海琉に促され、私は和田先生に電話を掛けた。


『もしもし、神崎さんかな?』


コール音が鳴る前に聞こえた和田先生の声に、少し驚いた。


私から電話があるのを、スマホを見て待っていたのだろうか。


「はい、そうです。何かわかりましたか?」


『ああ、思ったよりも簡単に記事が見つかった。あの日記に日付けが書かれていたのが大きかったね』


「ほ、本当ですか?」


先生が調べた当時の新聞の記事にはこうあったという。


昭和55年8月2日に部活動に行った女子学生が、その日家に帰ってこなかった。


親に何も言わずに外泊をするような子ではなかったというが、両親は一晩だけ待って、それでも帰宅しなかったのを心配し、警察に行ったのだそうだ。


でも、その女子学生の行方は結局わからないままで。


今でも未解決の行方不明事件になっているとの事だった。


『それでね、その行方不明になった生徒の名前なんだけど……「篠目(しのめ)ふみ」というらしいんだ』


「8月2日に行方不明……」


あの日記の内容と照らし合わせると、その篠目ふみで間違いないように思える。


つまり、その日……篠目ふみは作業服の男達に乱暴されて殺された……という事なのだろう。