「……何ですと! 中生代の海でハンティングを?」
松上晴人は心なしか緊張した面持ちで、エージェントのスミスに問いただした。今回は恐竜ハンター業界、初の試みとしてジュラ紀の海に棲む爬虫類である首長竜や魚竜をターゲットにすると。
現代において海棲爬虫類は、ウミガメ類とウミヘビ類ぐらいしか生き残っていない。ウミイグアナは進化の途中だし、すっかり失われてしまったグループと言えるだろう。
中生代の海洋は調査の手がほとんど入っていないので、データに乏しく正に暗黒地帯。古代の海は巨大捕食生物が群雄割拠している過酷な世界で、人間など一歩でも足を踏み入れた瞬間、あっと言う間に命を奪われかねない地獄のような超危険領域なのである。
「無理だ。装備からして海と陸では全く異なる。国際的な協力の下で万全のリサーチが必要だ。それに潤沢な資金と、豊富な機材及び、大規模なプロによるバックアップ体制も不可欠だろうよ」
松上は事前に恐竜の本場アメリカからの援助がある事は知っていた。それでも安全第一主義で、危ない橋を渡る事は、できるだけ避けたいのが本音だ。研究目的の調査捕竜が主のβチームには荷が重すぎる。
黒いスーツに身を包んだスミスは松上のリアクションが、さも予想通りであるかのごとく肌を黒光りさせながら腕を組み直し、頷くような仕草を見せた。
「安心して下さい。今回はその国際協力が得られるのです。しかもアメリカ海軍から! その中でも選りすぐりの特殊部隊であるネイビー・シールズをご存じですか? 何と海軍特殊戦グループの内、極東アジア担当のチーム5から複数の隊員が同行してくれるそうですよ」
「何だって!?」
松上晴人は自分の耳を疑った。恐竜ハンターではなく軍隊が出てくるとは思いもよらなかった。同時にある種の胡散臭さも感じ取ったのである。
「SEALsだと? 平和な日本国内のジュラアナ長野に調査・観測隊でもないアメリカ海軍が出張ってくるなんて、尋常じゃない話だ」
「驚きましたかね? 泣く子も黙る世界最強の男達が付くのです。これで安心できましたか?」
「いや、余計行きたくなくなったね。この話は無かった事にして貰いたいくらいだ。裏でどんな取引があったのか教えてくれ」
「う~ん、困りましたね。とてもこのカフェでは、お話しできるような内容ではございません。とにかく今期、アメリカの調査隊がダイブするのですが、その護衛役として選ばれたのが彼らなのです」
「では俺達にどうしろと? 決定事項なら、アメリカ隊で固めてジュラ紀で好きにハンティングしてくればいいじゃないか」
スミスはテーブルの反対側から、ずいっと身を乗り出してきた。
「そこですよ! そこで貴方の力が必要となってくる訳です。ベテランの恐竜ハンターにして、恐竜研究の分野においても第一人者として名を馳せる松上さんに是非ガイドになって貰いたいと」
松上は軽く嘆息した後、顔を伏せ気味にして答えた。
「本当にアメリカチームの道案内だけでいいんだな。どうせ海上のハンティングまでは手出ししないで欲しいって言われてんだろ?」
「さすがは松上さん、話が早いですね。極端な話、海まで案内してくれたら、後は浜で荷物の番をしているだけでも結構と伝えられているのです」
「…………」
エージェントのスミスは、大きな両眼の少し黄色がかった白目を細くすると、会計の用紙をさり気なく掴んで席を立った。
「では、よい返事をお待ちしていますよ。松上研究員……」
松上晴人が無言で彼を見送った時、グラスの中のアイスキューブがカランと、やるせない音を立てた。
ここは松上晴人の本拠地でもある鹿命館大学の大学院。世間の喧噪から解き放たれたかのような閑静な丘陵地帯にある。いつも通り白衣姿の彼は、自然科学研究科の研究室があるブロックにいた。
この度は依頼された仕事の特異性から、松上がタッグを組む恐竜ハンターのうち主要メンバーが招集されたのだ。2Fにある会議室で、ミッション参加の是非について5名で話し合いが行われている。
αチームからはワイルドな服装の松野下佳宏と清楚な森岡世志乃のペア。
「天然のワームホールであるジュラアナ長野は、寸分違わず長野県……日本国領内に存在している。それにも関わらず諸外国が、その莫大な権益を狙って暗躍していると聞く。このままでは領土や主権まで脅かされかねない」
