神使とは「神の使い」や「御先」とも呼ばれる、神様の眷属だ。多くは、神様と特別な関係にある動物で、哺乳類から鳥類、爬虫類、空想の生き物まで様々なものがいる。お稲荷さんなんかは、元々は神使であったものが、神様として祀られるようになったものだ。


つまり、ふたりは動物が変化したものらしい。凛太郎は狐、櫻子は狸。随分と長い間、彼らは朧に仕えてきた。屋敷のことは神使のふたりが取り仕切っているらしく、その下に面布衆がいる……というような構造らしかった。


 兎にも角にも、このふたりの助けを借りながら、朧の棲み家であるマヨイガで、新生活を送ることになったのだが……。


「いやあ! 旦那様、今日も浮かない顔でお食事を召し上がっていましたねえ」
「……」
「まあ、奥様もまだ屋敷の台所に不慣れでしょうし。仕方ないと言ったら、仕方ないのでしょうけども」
「……」


この屋敷で暮らすようになってから、数日。わかったことがある。


神使のひとりである凛太郎は、朧のことが大好きだということ。それこそ、恋をしてるんじゃないかってレベルに。その証拠に、朧の話を始めると長いし、熱量がすごい。


 朧の嫁になった私のことは、嫌ってはいないらしいが――。


「まあ、奥様の一番のお仕事は、子を成すことですから。それだけしっかりしてくだされば、僕はなにも言うことはありませんよ。たとえ、お食事が旦那様の口に合わなくてもね。ええ、もちろんですとも。はははー」


紺の作務衣を着た凛太郎は、眼鏡の奥から、含みのありそうな視線を送ってくる。お前は小姑かとツッコミたくもなるが、そこはぐっと堪える。何故ならば、放って置いても、すぐに凛太郎に天罰が下ることを理解していたからだ。


「まあ、あんまりにも不味いものばかりを出していたら、そのうち旦那様に奥様自身が食べられてしまうかもしれ……痛い!」
「まーた、凛太郎ちゃん意地悪言ってる。真宵ちゃんにそういうことばっか言ってると、お昼ご飯のお稲荷さん、二度と作ってあげないんだから〜」
「ひっ! 待て。冷静になるんだ、櫻子。話し合おう」


櫻子は、青ざめている凛太郎を丸々無視すると、私の頭を優しく撫でた。


「大丈夫? 凛太郎ちゃんが変なことを言い出したら、すぐに言うんだよ。あたしが助けてあげるからね」
「櫻子ちゃん……!」
「うふふ。真宵ちゃんはちっちゃくて可愛いねえ」


凛太郎とは対照的に、もう一人の神使である櫻子は、かなり友好的だった。
まるで気の置けない友人のように接してくれ、内心、櫻子の存在にはかなり救われていた。


 主の妻と、それに仕える者としての関係としては、正しいとは言えないかもしれないけれど、身分差なんてあってないような現代に於いては、別に構わないのではないかと思っている。彼女自身、身長が高めだからか、小さい、小さいと、頭を頻繁に撫でてくるのには困ったものだけれど。


 櫻子は、私の頭を撫でながら、少し太めの眉を下げて言った。


「凛太郎ちゃんは馬鹿だけど、悪い子じゃないから許してやってね。あたしたち、真宵ちゃんを歓迎してるんだから。それに、ふたりの子どもを本当に楽しみにしているんだよ。だから、遠慮なくなんでも言って?」
「はあ……」


――このふたりは、私と朧の関係が一年限定だというのは、知らないのだろうか?


恐らく、知らないのだろう。朧がどう思って、彼らに内緒にしているのかわからないが、私から明かさない方が良さそうだ。しかし、凛太郎はともかく、櫻子には随分と良くして貰っている。隠し事をするのは心苦しい。


――でも、期間限定とはいえ、ここで頑張るって決めたんだから。
 私は櫻子の腕の中から抜け出すと、神使ふたりに向かって言った。


「ありがとう。私、朧に満足して貰えるご飯が作れるように頑張るね」
すると、彼らは少しの間、互いに視線を交わしていたかと思うと、私に向かって力強く頷いてくれたのだった。