たまねぎとピーマンをみじんぎりに。
 ソーセージは輪切り。コーン缶は水切りをして、主役は合いびき肉。


 昼食の準備を進めながら、ふと不安になって視線を移す。


 台所は床が土間になっていて、すぐ側に板間がある。そこに、ぐったりとして意識がない陽介君を抱いた朧が座って、私の調理を見守っていた。


「……真宵、ピーマンはあまり目立たないように細かくしてくれ。大きな欠片は好きじゃないらしい」
「は、はい」


 時折、朧に指示を貰いながら調理していく。頻繁に、陽介君を連れて行こうと、あの黒い手が現れるけれど、それは朧が追い払ってくれた。けれども、黒い手が陽介君に触れた箇所が、徐々に黒く染まり始めていて、もうあまり時間が残されていないことがわかる。


 ――急がなくちゃ。でも……。
 料理なんてしている場合なのだろうか。


 そんな疑問が頭を過る。朧の様子を窺うと、特に焦っている風には見えない。


「あの、朧」


 恐る恐る声をかけると、朧は私に色違いの双眸を向けた。


「――陽介君、助かりますよね?」


 縋るような思いで尋ねる。すると、朧は小さく頷くと――。


「時が来れば」
 と、答えてくれた。


 私はそれを聞くと、大きく深呼吸をした。

 
 そして、心の中で覚悟を決めて、朧に向かって言った。


「……朧、あなたを信じます。私は、私にできることを精一杯やりますね」


 朧は、私の言葉にゆっくりと頷くと、台所の格子窓の向こうに視線を移した。そして、窓越しに見える、霧に烟っている太陽をじっと見つめていた。





「よし。下拵え終わり」


 私はふうと息を吐くと、次の工程に移った。


 合いびき肉は、予め塩で良く練っておく。肉が温まらないように注意しつつ、粘り気が出て、うっすらと白くなってきたら、そこに具材を投入。玉ねぎ、ピーマン、輪切りのソーセージ、コーン。それをしっかり混ぜ合わせたら、牛乳に浸したパン粉、卵、塩胡椒少々、ナツメグ少々。これで、肉ダネの完成だ。うまく纏まったら、小さな丸形に整形する。


「……この子どもは、それを作る時、よく母親の手伝いをしていたそうだ」


 その時、朧がぽつりと独り言のように呟いた。思わず、作業する手が止まる。


 肉の整形は、子どもにだって簡単にできる。自分が作ったものなら、普段からあまり食べない子どもも食べるなんて、よく聞く話だ。


 けれど親としては、自分ひとりでやった方が早く終わるし、あちこち汚さなくて済む。見た目だって、綺麗に仕上がるだろう。でも、一緒に料理する楽しさは格別だ。子どもにとって思い出にもなるし、学びの機会にもなる。


 ――陽介君のお母さん、ちゃんと愛情を注いでいたんだ。


 たったこれだけのことだけれど、それがわかって内心ホッとする。同時に、事情も知らないのに、母親に怒りを覚えていた自分を恥ずかしく思った。


 ――母親に大切に育てられた子を、悪霊なんかにしてたまるものか。
 決意も新たに、拳を強く握りしめる。


「ケチャップは多め、甘めの味付けだそうだ……真宵? 大丈夫か」
「はい、問題ありません」


 私は、いつの間にか浮かんでいた涙を袖で拭うと、調理を再開した。


 整形した肉ダネに、小麦粉を振りかける。それを、バターを引いたフライパンで焼いていく。じゅう、と水分が弾ける音がして、ぷんと辺りにバターのいい匂いが立ち込めた。片面に焼き目がついたら、ひっくり返し、蓋をして蒸し焼きにする。


 その間に――と、私は予め沸かしておいたお湯に、パスタを投入した。


 ……そう、私が作っているのは、ミートボールパスタだ。
 具材がたっぷり入ったミートボールを、トマト味で仕上げる。子どもはもちろん、大人も大好きな味。苦味のある野菜もたくさん食べられるようにと、具だくさんだ。


 味付け、具材、かかる手間……すべてから、母親の愛情が感じられる一品。


「よし、最後の仕上げ!」


 フライパンの蓋を取ると、赤かった肉は白っぽくなっていて、ところどころ肉汁が溢れている。余計な油をキッチンペーパーで拭き取ったら、そこにトマト缶を投入。じゅくじゅくじゅくっと赤い汁が沸騰したら、調味開始。


 茹で汁をお玉一杯分入れて、敢えてワインじゃなくて、癖のない調理酒。それにケチャップ、醤油にお砂糖少々。酸味と旨みが入り混じった匂いが広がって、唾を飲み込む。すると――。


「いい匂い……」


 陽介君が、うっすらと目を開いた。


「もうすぐできるからね。待っていて」
「うん……」


 陽介君は、朧の肩に頭を預けると、とろんとした目で私を見守っている。
 その時、陽介君が、朧を怖がる様子を見せていたことを思い出して焦る。
しかし、本人は自分が誰に抱かれているかを気にしていないらしく、素直に体を預けていた。


 ――まあ、大丈夫かな?