「う~ん、それは、すごく当然の事でしょうに。中生代のジュラ紀に繋がる世界唯一の貴重なルートですよ! 少し考えただけでも天井知らずの価値があるのは、小学生にだって分かりますよ」
βチームは白衣姿の松上晴人とスーツの吉田真美、それになぜか学生服のセラミックだ。
「アメリカは同盟国である事を最大限に利用して、あの手この手で日本政府に食い込み、無理な要求を突きつけてきている。すでに共同調査権なるものも認めさせられた。アメリカに弱みを握られ、言いなり状態の日本は外交努力を放棄し、国益の事を考えるのを止めてしまったみたいだな。自国に不利な条件を鵜呑みにしている」
「ここで何とか踏ん張って、長野の至宝に対する独占的利権を守りつつ、うまく立ち回ったりして不当な外圧と戦って見せれば、日本の政治家の力量を随分見直したのに――ダメだね~。やっかいなのは利権を狙うのはアメリカだけじゃないって事! 貪欲で礼儀知らずの周辺国家が、すぐ近くにぶら下がってるお宝を喉から手が出るほど欲しがってるみたい。このままじゃ海を渡って長野県ごと占領されかねない状況よ」
セラミックは遠慮がちに周りを見回すと、真美さんの発言に付け加えた。
「ジュラアナ長野は、無尽蔵の石油が湧き出す油田以上の価値があって、国に莫大な利益をもたらす……って事ですよね?」
αチームのリーダー松野下は、うんうんと頷いた素振りを見せて言う。
「政府は、お人好しで事なかれ主義。生来の島国根性を絶賛発揮中って感じかね。今日も作り笑いで弱腰外交を続けているのが、情けないったらありゃしない。逆に共同開発を他国に持ちかけているほどだぜ」
ホワイトボードの横に立つ松上晴人が、飾りっ気のない無機質な机に並ぶ一堂の顔を見回した後に言った。
「さて、諸君。今回のミッションの概要は配った資料の通りだ。どうするか……受ける、受けないは、もちろん個人の自由。皆の意見を聞かせて欲しい」
βチームの吉田真美は意外にも即答した。
「いいんじゃない? 海までの案内役とバックアップだけなんでしょう。自分がハンティングに参加する訳でもないし、危険性は低いと思うわ」
αチームもだいたい同じ意見。
「俺も大丈夫だとは思う。アメリカ様の物量と装備、それにネイビー・シールズの護衛が付いてりゃ、無敵だろう。ただしそれは人間相手の戦いに限っての事ではあるがな」
目を輝かせる森岡世志乃は楽観主義であった。
「βチームの松上さんと一緒に行動できるなら、問題ないですわ。ジュラ紀の碧い海までのお仕事……海は初めてなのですが貴方となら……」
「おいおい、決して楽なミッションじゃないぜ。αチームのリーダーとして忠告する」
セラミックは松上と目が合った。黙ってニッコリして意思を表明すると、彼は咳払いしてホワイトボードに向き直った。
「……無論、考える猶予と時間は十分に与えるつもりだ。外国のチームと組む事は珍しくもないが、各自よく考えて今回の依頼を受けるかどうか、また意見を持ち寄ろう」
どこまでも続く泥濘地帯は、先が見えない針葉樹林の中で、まるでゴールがないかのようだ。
アメリカ調査隊とその水先案内人、日本のαチーム・βチームは計4台のLSVに分乗して中生代のテチス海を目指す。LSVはライト・ストライク・ビークルの名が示すように、極限まで軽量化した特殊部隊向けの軍用車両だ。3人乗りで、スカスカのパイプ構造のバギーに武装を施したような旧い装備である。
ジュラ紀に出入りする簡易エレベーターは最大積載量が1トンなので、普通のトラックやクロカン車は重量オーバーとなってしまう。持って行けるエンジン付きの車は4輪バギーかバイクぐらいなのである。
「うっひょー! 今までずっと歩きだったから、こりゃ楽だ。侮れない機動力だな」
ステアリングを握る松上晴人は、興奮気味に呟いた。
「先頭を走らせてもらうなんて、名誉な事ね!」
右の助手席に座る吉田真美はドライバーに話しかけたが、殆ど聞き取れない。
「黙ってないと舌を噛んじまうぞ!」
松上がステアリングを急に切った時、フェンダーのない前輪が落ち葉の混じった泥を巻き上げた。後席に単独で座るセラミックの顔に高速で何かが、ぴたッとへばり付いたのだ。
「きゃっ! ゴーグルをしてないと危ないわ。ヘルメットも……」
