「とは言ってもなあ! なかなか、上手くいかないもんだね」
屋敷の庭にある家庭菜園。春の野菜たちが勢ぞろいしている畑の中で、私は草むしりしながら、ひとりブツブツと愚痴を零していた。
あれから、元々朧の食事を担当していた櫻子に教わりながら、色々な料理に挑戦してきた。海老のしんじょやら、煮物、お造り……今まで挑戦したことのないものを作っては、朧に出してみた。けれども、どうにも反応が芳しくない。
「なにが不満なのよ。高級な材料を使って、丁寧に作ったんだから、美味しいに決まってるじゃない」
おかげで、前よりは随分と料理について詳しくなった。プロ顔負けの櫻子に付きっきりで教えて貰ったのだから、当たり前だ。
「好きなものを訊いても答えてくれないし」
苛立ち任せに、引き抜いた雑草を適当に放る。弧を描いて、地面に落ちたそれをじっとり睨みつけて、深く嘆息する。
「どうすればいいのかなあ……」
出した料理を、美味しく食べて欲しい。それは誰もが思うことだ。
それに、私は食堂の看板娘だったのだ。両親が、料理で沢山の人を笑顔にするのを、間近で見てきた。それに、戻ったら食堂を再開しようと心に決めている。自分の料理で、誰かを笑顔にしたいという思いはある。だというのに、たったひとりすら満足させられないなんて……。
「悔しい。頑張ろ」
額に浮かんだ汗を拭って、決意を新たにする。
ゴールが見えなくて途方に暮れそうになるけれど、これも料理の修行なのだと思えば、続けられる気がする。
「さ、草むしりはおしまい! 後は水撒きかな……」
次の行動に移ろうとして、一瞬止まる。この屋敷はかなりアナログだ。野菜への水遣りは、手桶に水を汲んで柄杓で撒くという、前時代的な方法が採用されている。
「重いし、なかなか終わらないし、大変なんだよね……。ホースくらい、用意しろってんだ」
神様の住処だから、そういう現代的なものは駄目なのかしらん、なんて思いながら水場に向かう。すると、植木の影から朧が現れた。
「ひゃっ……⁉︎ あ、ああ。朧、どうしたんですか?」
「……いや」
朧はそれだけ言うと、のそのそと去って行った。
「な、なんなの?」
バクバクと早鐘を打っている心臓を宥めながら、改めて水場に向かう。
するとそこに、予想だにしないものを見つけて、口を開いたまま固まった。
――何故ならば、水場の横に、真新しい巻き取り式ホースが鎮座していたのだ。
「……どういうことなの」
今朝までは汲み取り式だったトイレが、最先端のウォシュレット付きに変わっている。かまどしかなかった台所に、三口コンロが設置されている。布団が、いつのまにかローベッドに変わっている――等々。
「真宵ちゃん、愛されてるねえ……」
「そういう問題じゃないと思うの」
櫻子が用意してくれたおやつを縁側で食べながら、ひとりボヤく。
これはすべて朧の仕業らしい。どうやら私の夫は、妻の希望を「勝手に」叶えまくっているようだ。
「こんなにお金使って。大丈夫なの?」
思わず天を仰ぐと、隣でモリモリおやつを食べていた櫻子が笑った。
「あはは。大丈夫、大丈夫。化け神さん、お仕事してるからね〜。気にしなくてもいいと思う。それに、配偶者が過ごしやすいように棲み家を整えるのって、動物だってすることでしょ」
「それにしたって、見境なさすぎでしょ……」
ちらりと庭に目を向ける。大きな松の向こうに、背の高い男の人がいるのが見える。あれは、どうみても私の旦那様だ。なんとなく、手を振ってみる。すると、朧はピクリと体を強張らせると、尻尾を軽く一振りした。
「なんなの……」
――怖い、はずなんだけどなあ。
物陰から、じっと私を見つめている朧。その視線からは邪な印象は受けない。むしろ、構ってくれない飼い主を見つめる大型犬みたいだ。
そんなことを思いながら、おやつを齧る。櫻子の作ったあんころ餅は、程よい甘さで食べる手が止まらない。
するとそこに、大量のシーツを抱えた凛太郎が通りがかった。
「僕がこんなにも忙しくしているというのに、優雅にティータイムですか? いいご身分ですね……って、痛い! 櫻子、痣になるだろ!」
凛太郎が脛を押さえて蹲っている。それを横目で見ながら、ぽつりと呟く。
「朧、ああやって私のことよく見てるんだよね。なんだろう、監視してるのかな」
すると、痛みのあまりに涙目になっている凛太郎が鼻で笑った。
「ふん、なにを馬鹿なことを言ってるんです? あれは、ただ単にキミが心配なだけでしょうに」
「……」
――モヤモヤする。
怖くて、恐ろしくて、化け物で神様。なのに、妻をないがしろにしない優しい夫って、一体なんなのだろう。騙されている……訳ではないと思うけれど、それでも、あの初夜に遭遇した朧の姿を思い出すだけで震えそうになる。
「……ごはん、美味しいって言ってくれない癖に。わけわかんない」
私は、混乱し始めた思考から目を逸らして、渋いお茶を勢いよく啜った。
