淡い黄色のカーテンの向こう側に広がっているのであろう清々しい朝の光景を想像しながらひと思いにカーテンを両手いっぱいで開き、室内に朝日を取り入れる。

 今日が何の日か、それは先ほど起床した瞬間に知った通り、今年のカレンダーを購入した数か月前から赤文字で大きく記されていた。


『お父さんのお墓参り!』


 十月の中旬、日曜日。

 十数年前の同じ日、私の実の父親は交通事故でこの世を去った。

 幼い私がお父さんの姿を見たのは、事故が起こる瞬間、その時だけ。

 物心がつくようになり、私の記憶も過去として思い出せる程度に成長した頃、私はようやくお父さんが亡くなったのだと理解した。

 それは学校の行事が大きく関連している。

 幼稚園のお遊戯会も、卒園式も、小学校の入学式も、授業参観も、運動会も、友達はほとんど両親揃っての参加なのに、私の家は毎回お母さんだけの参加だった。

 それを疑問に思い、尋ねるのも、当時の私にとっては当然のこと。


『どうしてみんなのおうちにはおとうさんがいるの? わたしのおとうさんはどこにいるの?』


 当時の私の問いに、お母さんが何と答えたのか覚えていないけれど、相当に傷つけてしまったのだろうな、とは思う。

 お父さんが今も生きていれば、私と悠ちゃんは幼なじみとは言え、こんなに近い、家族同然の関係にはなっていなかっただろう。

 それが仕方ないことだと分かっているけれど、想像することすらいけないことのような気がするけれど、それでも、どうしても、考えてしまうことがある。


「もし、お父さんが生きていたら……悠ちゃんは私を家族じゃなく、普通の幼なじみとして、一人の女の子として意識してくれてたのかな……」