セラミックが顔に付いた丸い物を手で取ると、それは2センチぐらいの蠢く虫だった。虫が苦手な真美さんは、前席で悲鳴を上げて仰け反る。
「うっ!? 何かしら、この虫は? 幼虫?」
セラミックの疑問に運転中の松上は、チラ見して答えた。
「ああ、そいつは化石にもなっているがジュラ紀のノミだな。枯れ葉に潜んでノコギリ状の口で恐竜の血を吸う奴だ。気を付けた方がいいかも!」
「ぎえええ!!」
松上は例によってジュラアナ長野にダイブしている時は、酒に酔っ払ったみたいにハイテンションで普段の物静かな青年のイメージは全くない。正に二重人格者かもしれないとセラミックはいつも思うのだ。
2~3番目を走るのがアメリカの恐竜ハンターチーム。セラミックのすぐ後ろを疾走する車の助手席と後席に座るのが、ハンター兼研究者――いわゆるアメリカの同業者である。運転するのがネイビー・シールズのジョン……絵に描いたような屈強そのものの軍人で、軍服がはち切れんばかりに筋肉質である。サングラスの奥からでも射貫かれるような鋭い視線を放つ男。
3番手も同じ構成だが、シールズ隊員のマックスはジョンとは違い細身の2メートル近くありそうな男だった。松上晴人が密かにオルニトミムスとあだ名を付けたのも頷ける。
ジョンとマックス2人に対してα・βチームが束になって挑んでも、一瞬のうちに殲滅されてしまうのは火を見るより明らかだ。
最後の殿を努めるのは、αチームのリーダーが運転するLSV。
「…………」
こちらはジュラ紀にダイブしている間は、無口で冷徹な男に変身している。いつもの陽気な兄ちゃんの松野下佳宏ではないのだ。
「ふう! あ~、松上さんの後ろに座りたいですわ。……セラミックさん交代してくれないかしら」
後席の森岡世志乃は、助手席に座るアメリカ隊の博士の様子を見た。日本語が全く話せないので一切会話していないが、小柄で頭が薄い気の弱そうなDr.……ハンクは、車酔いして今にも吐きそうになっている。
「こんな所で粗相したら、タダじゃ済まないからね! 世志乃様の服を汚すんじゃないよ」
日本語が通じないのを良いことに、彼女はハンクに言いたい放題である。
「アメリカ隊のメンバーは皆ハンサムで逞しそうな人が揃っているのに、よりによってなんで同乗者がこちらのような方なのかしら? 本当に、しけているわね」
斜め前方の針葉樹林の影から、中型の獣脚類と思われる恐竜が頭をもたげた。特徴的な3つの角を見せた姿から、肉食のケラトサウルスと考えられる。
「――! 出やがったか……」
松上は刺激しないよう、慎重にステアリングを操作しながら迂回するルートを選んだ。すると突如、停車した2番目の車両の屋根からM2重機関銃の12.7㎜弾が短いサイクルで斉射された! この口径の弾に当たると、どんな生物だろうがズタズタに引き裂かれ、血煙と肉片と化する。
「やったぜ! 凶暴な恐竜を一撃で倒したぞ!」
興奮状態のジョンが、金網の屋根に転がった薬莢とベルトリンク片を払い落としながら、マックスに向かって叫んだ。
「すげえ! 写真に収めて、俺の彼女にパソコンで見てもらおう」
松上が急ブレーキをかけたので、シートベルトが真美さんとセラミックの柔肌にくい込んだ。
「こら! 誰が発砲していいと言った! ふざけるな!」
「What!? 何だと!」
ジョンとマックスがサングラス型のゴーグルを光らせた。
「何言ってやがる、この頓痴気な野郎は! ここはジュラ紀の世界だぜ。つまりいくらぶっ放そうが、日本の法制とかは全く関係がないのさ」
「そうとも、ジョンの言った通りダイブ後は治外法権って訳だ。てめえの生意気な口にライフル弾をお見舞いしても、誰からも罪を咎められたりしないって事なんだぜぇ」
運転席から降りたマックスは、背の方に回していたSCARと呼ばれる強化プラスチックを多用した銃の安全装置を外す仕草を見せた。……2人は日本語を自由に使いこなす事ができるという基準で、今回のダイブにおける護衛役に抜擢されたらしい。つまり特殊部隊員としての品格や実際の戦歴に関しては、あまり選考基準として重視されていないのだ。
松上晴人も狭いシートから降り立ち、ゴーグルを外した。
「無闇に恐竜を殺すなんて、本当にあり得ない。今撃ち殺したのは、希少なケラトサウルスだぞ。草食恐竜より肉食恐竜の方が圧倒的に数が少ないって事実を知らないのか」
