それは明らかに数時間前、誰かがこの墓を訪れた証拠であり、今日がお父さんの命日と知っている人間のしわざだということは明白だった。
お母さんはあくまで冷静に言った。
『古川おじさんか、泉の清子(きよこ)姉さん辺りが来たんでしょう。そんなに驚くことじゃないわよ』
『まあ、そうなんだろうね』
結局、お母さんの言う通りなのだろうなと思う。
私たち親子がお父さんの命日に墓を訪れるなら、お父さんの親族、血縁関係のある人物がお父さんのお墓をこの日に訪れたって何もおかしなことはないのだ。
古川おじさんとは、名の通り、古川に住んでいるおじさんのことで、お父さんの弟。
生前から交流は深いらしく、今も時々野菜なんかを送ってくれたりする。
泉の清子姉さんとは、こちらも名前の通り泉に住んでいる人で、お父さんのお母さんの妹さん、らしい。
当初は今朝見た夢に怯え、お父さんのお墓参りを渋っていた私だったが、いざ行ってみると例年同様何もなく事は済んだ。
私たち親子は菊の花を先に供えられていた花と共に活け、線香をあげると、お父さんに向かって手を合わせる。
心の中で「今年も来たよ、お父さん」なんて報告しながら。
当然のごとく、私の心の声にお父さんが答えることはない。
今朝の夢も、感じた違和感も、結局、全て、私の気にし過ぎということになるのだけれど、それでもほんの少しだけ期待がなかったのか? と言われたら、悩んでしまう。
私はどういう形であれ、もう一度お父さんに会いたいのだった。
会って、話をしたい。謝りたい。それだけだった。