屋敷の庭にある家庭菜園。春の野菜たちが勢ぞろいしている畑の中で、私は草むしりしながら、ひとりブツブツと愚痴を零していた。
あれから、元々朧の食事を担当していた櫻子に教わりながら、色々な料理に挑戦してきた。海老のしんじょやら、煮物、お造り……今まで挑戦したことのないものを作っては、朧に出してみた。けれども、どうにも反応が芳しくない。
「なにが不満なのよ。高級な材料を使って、丁寧に作ったんだから、美味しいに決まってるじゃない」
おかげで、前よりは随分と料理について詳しくなった。プロ顔負けの櫻子に付きっきりで教えて貰ったのだから、当たり前だ。
「好きなものを訊いても答えてくれないし」
苛立ち任せに、引き抜いた雑草を適当に放る。弧を描いて、地面に落ちたそれをじっとり睨みつけて、深く嘆息する。
「どうすればいいのかなあ……」
出した料理を、美味しく食べて欲しい。それは誰もが思うことだ。
それに、私は食堂の看板娘だったのだ。両親が、料理で沢山の人を笑顔にするのを、間近で見てきた。それに、戻ったら食堂を再開しようと心に決めている。自分の料理で、誰かを笑顔にしたいという思いはある。だというのに、たったひとりすら満足させられないなんて……。
「悔しい。頑張ろ」
額に浮かんだ汗を拭って、決意を新たにする。
ゴールが見えなくて途方に暮れそうになるけれど、これも料理の修行なのだと思えば、続けられる気がする。
「さ、草むしりはおしまい! 後は水撒きかな……」
次の行動に移ろうとして、一瞬止まる。この屋敷はかなりアナログだ。野菜への水遣りは、手桶に水を汲んで柄杓で撒くという、前時代的な方法が採用されている。
「重いし、なかなか終わらないし、大変なんだよね……。ホースくらい、用意しろってんだ」
神様の住処だから、そういう現代的なものは駄目なのかしらん、なんて思いながら水場に向かう。すると、植木の影から朧が現れた。
「ひゃっ……⁉︎ あ、ああ。朧、どうしたんですか?」
「……いや」
朧はそれだけ言うと、のそのそと去って行った。
「な、なんなの?」
バクバクと早鐘を打っている心臓を宥めながら、改めて水場に向かう。
するとそこに、予想だにしないものを見つけて、口を開いたまま固まった。
――何故ならば、水場の横に、真新しい巻き取り式ホースが鎮座していたのだ。
「……どういうことなの」
今朝までは汲み取り式だったトイレが、最先端のウォシュレット付きに変わっている。かまどしかなかった台所に、三口コンロが設置されている。布団が、いつのまにかローベッドに変わっている――等々。
「真宵ちゃん、愛されてるねえ……」
「そういう問題じゃないと思うの」
櫻子が用意してくれたおやつを縁側で食べながら、ひとりボヤく。
これはすべて朧の仕業らしい。どうやら私の夫は、妻の希望を「勝手に」叶えまくっているようだ。
「こんなにお金使って。大丈夫なの?」
思わず天を仰ぐと、隣でモリモリおやつを食べていた櫻子が笑った。
「あはは。大丈夫、大丈夫。化け神さん、お仕事してるからね〜。気にしなくてもいいと思う。それに、配偶者が過ごしやすいように棲み家を整えるのって、動物だってすることでしょ」
「それにしたって、見境なさすぎでしょ……」
ちらりと庭に目を向ける。大きな松の向こうに、背の高い男の人がいるのが見える。あれは、どうみても私の旦那様だ。なんとなく、手を振ってみる。すると、朧はピクリと体を強張らせると、尻尾を軽く一振りした。
「なんなの……」
――怖い、はずなんだけどなあ。
物陰から、じっと私を見つめている朧。その視線からは邪な印象は受けない。むしろ、構ってくれない飼い主を見つめる大型犬みたいだ。
そんなことを思いながら、おやつを齧る。櫻子の作ったあんころ餅は、程よい甘さで食べる手が止まらない。
するとそこに、大量のシーツを抱えた凛太郎が通りがかった。
「僕がこんなにも忙しくしているというのに、優雅にティータイムですか? いいご身分ですね……って、痛い! 櫻子、痣になるだろ!」
凛太郎が脛を押さえて蹲っている。それを横目で見ながら、ぽつりと呟く。
「朧、ああやって私のことよく見てるんだよね。なんだろう、監視してるのかな」
すると、痛みのあまりに涙目になっている凛太郎が鼻で笑った。
「ふん、なにを馬鹿なことを言ってるんです? あれは、ただ単にキミが心配なだけでしょうに」
「……」
――モヤモヤする。
怖くて、恐ろしくて、化け物で神様。なのに、妻をないがしろにしない優しい夫って、一体なんなのだろう。騙されている……訳ではないと思うけれど、それでも、あの初夜に遭遇した朧の姿を思い出すだけで震えそうになる。
「……ごはん、美味しいって言ってくれない癖に。わけわかんない」
私は、混乱し始めた思考から目を逸らして、渋いお茶を勢いよく啜った。