ジョンは胸のポケットからタバコを取り出すと、オイルライターで火を付けた。
「もし撃たなかったら襲われていたかもしれないぜ、俺達チーム内の誰かがよ……」
「そうさ、とっくに恐竜からは見付かっていたしな。進路上に存在する脅威と危険性を、前もって排除しただけじゃないか」
無骨なシールズ隊員達がそう言うと、今度は最後列の松野下佳宏が答えた。2人に向かって溜め息混じりに言ったのだ。
「……1頭殺した事で、その血の臭いを嗅ぎつけてスカベンジャーどもが四方八方から集まってくるんだ。この場所は、もうすぐ大小恐竜どもが集まるお祭り会場になるぜ。ほら! あれを見てみなよ!」
上空には早くも中型翼竜の姿が、木々の梢の隙間から刹那に影を落とし込んでみせた。深い森の奥からは、今まで聞いた事もない不気味すぎる鳴き声が、毛羽立つ精神を逆撫でするビープ音のごとく、あちこちから響き渡ってくる。
森岡世志乃の前に座るDr.のハンクは、英語で何か聞き取れないような文章を小声でブツブツと繰り返していた。彼は冷や汗びっしょりで震えが止まらず、胸元から取り出したロザリオに向かって何か祈りを捧げていたのだ。
「さあ、先を急ごう。松野下リーダー、一応ケラトサウルスのサンプルを回収しておこう」
松上はそう言うと、吉田真美とセラミックをキャラバンに残し、アメリカ調査隊に5分間だけの調査を許可したのだ。当然、子供のように騒ぐ調査隊の作業は、時間内に終わりはしないだろうが……。
テチス海は他の惑星の海かと見紛うレベルで、深いコバルト色に澄み渡っていた。正真正銘、無人で手つかずの海は広大で、決して足を踏み入れてはならない神域の雰囲気すら感じさせる。遠慮がちに浜辺に車を乗り上げて前線基地に4台の車を停車させた。人跡未踏の砂浜は塩のように真っ白で、踏み締めるとキュキュと音がするほどだ。
先遣隊によりアメリカ調査隊の荷物は、テントを張って岩場に集積してある。αチーム・βチームは指示通り協力しながら、硬式ゴムボートを手際よく海面に浮かべた。
テチス海へと続く穏やかな湾は、目がしみるほどの碧い水をたたえており、はるか遠方には海鳥の代わりに白い翼竜が風を受けてパラグライダーのように滑空している。上空から狙われた魚群は、ひとたまりもないだろう。渚には大小様々なアンモナイトやオウムガイの殻が大量に打ち上げられており、ジャングルブーツで踏むと飴細工のようにパキパキと割れた。
ジョンとマックスは5名の研究員に武器の用意をしている。どうもASM-DTと呼ばれる特殊な水中用自動小銃を使用するようだ。最終的な手ほどきを簡単に済ませた後、研究者の連中をボートに乗せに掛かっている。
荷物の点検を済ませたジョンは、汗だくとなった松上と松野下に向かって軍隊口調で言った。
「日本人スタッフの隊長さんよ! 俺達が留守にしている間の荷物番は、宜しく頼んだぜ」
のっぽのマックスはセラミックや真美さん、森岡世志乃を舐め回すようにいやらしく眺めた後、唾を波打ち際に吐き捨てた。
「ケッ! 女子供ばかりじゃないか……ピクニックに来てるんじゃねえぜ! 本当に荷物は大丈夫なのかよ!?」
ジョンは、カーキ色の軍服の上からライフジャケットを装着しつつ、忌々しげに肩を竦めて答える。
「全くだ! 女より青白くて細腕の隊長さんに護衛なんか務まるのか?」
「……うるせえ! 英語でも全部通じているぞ!」
松上がそう言いながらジョンを睨みつけると、松野下によって肩を摑まれた。
「シールズ選抜試験に1日も耐えられそうにないな、マックス」
「いや、わずか30分で音を上げてギブアップだろうぜ! ……ハハハハ!」
松上は何も答えず押し黙り、周囲の警戒を怠らないようにしながらアメリカ調査隊の体調確認に向かった。
「そうだ、奴らの挑発に乗るんじゃない……」
無線の調子を確認するふりをして、αチーム松野下からメッセージが届いた。
「……だが、言ってやる!」
そう吐き捨てると、松上は踵を返したのだ。
一方のジョンとマックスはセラミックと森岡世志乃に向かって笑顔で口笛を吹いた。
「お嬢ちゃん達、とっても若いねえ。一体いくらでやらせてもらえるんだい?」
ネイティブのスラングが今ひとつ伝わらない二人は顔を見合わせ、シールズ相手にただ愛想笑いを繰り返すばかりだ。
