どうやら何かあるみたいだな。
 広は店を出て、今日の宿泊先を探し夜道を歩いていた。
(適当に鎌をかけてみただけなのだが、どうやら当たりのようだ)
 そのとき、後ろで烏が鳴いた。広はその音にふと振り返り、そそくさと人目のない路地へと入る。立ち止まるとそこへ烏が飛んできて、彼の笠の上に留まった。ずしり、と重みがかかる。
「どうだった」
 広が周りに聞こえないようにささやくと、烏は一度羽をばさりと言わせた。
『町内をぐるっと見たけれど、特にアヤカシに呪われた者はなさそうだ』
「そうか」
 それは退治屋である広にだけ聞こえる声だ。
「ありがとう、やはりあの呉服屋だけなのだね」
『出発は?』
「明朝すぐに。案内を頼むよ」
『承知』
 退治屋の相方である一羽の烏は、その会話が終わるとまた飛び去っていった。
 通りに戻った広は、それからすぐに見つけた宿屋で夕飯を取っていた。食事処としても店を開いているようで、多くの人で賑わっている。その中で広は狭い卓について、ずるずると蕎麦をすすっていた。頭の中では明日の行動に思いを巡らせている。事情を教えてもらえない中で、果たしてどうすべきか。
(まあ、訊き方も良くなかったな)
 怒らせてしまってはどうしようもないことは分かっている。もっとうまくやる人はやるだろうに。
「兄さん、正面に座っていいかな」
 考え事をして下を向いていた広は、急に声をかけられ驚いて顔を上げた。話しかけてきたのは中年の男性だった。隣に同じ年くらいの女性が立っている。きっと夫婦なのだろう。
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」
 格好から察するにこの町の商人だろう。座って注文をする二人をぼうっと眺めてから、あまりじろじろ見ては失礼だなと再び視線を落そうとした。
「あんた、どっから来たんだい」
 けれどまたも不意を突かれるように話しかけられて、広は戸惑う。
「隣町です」
 話しかけてきた男性は、遠慮のない様子で、「ふうん」と広を眺め回した。一体何の用だろうと、広は居心地の悪い思いでその視線を受ける。
「あんたさっき川沿いの呉服屋から出てきたろう。あそこはこのあたりで一番上等な品を扱っている店だよ。よくそんな格好であの店に入ったね」
「主人の使いですから。自分のではありませんよ」
「それにしたって、家の使いの者が良い格好していない方が恥ずかしかろうに」
「はあ、確かに。言ってしまえば、私の主人はあまり度量の広くない方なのです」
 もちろん広は主人の使いで服を買いに来たのではない。本当のことが言えないために、いつも利用している方便だ。しかし男性は彼の作り話に愉快そうに笑った。
「なるほどなるほど。ああ、度量が狭いといえば、あの呉服屋の旦那も相当だね。ご立派な店を構えているからって、偉そうにしちゃってなあ」
「ちょっとあんた」
 夫を諌めるように、女性は会話に参加してきた。
「おやめよ、みっともない」
「お前だってそう言っていたじゃないか」
「あまり人様にべらべらと話すことじゃないだろう」
 注意を受けた男性は少し拗ねたように「ふん」と言って、会話を切って顔を背けた。
「すみませんねえ」と女性は広に謝った。広は苦笑しながらも「いいえ、私も噂話は好きですよ」と返答した。
「しがない雇われ者ですからね。よく主人の文句を言って憂さを晴らします。特にこう、主人から離れたところに来たときなんかは」
「お兄さん分かっているね」
 自分に肩入れするような広の言葉に、男性は気を良くしたようだった。
ちょうどそこに二人が注文した料理が運ばれてくる。二人分の定食と男性が飲むつもりの日本酒が一合。男性は給仕にお猪口をもう一つ持ってくるように頼むと、それを広に渡して「まあ、一杯やんなよ」と酒を注ぎいれた。
「うちは雇われている訳じゃあないけれどね。まあなんだ、大きな店って訳でもない。いろいろ鬱憤は溜まるもんさ。そういう時はこれもいいもんだ」
「ありがとうございます」
 広は男性の手からとっくりと取ると、彼のお猪口に注ぎ返した。


 食事を終えた広はぐるぐる回る頭で階を上り、宿の部屋に入った。それから畳の上に倒れるように寝転がる。
「ああ、あのおっさん酒に強すぎだろ」
 久しぶりにあんなに呑んだ、いや呑まされたのだけれど。呻きながらすでに敷いてあった布団の中にもぐりこんだ。
「はあ、気持ち悪い」
 目を閉じると、先までの会話が浮ついた頭の中で繰り返された。愉快な夫婦だった。仕事の愚痴は面白おかしく話され、町のいろいろな噂話も教えてくれた。
思い返した映像が夢なのか現実なのか分からなくなって、いつの間にか広は眠りの中に落ちていった。