恐竜の中でも、肉食恐竜の一部に毒をもつ種類がいると報告されているからだ。アロサウルスは、おそらく違うと思うが。

「傷の処置や包帯を巻くのがうまいじゃないか。恐竜狩猟調理師よりも看護師を目指した方がいいんじゃないのか?」

「さっきから人を怒らせるような事ばかり言って! ここに置いてけぼりにしますよ」

「フフフ、君がこの世界で、たった1人になって生きてゆけるとでも……?」
 
 憎まれ口をたたいた松上は、横になると目を閉じた。暫く眠らせた方がいいのかもしれない。そう思ったセラミックは、焚き火の番をしながら吉田真美と中山健一の身の上も案じるのだった。
 外部から救助の声がしないか、耳を澄ませながら淡い期待も寄せたが、激しさを増す雨音しかしない。さすがに、あの両名でも危険を冒してまで崖下に降りて来ないだろう。

 松上が次に居眠りから目覚めた時、いつの間にかセラミックと一緒に同じ毛布を被っていた。色々と話をしたような記憶があるが、2人で身を寄せ合っていると不思議な安心感に満たされる。

「そう言えば、腹減ったな……」

「確かに、そうですね……ちょっと待って下さい」

 安心すると空腹を実感するもので、セラミックは金属製のシエラカップに豊富な雨水を溜めると、火にかけてレトルトカレーを暖める事にした。ついでに、そのお湯でカップラーメンも作る予定。

「私はカレー屋の娘なんで、カレーにつきましては、ちょっとうるさいんですよ」

「ホントかよ~、レトルトカレーは食えないって言うのか」

「とんでもない、色々と勉強させて貰ってます」

 カップ麺を2人で分けて啜り、ビスケットをカレーに浸して囓る頃、もうすっかり日は暮れていた。
 激しかった雨はいつしか上がり、夜空には満天の星が垣間見えていたのだ。
 

 ひんやりと薄ら寒い夜の帳が降りる頃、洞窟の外が俄に騒がしくなってきた。
 セラミックは、外で倒れているアロサウルスが復活したのかと震え上がり、同じ毛布に包まる松上にぎゅっと抱きついた。

「おいおい、デカい胸をグイグイ肩に押し付けてくるなよ」

「そんな事を言ってる場合ですか! 外で一体何が?」

「屍肉をあさるハイエナのような恐竜どもが、ご馳走を見付けて宴会でも始めたんだろう」

「……ということは、外は肉食恐竜だらけ?」

「そうだろうな。くそっ! 俺のアロサウルスが持ってかれる」

 松上が外の様子を伺おうと銃を片手に立ち上がった時、洞窟の外に佇む何かを発見した。焚き火の炎を挟んで、4つ足の鎧竜の群れと目が合ったのだ。

「ぐわっ!」

「いや――! 何、何ィ?!」
 
 洞窟をねぐらにしているガルゴイレオサウルスだろうか。鳥目なので夜間は目も見えず、巣に戻ってくる習性があると考えられた。

「俺達が洞窟を占拠してるから、いい迷惑なんだろうな」

「ごめんね。集まってきた夜行性の恐竜に襲われなきゃいいけど……」

「鎧竜の防御力はハンパないぜ。それより……このままじゃ、おちおち眠る事もできそうにないな」

「交代で焚き火の番でもしましょう」

「じゃあ先に寝てろよ、セラミック」

 そう言いつつも銃を抱えた松上は、焚き火を前にして船を漕ぎ、あっと言う間に居眠りを始めた。やはり心身の疲労と共に、怪我のダメージが大きいのだろう。

「松上さん……私が寝ずに番をしますから……」

 セラミックは、ぼんやりとしている松上を横にして自分も同じ姿勢になると、子供を寝かしつけるように後ろから抱きかかえた。


 真夜中になっても外部では、相変らず恐竜達の気配がする。銃を傍に置き、腕枕して寝そべっていると、松上がうなされるように寝返りをうち、セラミックを抱き締めてきた。

「ちょっ! 松上さん?! 眠れないのですか?」

「…………」

 返事はないが、柔らかな胸の谷間に顔を埋めてくる松上は、悪夢でも見ているのだろうか、額に脂汗を滲ませている。左肩の傷が、しくしく痛むのかもしれない。

「大丈夫ですよ、松上さん。安心して眠ってください……」

 セラミックは自分より、かなり年上である男の髪を優しく撫でながら、焚き火の炎の中に薪をくべ続けるのだった。
 松上の静かな寝息を耳にしていると、橙色に揺らめく炎の照り返しの中、徐々に自分の意識も遠退いてきた。

『ヤバい……このままじゃ、眠っちゃう。私も今日一日で、色々あって疲れちゃったのかな……』




 誰かが悪戯っぽく頬を撫でてくる。まだ夢の中なのかな? もう学校に行く時間? いやいや、ひょっとして彼? 松上さん? 
 セラミックはニヤけながらゆっくり目を開けると、そこはやっぱり見慣れた部屋の天井ではなく、真っ暗でじめじめとした岩壁だった。夜明けを迎えたようだが、松上はセラミックの腕の中でまだ眠っている。