その時、松上が猛犬の調教師のように間に割って入る。
「本当に強い奴は礼儀正しいと聞く。お前らは日本語ができるというだけで、実態は一兵卒以下だ。ネイビー・シールズの看板に泥を塗るつもりなのか」
アメリカ調査隊の研究員達が俄かにザワつき始める。ジョンとマックスは、頭にきたように血圧と心拍数を上昇させた。
「何がサムライだ! 平和ボケの日本人め。いつもいつも自分達は絶対に安全な場所から高みの見物で、偉そうに非難してきやがる。一体誰のおかげで毎日を、のほほんと暮らしていけるのか分かっているのか」
「そうだ。俺達は世界の戦場を渡り歩き、最前線で明日をも知れぬ命だ。腰抜けで、世情知らずの頭でっかちに批判される筋合いはない!」
「まあ、まあ、まあ……」
最後尾のαチームに同乗していた例のDr.……頭の薄い豆博士が、レフェリーのように双方をなだめに入った。
「男だったら誰しも、綺麗な女性を見ると声やアプローチを掛けたくなるもの。美しい娘さん達、どうか無礼を許して下さいね」
「うそっ!?」
ハンクは実際、日本語がペラペラだった事実に森岡世志乃は、顔を真っ赤にして狼狽えたのであった。
アメリカ調査隊のレーダー付きRHIBが沖に出ると、α・βチーム共に暇になってしまった。
コバルトブルーの海を眺めていると、セラミックは何だか南国へバカンスに来たみたいに錯覚してしまう。波打ち際に近寄ってみると、浅い海には見慣れないピンクのウミユリが……まるで花畑のように群生しているのが見えた。ブーツを脱いで潮干狩りのように足だけで砂浜を少し掘ると、三角形の二枚貝がゴロゴロと湧き出てくるように捕れた。
「蛤みたいに味噌汁に入れたらメッチャ美味しそう」
彼女がバケツ一杯、三角貝を掘って帰ってくると、松上はサマーベッドにサングラスをかけて寝っ転がっていた。
「セラミックさん、ちょっと泳がない?」
森岡世志乃が、なぜか大胆なビキニ姿で松上の前に姿を現したのだ。これ見よがしのマイクロビキニで、ブルーの海に映えるオフホワイトの上下であった。
「わお! 世志乃ちゃん、中生代に紐ビキニは色んな意味で無防備すぎるよ!」
エロ青年に変貌している松上は、ベッドから飛び起きると同時にサングラスを下げて、森岡世志乃が誇る丁度いい大きさの美尻を目で追った。
『フフフ、見てる見てる……』
熱視線のむず痒さを背に感じながら、森岡世志乃は黒髪をなびかせ、セラミックと吉田真美に向き合った。2人はしばし、ぽかんと口を開けたままだ。
「よし、私達もチャレンジしよう。セラミック、脱いでみな。今なら誰も見てないよ」
「ええ~!? 松上さんと松野下さんがいますよ」
「逆に全く誰からも見られていないと気分が萎えるから、いいんだよ2人には」
「マジですか……」
「マジマジ、ひょっとしたら我々が人類最初の『ジュラ紀でビキニ』のパイオニアになれるかも。SNSに投稿してみようか? もの凄い反響が今から目に浮かぶ。う~ん、こんなチャンス滅多にないよ」
「ひえ~!」
ウエットスーツだった吉田真美は、背のファスナーを下ろし今年買ったボーダー柄のセパレート水着姿となった。グラマーで腰のくびれがハッキリした真美さんは、大人びてスタイル抜群であった。
セラミックも一応水着を用意していたので、真美さんに手伝ってもらいながらバスタオルで隠しつつ、物陰にて着替えに移ったようだ。
誰かが接近してくる……目ざとく状況を察知した男性陣だ。悪戯っぽく様子を見に来た松上と松野下に向かって真美さんは顔をしかめると、素早く何かを投げつけた。
「ほら! 女子高生の脱ぎたてパンツだよ!」
「!!!」
思わず松上が眼前で摑み取った白い布製品は、先ほど松野下が履き古し、その辺に干してあった臭い靴下の片方であった。
「ぐえええ!!」
セラミックはフレアバンドゥのセパレート水着に着替えると、3人で静かな入り江に向かった。遠浅なので巨大捕食生物は入ってこれないだろうが、各々ビキニ姿に不釣り合いな自動小銃を背負って歩く。
「わあ、今までに見た、どんな南国ビーチより綺麗だわ。ハワイやグアムなんて目じゃないよ」
眩しそうに目を細める真美さんの言葉に森岡世志乃は、いてもたってもいられなくなった。
「短時間だけ泳いでみましょうよ。ね、折角なんだし」
「え~、ちょっと怖いな」