 私は、少し不安に思いながらも、最後の仕上げに取り掛かった。


 トマトソースが煮詰まってきたら、ミートボールを端に寄せて、そこにパスタを投入する。ソースを絡めたら、お皿に盛って、最後に粉チーズを振りかけて……。


 ――これで完成。ゴロゴロミートボールパスタ!


 陽介君を別の部屋に抱っこで連れていき、目の前にパスタを置く。すると、陽介君はふにゃっと嬉しそうに笑った。


「わあ! お肉ボールのちゅるちゅる! ……食べていい?」
「どうぞ」
「へへ……」


 陽介君は、朧に抱っこされたまま、小さな手を伸ばしてフォークを取った。
その手だって、悪霊たちに触れられて、すでに半分以上は黒く染まってしまっている。私は、朧に食事を提供する時以上に緊張して、その様子を見守っていた。


 やがて、フォークでミートボールを突き刺した陽介君は、ゆっくりとそれを口に運んだ。そして、僅かに目を見開くと、満面の笑みを浮かべた。


「ママの味……」


 ――ああ、よかった。


 朧から指示を貰いながらだったものの、違うと言われたらどうしようと不安だったのだ。ホッとしていると、陽介君は、大きなミートボールをあっという間にひとつ食べ終わり、真っ赤に染まったパスタを口に運んだ。そして、ご機嫌な様子で語った。


「うふふ。僕、知ってるんだよ。お肉の中に、ピーマンが入ってること。でも、僕はいい子だから、ママには内緒にしてあげてるんだ」
「そうなんだ」
「僕がいっぱい食べると、ママが喜ぶから。偉い?」
「うん。とっても偉い」


 すると、陽介君は照れくさそうに頬を染めると、もうひとつ、ミートボールにフォークを突き刺した。


 その様子を、黙って見つめる。お皿に盛られたパスタは、みるみるうちになくなっていき、それと同時に、陽介君の口の周りが赤く染まっていった。やがて、お皿が空になると、陽介君はまた、うとうとと微睡み始めた。


 濡らしたおしぼりを持って、ゆっくりと近づく。そして、汚れてしまった顔を拭いてやっていると、あることに気がついた。なんと、悪霊が触れて黒くなっていた箇所が、薄くなっているではないか。


「朧、これって……⁉」


 ぱっと顔を上げて、朧に尋ねる。すると、朧はゆっくりと頷いてくれた。


「――これで、もう暫くは保つだろう」
「私の作った料理を食べたせい、ですか?」
「そうだ。心から望むものを得た時、人の魂は癒やされる」


 そして、朧はゆっくりと手を伸ばすと――まるで子どもにするみたいに、私の頭をぽん、と叩いた。


「お前のおかげだ。……頑張ったな」


 大きな手に触れられて、一瞬、思考が停止する。すると、朧は僅かに視線を泳がせると、「悪かった」と急に謝ってきた。


「俺のような恐ろしいものに触れられるのは、嫌じゃないか?」


 その言葉に、私は何度か目を瞬くと、プッと小さく噴き出した。


「この間、熱が出た時……触れていたじゃありませんか」


 すると、朧はますます目を泳がせると、あれは……と、やや口ごもりながら言った。


「お前が、ああして欲しいと望んでいたからだ」
「そうですね。両親の夢を見ていましたから。父の冷たい手を、懐かしく思っていました。けれど……」


 私は朧を見つめると、小さく首を傾げた。


「あの時、朧が触れてくれて嬉しかったですよ。それに、今だって。人間は慣れる生き物なんです。確かに、朧を初めて見た時は怖かったですが……今は、そんなに怖くありません」
「……無理をしなくてもいい」
「無理だなんて!」


 なかなか私の言葉を受け入れようとしない朧に、おもむろに手を伸ばす。そして、私よりも随分と大きくて、ゴツゴツしたその手に触れて言った。


「怖くないですよ、朧。さっきの、頭をポンッてやられるの、好きです。だから、褒めたくなったら、ご自由にどうぞ」


 そして私は、眠ってしまった陽介君の頬にも触れると、しみじみと言った。


「ふたりで、この子の面倒を見ていきましょう。時が来るまで。……ね? 朧は神様なんだから、この子を助けられますよね? 奇跡だって起こせるでしょう?」


 期待を込めて、朧に笑いかける。
 そんな私を、朧は眩しそうに、うっすらと目を細めて見つめていた。