どうやら、私は軽い肺炎を起こしていたらしい。


 家の前で蹲っていたところを、近所の人に見つけて貰った私は、なんとか病院に行くことができた。栄養失調が重なっていたこともあり、弱りきっていた私は、短期入院することになった。しかし、着の身着のままだったせいで、保険証どころか現金も持ち合わせていない。そんな私を助けてくれたのは、病院へ連れて行ってくれた近所の人だ。その人は、父の代から大変良くしてくれた人で、あれこれ親身になって世話を焼いてくれた。


 そして数日後――ようやく、体調が落ち着いた私は、実家に戻ってきていた。


 シャッターが閉まった店舗前を通り抜けて、家の裏側へと進む。錆びた配管を横目に歩いていくと、古ぼけたドアがひとつ。そこが、住居部分へと繋がる玄関だ。


 そこで、鍵を持っていないことに気がついて、どきりとする。


「そうだった。入院費もご近所さんに建て替えて貰ったくらいなのに、鍵なんて……」


 その時、はたとあることを思い出した。
 ――そういえば、あの日……鍵を閉めずに出てきた気がする。


 もしかしたら、開いているかもしれない。けれど、たとえそうだとしても、これだけ長い間留守にしていたのだ。泥棒にでも入られていたらどうしよう。空き家にホームレスが住み着いていた、なんて話もある。どうしようもなく不安が過る。けれども、ここでまごまごしていても仕方がない。


 意を決して、ドアノブに手を伸ばす。


 指先に触れたそれは、やけに冷え切っていて、思わず手を引っ込めた。
 そして、私は一呼吸置くと、思い切ってドアを引いた。


 すると、蝶番が軋んだ音を立てて、ドアが開いた。やはり、開けたままだったらしい。室内に、上半身だけ入れて耳を澄ましてみる。泥棒やら不審者とご対面なんて、まっぴらごめんだ。


 恐る恐る覗いたわが家は、耳の奥が痛くなるくらい静まり返っていた。
 玄関から、入ってすぐの階段を昇った先が居間だ。階段の上の磨りガラスの引き戸には、誰の影も見えない。今のところ、泥棒や不法侵入者はいないように思える。


「……行こう」


 自分を勇気づけるように呟いて、室内に入っていく。


 窓を締め切っているからだろうか。雑音も室内までは届かないようで、階段がキシキシと軋む音がやけに大きく聞こえる。階段の途中には、食堂の備品が入っているダンボールがあちこちに置かれていて、かなり狭い。
 曇りガラスの引き戸を開けると、そこには慣れ親しんだ居間が広がっていた。特に荒らされた様子はなく、ホッと胸を撫で下ろす。


 ふと、線香の匂いがして、視線を巡らせる。そこには、部屋の広さに比べると、やたら大きな仏壇が鎮座していた。


 ゆっくりと近づいていき、遺影に手を伸ばした。うっすらと埃が積もってはいるものの、写真の中の両親の笑顔は、私の記憶の中と変わらない。


「……ただいま」


 当たり前のことだが、声をかけてみても誰も応えてはくれない。


 私は、写真の中の両親をじっと見つめると――ぽつん、と呟いた。


「……また、ひとりぼっちだ」