セラミックの躊躇は無理もない。海底まで広く見渡せるとはいえ未知の海へ、ほぼ裸同然で飛び込むには、かなりの勇気が必要だ。
「鯛のお化けみたいな魚も、いっぱい泳いでるし~」
「ダペディウムとかいうゴツい鎧を着たような魚ですわね!」
「セラミック、刺身にでもしたら意外とイケるんじゃないの? エナメル質の四角い鱗は包丁が通らないだろうけど」
水着も心も大胆な森岡世志乃は、意を決して古代の海へと足を浸した。サラサラの砂地が足指の間から滲み出ると同時に波に洗われる。磯臭くなく透明度の高い海水は、原初の地球の記憶を留めていた。オルドビス紀とデボン紀それにペルム紀や三畳紀末の大量絶滅を経験してきてはいるが、生きとし生ける物を育む羊水を思わせる豊かさだ。
「最高! ご機嫌な海を独占できて気持ちいい! 一緒に泳ぎましょうよ、お2人さ~ん」
3丁のライフルを浜辺で銃口を上にして三角形に組む間、ついに森岡世志乃は浅瀬で泳ぎ始めた。吉田真美とセラミックは、無防備な森岡世志乃が得体の知れない海棲生物に襲われて悲鳴を上げない事を確認してから海水に浸かる。波と潮風が2人のセパレート水着を飛沫に濡らせる頃、女性陣はいつの間にか海水浴に夢中となった。
真美さんは、イカそっくりなベレムナイトを追い散らして泳ぎまくる。すっかり身も心もリラックスモードである。
「温暖な気候だね~。世界中のどんな極上プライベートビーチも霞んでしまうわぁ!」
見上げれば翼竜のランフォリンクスが、もの珍しそうに人間を遠巻きにして飛行している。セラミックも任務を忘れて、呑気にはしゃいだ。
「よく見るとアンモナイトがいっぱいいるよ! ちょっとタコっぽい」
波間に漂うアンモナイトがセラミックの接近に驚いたのか、透明な体色を目まぐるしく変化させている。
そのうち豪胆な真美さんが、らしくなく金切り声を上げた。何事かと森岡世志乃が真美さんの元へと馳せ参じると、何と彼女のビキニの上……要するに右乳房に大きめのアンモナイトが吸盤を使ってピッタリとへばり付いていたのだ。
「うわ――――ぁ!」
今度はセラミックが大声を上げた! 彼女のビキニを付けた胸にも中型のアンモナイトが、その腕を伸ばして白い柔肌に吸い付いている。急いで力を加えても、しっかりとしがみ付いてきて、なかなか離そうとはしない。
「こんにゃろう!」
森岡世志乃がアンモナイトの殻を引っ張って、真美さんの巨乳を触手から解放した。
「いや――! 離せ!」
セラミックも螺旋状の殻を摑んで、軟体部がスッポリ抜けそうになるほどアンモナイトを引き伸ばした。
「ハア、ハア……あ~ビックリした!」
真美さんを始め、3人は陸に上がり前屈みになって息を整えたのだ。そして彼女はビキニトップの中に違和感を覚え、右のおっぱいをまさぐった。
「……何だコレは?」
取り出したのは透明に近い、白いカプセル状の物。セラミックも後ろを向いてビキニの中を調べると、全く同様のカプセルが、敏感な部分の上辺りに置かれているのを発見した。
「? ?」
悲鳴を聞きつけて飛んで来た松上晴人が、白々しく『どうした、何があった』と訊いてきた。そしてセラミックから白いカプセルを受け取ると正体を看破したのだ。
「あ~、コレはアンモナイトの精包だね。中に精子がいっぱい詰まったカプセルなんだよ。良かったね、セラミック! アンモナイトの雄からコレを渡されたって事は、彼から求婚された訳だ」
「!……真美さんと私は、アンモナイトからモテモテなんですか……あまり嬉しくないような」
そこまで聞いた白ビキニの森岡世志乃は、ふと疑問に思った。
「なんで私だけアンモナイトからカプセルを貰えなかったのですかね?」
丁度トイレタイムで遅れてやって来た松野下が、松上と目を合わせた後、少し申し訳なさそうに言った。
「あ~、アンモナイトの雄は丸くて大きな柔らかい物が大好きらしい……」
「丸く大きい柔らかい物……」
森岡世志乃は自分の胸元を覗きながら、わなわなと震えた。
「……それは、つまり私には谷間もなく、ボリュームが足りないと言いたいのですか!? もう許せん!」
「わあぁ! 俺じゃないって! 八つ当たりはよせ! 怒るならアンモナイトにだろ」
怒り心頭の森岡世志乃に恐れをなし、αチームのリーダーは砂浜に逃げ出したのだった。
「うわ――――ぁ!」