「……という事は……?」

 顔を上げたセラミックは、アップになった恐竜の鼻息を顔面に浴びた。剣竜類であるステゴサウルスか何かの幼体に顔を舐められたのだ。

「きゃ――あっ!」

「何?! アロサウルス?」

 松上が飛び起きると、のんびり顔で小さな頭の草食恐竜が、特に驚く事もなくキョトンとしている。

「うわ! 何だコイツは!?」

 銃を向けるまでもなかった。2人への興味をなくした恐竜は、相変わらずゆっくりとした動作で、洞窟の出口へと、歩を進めていったのだ。背中に並ぶ骨板と尻尾の先端にある4本のスパイクは、まだ短かくてカワイイ。
 焚き火は、いつの間にか消えて冷たくなり、すっかり灰だけの状態となっていた。

「……どうにか朝まで無事に生き残れたようだな」

 抱き合っていた松上とセラミックは、お互い気まずそうにそっぽを向くと、咳払いをしたり顔を赤くして俯いた。

 ちびステゴサウルスがうろついていた事から、肉食恐竜の饗宴は大方収まったのかもしれない。

「ちょっと外の様子を見てきます」

 セラミックは、気まずい雰囲気から逃れるように松上を残して洞窟外の偵察に向かった。
 曇っていた空は嘘のように晴れ渡り、恵みの雨は古代のシダ植物群を生き生きと蘇らせたのだ。所々に水溜まりが残る崖下に、土砂に半分埋まったアロサウルスの姿が確認できた。
 恐る恐る銃を構えながら近付くと、2~3匹の1メートルにも満たない小型肉食恐竜が、ここぞとばかりに巨大な死骸の上に乗って肉を啄んでいるのが見えた。
 背後にただならぬ気配を感じる。セラミックは緊張して、振り向きざまに銃口を定めた。

「夜行性のジュラヴェナトルがまだ活動してやがる」

「ひゃあ!」

 服を着た松上が、いつの間にか背後に陣取り、食い荒らされたアロサウルスの上半身を口惜しそうに眺めていた。

「もう、驚かせないでくださいよ! 一言声を掛けたらどうなんです~」

「珍しい獣脚類だからな。我々に気付いて逃げ出す前に観察しておきたいのだ。カラスみたいな羽毛恐竜だなぁ」

「いいんですか? 大事なアロサウルスが、骨だけになっちゃいますよ」

「埋まっている下半身は無傷だよ。でも今日は雨も止んだし、臭いに釣られた大型の肉食恐竜が森を抜けてやってくるかもな」

 残された銃弾は僅かだ。昨日のアロサウルス群に向けた3点バーストによる無駄な発砲を、今更ながらに後悔した。その時、顔を上げたセラミックは、朝日に反射する不自然な金属光沢を目にして、松上の服を引っ張る。

「ほら! 枝に引っ掛かっている、あれを見てくださいよ、松上さん!」

「ひょっとしてあれは……でかしたぞ! セラミック」

 2人はジュラ紀に存在する事は、あり得ない機械製品……ドローンの無線操縦装置に付いているベルトをたぐり寄せ、急いでコントローラーを回収した。

「やったぞ、奇跡的に土砂に埋まらず、下まで落ちてきたんだ」

 祈るような気持ちで電源を入れる……落下の衝撃と、雨に濡れたにも関わらず、機能は正常だった。

「壊れていないようだぞ。さすが日本製! そうだ、俺のVRゴーグルはどこだ?」

 セラミックは、松上の首に掛かったままだったVRゴーグルを洞窟まで取りに戻った。

「おおっ! こっちも大丈夫だ。ドローンのバッテリーもまだ生きているかも」

 松上はコントロールを失い、森のどこかに墜落したままであろうドローンの状態を確認する。するとドローンのカメラからの映像が、VRゴーグルまで送信されてきた。試しにプロペラを回すと、何かに絡まっているようだが、機体が僅かに動いた。無線操縦可能なギリギリの距離のようである。

「セラミック! 我々はまだ、運に見放されていないようだ!」

 そう叫んだ瞬間、鬱蒼とした森の中から中型の肉食恐竜が奇声を上げて姿を現した。それを見た黒いジュラヴェナトルは一斉に食事を止めて飛び上がる。信じられないほどのスピード。鳥のような、すばしっこさだ。

「きゃ――っ! またアロサウルス!?」

「いや、たぶんトルヴォサウルスの子供だな。よく似ているが、羽毛の色がまるで違うじゃないか」

「よく落ち着いていられますね」

 セラミックは、トルヴォサウルスが豆恐竜を威嚇している内に、松上と洞窟まで走って隠れた。

「はあ、はあ……生きた心地がしません」

「なあに、まだ2日目じゃないか。今日ぐらいに救援隊が駆け付けてくれるはずだ」

「松上さんは、随分と楽観主義者なんですね。でも、そういうのは嫌いじゃないです」

「そうさ、生き残るための秘訣かな。いや、熱があるから頭がボーッとしているだけなのかもしれない」

 そう言いながら松上は、どこから拾ってきたのか、大きな恐竜の卵を2個ポケットから取り出すと、セラミックに見せた。

「また火を起こして朝食にしよう。ランチョンミート缶が残っているだろう? 調味料がないから缶詰の塩分を利用するのだ」

 セラミックは無言で頷くと、くしゃっと精一杯の笑顔を彼に捧げたのだ。