カウンター席だけの『居酒屋 ドラゴン』、竜平さんは俺がいた頃と変わらない姿で、カウンター奥にいた。
頭に黒い柄付きバンダナをして、黒いエプロンをつけている。
「元気そうやないか」
精悍な顔立ちをした竜平さんは、ワイルド系といった感じだ。
昔はやんちゃをしていたと、良く話していた。
俺が竜平さんを師匠と呼ぶ理由は、もう一つある。
俺は飲食店でバイトするまでは、厳しい世界だとは全く知らなかった。おばんざい屋で働く祖母を見て育ったが、接客すらした事はなかったのである。
ただ夢と憧れで飛び込んで、己の甘さを実感した時は危うく心が折れかけた。
「お前は、よう頑張ったわ。今どきのもんは、ちょっとした事でも直ぐに辞めてしまうさかい」
俺が料理の腕を学んだと言ってもいいバイト先『居酒屋ドラゴン』店主・竜平さんは、そう語る。
重いビールケースの運搬、洗っても減らいない洗い物、矢継ぎ早の注文、大量のキャベツの千切りや芋の皮むき、俺はふらふらである。
何度も辞めよう、当時の俺は毎日思っていた。そんな時、俺の心を完全にへし折る事件が『居酒屋ドラゴン』で起きた。
「兄ちゃん、ビールを頼むわ!」
客の一人が、俺に言う。
俺としては関わりたくない客だった。その客は足を通路に出して引っ込めようとしないのだ。しかも、かなり酔っていた。
俺は退店した客の席を片付けていて、手元が見えていなかった。その時間はバイトは俺一人で、竜平さんは料理から手が離せない。
「はい、すぐにお持ちします」
そう言って一歩踏み出した。だが、俺は何かに躓いた。何とか体勢を保持したが、水の入ったグラスが落下して、客の袖にかかった。
「何すんねん!! 兄ちゃん、わざとやろ!?」
「え……」
「けったくそわるい!! (気分が悪い) 俺は客やで!?」
決してわざとではないし、足を出していた客も悪いのだ。そう、悪いのは――。
「すんまへんなぁ」
その声がしたのは、カウンター奥からだった。
「俺の所為ですわ。お代は今日は結構ですよって、堪忍してくれまへんか?」
どうして? 竜平さんは何も悪くない。水を零したのは俺で、通路に足を出していたのは客だ。なのに何故、竜平さんは謝る?
客の男はまだ何か言いたげだったが「今度は気をつけろや」と言って、黙ってしまった。
頭に黒い柄付きバンダナをして、黒いエプロンをつけている。
「元気そうやないか」
精悍な顔立ちをした竜平さんは、ワイルド系といった感じだ。
昔はやんちゃをしていたと、良く話していた。
俺が竜平さんを師匠と呼ぶ理由は、もう一つある。
俺は飲食店でバイトするまでは、厳しい世界だとは全く知らなかった。おばんざい屋で働く祖母を見て育ったが、接客すらした事はなかったのである。
ただ夢と憧れで飛び込んで、己の甘さを実感した時は危うく心が折れかけた。
「お前は、よう頑張ったわ。今どきのもんは、ちょっとした事でも直ぐに辞めてしまうさかい」
俺が料理の腕を学んだと言ってもいいバイト先『居酒屋ドラゴン』店主・竜平さんは、そう語る。
重いビールケースの運搬、洗っても減らいない洗い物、矢継ぎ早の注文、大量のキャベツの千切りや芋の皮むき、俺はふらふらである。
何度も辞めよう、当時の俺は毎日思っていた。そんな時、俺の心を完全にへし折る事件が『居酒屋ドラゴン』で起きた。
「兄ちゃん、ビールを頼むわ!」
客の一人が、俺に言う。
俺としては関わりたくない客だった。その客は足を通路に出して引っ込めようとしないのだ。しかも、かなり酔っていた。
俺は退店した客の席を片付けていて、手元が見えていなかった。その時間はバイトは俺一人で、竜平さんは料理から手が離せない。
「はい、すぐにお持ちします」
そう言って一歩踏み出した。だが、俺は何かに躓いた。何とか体勢を保持したが、水の入ったグラスが落下して、客の袖にかかった。
「何すんねん!! 兄ちゃん、わざとやろ!?」
「え……」
「けったくそわるい!! (気分が悪い) 俺は客やで!?」
決してわざとではないし、足を出していた客も悪いのだ。そう、悪いのは――。
「すんまへんなぁ」
その声がしたのは、カウンター奥からだった。
「俺の所為ですわ。お代は今日は結構ですよって、堪忍してくれまへんか?」
どうして? 竜平さんは何も悪くない。水を零したのは俺で、通路に足を出していたのは客だ。なのに何故、竜平さんは謝る?
客の男はまだ何か言いたげだったが「今度は気をつけろや」と言って、黙ってしまった。