セラミックが叫び声を上げた頃、海上のRHIBに乗船しているアメリカ調査隊もシンクロするように喚声を上げていた。
それもそのはず、海面すぐ近くに15メートル以上はあろうかという巨大な漆黒の魚影が迫って来ていたからだ。
「何だ、あの恐ろしくデカい影は?! クジラなのか?」
「いや、この時代にまだクジラは存在していない。ジンベエザメを超える巨体は……もしかしてリードシクティスなのかもしれない。我々は運がいいぞ」
リードシクティスは超巨大魚だったが、のっぺりと優しい顔をしており、大口を開けて豊富なプランクトンを濾し取って食べているようだ。だが本能的に自分が乗っている船より大きな魚影は、人体丸ごと飲み込まれそうな恐怖感をじわじわと想起させ、全員手の平にかく汗が尋常でなくなった。
「我々が探す魚竜……オフタルモサウルスは一体どこにいるんだ? さっきからイカを撒いて、おびき寄せているがサッパリじゃないか」
アメリカ調査隊のハンター兼研究者達は焦り始めた。魚群探知機には確かに多数の魚影らしき物を捉えていたが、それが一体何なのか全く分からない。収斂進化によりイルカに酷似しているオフタルモサウルスは、恐らく海面に背びれを出したりジャンプしたりすると考えられている。7名のアメリカチームは一丸となり、鵜の目鷹の目で海上を捜索し続ける。
「おい! あれを見てみろ!」
唇を始め、皮膚表面から血の気が失せた研究員が示す先に皆が注視する。泳ぎ去る黒いリードシクティスの背に向かって、同じ大きさの10メートル以上はありそうな怪物が迫り来る瞬間を、それぞれが固唾を飲んで見守った。
「体当たりしたのか? ヤバい、もう人間がどうこうできる世界じゃないぞ、ここは……」
さすがにネイビー・シールズのジョンも命の危険をひしひしと感じているようだ。
「今ボートをひっくり返されでもしたら、全員……骨も残らないぜ! 陸にすぐにでも戻らないと」
操船するマックスも悪趣味なジョークを挟めないほどに緊張し、引き返すことを頑なに主張する。
リードシクティスは脇腹に衝突され、悶絶するように遊泳のスピードを大幅に落とした。巨大な顎を巧みに使うのは、ワニのように強力な咬力を持つサメ以上に獰猛な生物だった。Dr.のハンクは恐怖に打ち震えながらも写真と動画撮影などを淡々とこなしている。
「あ、あれは首が短いタイプの首長竜、リオプレウロドンじゃないか! 生きた姿を間近で見られるなんて……感激だ。無理してここまで来て本当に、本当によかったよ!」
Dr.は感動の余り興奮して、どんどん行動が大胆となってくる。リードシクティスは肉食のリオプレウロドンに長い胸びれを噛み付かれ、そのまま食い千切られたようだ。肉片が散らばり、海中が鮮血に赤く濁る。
そこからは目を覆いたくなるような饗宴が始まった。手足が強力なオール状で流線型の尻尾を持つワニの化物が複数いるようだ。リードシクティスの柔らかな腹の部分を狙って、びっしりと並んだ歯列が深々と突き刺さると同時に捻って食い破る。更に肉のおこぼれを狙って小型のサメが群がってきた。
突如、硬質ゴムボートの船底に何か重量物の衝突音が響き、乗員を恐怖に震え上がらせた。
「Oh my God!」
船首に居座るジョンが戦場にいる時の眼となり、悲鳴とも雄叫びとも付かない声を上げた。彼はマックスが制止するにも関わらず、SCAR-Hの安全装置を外し片膝で海面下に構える。波に翻弄され数メートルは上下に激しく揺さぶられながらも、ジョンは狂ったように玄武岩色の巨大な影に向かって銃の引き金を絞り続けるのだった。
水中に幾筋もの気泡ベクトルが刻まれるが、水面下のリヴァイアサンには何の影響も及ぼさなかったのは明白だ。パニックは同乗者にも伝播し、7.62mm NATO弾と水中銃のニードル弾が虚しいキャビテーション音を発し続ける。それを嘲笑うかのごとく、はるか遠方の波間でリオプレウロドンが呼吸のため潮を吹き、ガラス玉のような眼光を反射させるのをハンクは確かに見た。
「ハハハ……ここがジュラ紀の海ですか。この海域に一体どれほどの巨大肉食生物が潜んでいるのでしょうね? 人間なんて本当にちっぽけな存在である事が、今更ながら思い知らされました!」
不意にパシャパシャと海面を打つ音がセラミックの耳に入った。さっきまで泳いでいた入り江の波打ち際に、何か大きな魚のような生物が背びれを出して遊んでいる。
「ああ~っ! すごい! まるでイルカみたい」
タオルを羽織った森岡世志乃が、サングラスを下げて眼を細めながら、つぶさに観察する。
「う~ん、確かに姿形や大きさ、色までイルカそっくりですわね。でも哺乳類じゃなくてよ。爬虫類の一種で、いわゆる収斂進化と呼ばれる物ね」
ビキニの吉田真美が素っ頓狂な歓声を上げて喜んだ。
「やった! オフタルモサウルスじゃない。アメリカ調査隊の奴ら、危険を冒してまで沖に出て馬鹿だね~。ここにいっぱいいるじゃないか」
オフタルモサウルスはイルカよりも明らかに大きいが、軽くジャンプしたりしながら、入り江に豊富な魚介類を漁っているようだ。さっき見たイカそっくりなベレムナイトを追っかけているのかもしれない。セラミックは珍しい海の生物を間近に見れて、嬉しくなってきた。
「わあ、漫画みたいに大っきな目で可愛い! つぶらな瞳なんだね……目玉ちゃんと名付けよう」
真美さんはセラミックの安易な命名に呆れて破顔一笑した。
「ふふ、確かに目玉ちゃんだな。イルカのように超音波を使ってエコーロケーションしてないから、エサ取りや敵から逃れるのも、全部デカい目の視力に頼っているんだろうね」
松野下リーダーが弛緩した顔で、ボリボリ背中を掻きながら見物に割り込んできた。
「……あの巨大な目を水圧から守るために目玉の中に骨が入ってるらしいぜ。確かリング状で強膜輪って言ったかな?」
「へぇ……。ウチのリーダーほどじゃないけど、アンタも物知り博士なんだね」
「何と失敬な!」
にわかに海上から不規則な連続音が響き渡り、遠雷を思わせる振動が渚にまで届いた。
「おい、今確かに銃声が聞こえたよな?」
「ええ、沖のアメリカ隊に何かあったのかも!」
松上はベッドから飛び起きると、アメリカ調査隊から貸与されたH&K HK416を2丁抱えて駆け付けてきた。重厚な金属製品が放つ言いようもない冷徹さが、一堂に稲妻のような緊張感を走らせる。
「おい、何やってんだ! 松野下リーダー! 俺達の出番だぞ、すぐ沖に出る! 真美さん、セラミック達を頼んだぞ!」
「えっ!? ……ええ、分かったわ」
松野下はM4カービンそっくりなHK416を松上から受け取ると、急いで上着とライフジャケットを装着し、小型硬式ゴムボートを海に投入するため、テントの方に向かって出立した。残された3名の女性隊員はしばらく呆然と立ち尽くす。
「アメリカのハンター達に何かあったのかな……」
セラミックと森岡世志乃が不安に曇る表情を見せてしまった。真美さんは、それらを払拭するように強気で堂々とした態度を崩さない。
「あの2人が助けに向かったから大丈夫よ! あたしが保障する……って、どう考えてもダブル松コンビよりアメリカ調査隊の方が屈強な男達が揃っているよね。逆に足手纏いにならなきゃいいけど……」
「松上さんが怪我したりしないか、とても心配ですわ……きゃああぁ!」
森岡世志乃が突如、悲鳴を上げた。それもそのはず、先ほどまで楽園のようだった入江の静かな海が、闖入者により騒然と化していたのである。
多くのオフタルモサウルスが逃げ惑う中、1頭を狙って執拗に追いかける捕食者がいる。3メートルほどの滑らかでオール状の四肢を持つ生物が、長い尻尾と共に海中に透けて見えた。真美さんが叫ぶ。
「あれは海生ワニのメトリオリンクスじゃない!」
とうとう逃げ遅れたオフタルモサウルスの小さな個体が尾びれに噛み付かれ、海面を激しくバタつかせた後、海を紅色に染めた。
「いやあああ! 逃げて!」
頭を抱えるセラミックの悲痛な叫び声が水面を渡る中、メトリオリンクスはワニらしく強靱な顎を獲物の肉に食い込ませるや、ツルツルとした体を回転させ引き千切らんとする。
その顎が持つ力か、オフタルモサウルスの死に物狂いによるキックの力か判然としないが、海面から尾を失った魚竜が飛び出した。そしてそのまま数メートルを弾け飛び、砂浜に上下逆でドサリと落下して転がると、千切れた尻尾から鮮血を左右に飛ばしたのだ。乾いた白洲が、みるみるレッドカーペットのようになると、哀れな生命力を吸収してゆく。
「目玉ちゃん!」
思わずセラミックは丸腰の水着のまま、オフタルモサウルスに向かって走り出してしまった。