【完】LIFE~君と僕の恋愛~








「うん、ありがとう」





 今までまともに返事をしてこなかった莎奈匯の告白に、僕は初めて答えた。

 莎奈匯は微笑み、軽く頷いた。口角を上げ、必死に笑顔をつくる。その表情はすぐに崩れてしまった。





「……死にたくない、死にたくないよ……」





 莎奈匯の声は震えていた。

 僕は堪え切れなくなり、視線を逸らした。





「もっと、生きたい……」





 勇気づける言葉もかけてやれないまま、啜り泣く声が病室に響く。

 ようやく落ち着いた莎奈匯は、再び虚ろな瞳に戻り、真っ白な天井を見つめた。何度か心拍数を上下させ、莎奈匯は深い溜息をついた。





「ねぇ、お母さん」





「ん?」





 莎奈匯は母親に問いかける。





「わたし、またお母さんの娘に生まれてきたいな。今度は、元気で」





 莎奈匯は瞳を閉じたまま言った。





「絶対よ」





 莎奈匯の母親は、泣いてはいなかった。





「うん。約束……お母さん」





「ん?」





「ありがとう」








 *   *   *





 その日の夕暮れ、莎奈匯は静かに息を引き取った。



 正午を過ぎた頃から彼女の意識は朦朧としていた。言葉が通じているのか分からなかったが、僕は莎奈匯が目覚めるたびに優しく声をかけた。莎奈匯の手をしっかりと握りながら、声をかけ続けた。正常だった心電図の動きが止まった瞬間から消えていく手の温もり。

 穏やかな最期だった。誰も声を荒げることなく、ただ目の前の死を見つめていた。





「莎奈匯、お前は幸せだったのか?」





 莎奈匯の最期は、穏やかな笑顔だった。









 *   *   *





「聞いたよ、莎奈匯ちゃんのこと」





 後日、事情を知った那音が心配し、電話をかけてきた。

 僕の心は、強い恐怖に染まっていた。息を引き取った莎奈匯の姿は、未来の自分を見ているようだった。

 たった一人の愛する人を置いて、僕はいなくなってしまう。海愛の人生において、それは障害にならないだろうか。





「お前、大丈夫か?」





「大丈夫だよ」





 そんな弱気なことを考えていたから。



 一週間が経過した。

 いつものようにベッドから起き上がり、朝食を食べる。その後は、大量の薬を水で一気に流し込む。

 朝が過ぎ去ると、僕は携帯電話の履歴を確認する。携帯電話を取り出すたびに海愛とお揃いの指輪が揺れた。

 莎奈匯の一件以来、僕は保健室に通かようことを止めた。あの場所には思い出がありすぎる。

 脳裏に莎奈匯の笑顔が焼きついて離れない。



 莎奈匯。そっちは楽しいか?



 空を見上げて流れる雲を見つめ、僕は微笑む。頬を涙が伝う。

 秋の風が、頬を掠めていった。













 夢を見た。白黒の世界。ノイズが視界の邪魔をする。

 僕はそんな空間に立ち尽くしていた。





「やめろ……やめてくれ」





 僕は身体をガタガタと震わせ、泣いていた。瞳孔が開き、視線が定まらない。様々な幻覚が襲っていた。





「蓮、ありがとう」





「蓮! 大好き」





 莎奈匯、海愛。その他、関わりを持った沢山の人の声が、顔が、ノイズ混じりに僕の視界を通り過ぎていく。

 擦り切れたレコードのような視界は、沢山の思い出を蘇よみがえらせ、消えていく。みんな、消えていく。





「やだ……いやだ」





 行かないで。僕を置いて行かないでくれよ。怖い。一人は、もう嫌なんだ。

 瞳から涙があふれ出す。ずっと堪えていた感情が、濁流となって僕を襲った。





「嫌だあああああああああっ!」





 夢の中の僕は頭を抱え、その場に蹲うずくまる。どうすることもできないまま、僕は叫び続けた。

 どうしてこんな悪夢を見なくてはならないのだろう。勘弁してくれ。





「助けて……」





 僕の意識はそこで途絶えた。








   *   *   *





 十二月。僕は海愛と通学するため、いつものように約束の場所へと急いでいた。

 莎奈匯が亡くなったという事実は学校内でも有名な話だった。日頃から素行が悪かった莎奈匯の校内評判はあまり良いとは言えず、莎奈匯の死をふざけた理由で馬鹿にする生徒もいた。そんな光景を目にするたび、必死に殴りたくなる衝動を抑えた。

 風化とは恐ろしいもので、莎奈匯の話題を口に出す者も時間の経過と共に少なくなっていった。それがなんだかとても悲しかった。





「あ、蓮! おはよう」





「おはよう、海愛」





 十字路の角に海愛は立っていた。





「遅かったね」





「ごめん、寝坊した」





「ふーん。蓮も寝坊するんだね! 私なんて、しょっちゅうだけど」





「威張ることじゃないだろ」





「えへへ」





 最近の海愛は、僕を呼び捨てにすることに抵抗を持たなくなったようだ。

 初々しさの代わりに変わっていく関係の変化に時間の経過を感じ、嬉しくなる。









 那音が転校してからの僕は、一人で過ごす時間が多くなっていた。



 以前は保健室で時間を潰すこともあったが、莎奈匯がいなくなった今、あの場所はツラい記憶が蘇るだけだった。

 僕は一人でいることに執着していた。それでも僕は現状を打開しようと努力した。クラスメイトの誘いを断ることなく受け、会話をするようになった。勉強が分からない奴には教えてやり、冗談にも笑うようにした。

 人間とは単純なもので、次第に人が集まるようになった。僕の変化を感じたクラスメイトたちは、口々に言った。





「櫻井って、怖くて今まで近寄れなかったけど、話してみると結構いい奴だった」





 今までは高く積み上げた心の壁が、周囲との間に更なる溝を作っていた。

 そんな日常を変えてくれたのが、海愛。彼女と出会い、笑うことを覚え、心から人を想い愛する気持ちを知った。失いかけていた感情を、海愛が蘇らせてくれた。

 海愛が僕の人生を変えた。それは過言ではない、と思っていた。



 僕は授業を受けながら、窓際の席から空を見上げる。澄み切った青空に飛行機雲が浮かぶのが見える。その時だった。





「櫻井くん! 君はいつも私の授業をまともに聞いていないね? 立って黒板の問題を解きなさい」





 教師に名指しされた僕は溜息をつき、仕方なく黒板に向かう。

 指定された問題は、今回のテスト範囲とは全く関係のない場所。教師を睨みつけると、彼は得意気な表情を見せる。

 そういう人間なのだ。できる生徒を指定し、間違いを強く否定する。教師失格だ、と僕は心の中で悪態をつき、諦めてチョークを手に持った。

 試験の範囲外だからと言って、解けない問題ではない。

 僕は表情を崩さずにサラサラと黒板に解答を記入する。悩むことなく英語の長文を書き終える。





「できました」











 試験の範囲外の問題に、周りがざわつく。

 クラスの反応に教師は「うっ」と気まずそうな表情をする。これが毎回なのだから、評判は最悪だ。





「せ、正解だ……皆もテストには関係ないが、補足として覚えておくように」





 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら教師はその後、僕の解答を模範解答として、くどくど説明を続けた。

 僕は苛立ちを抑えるかのように、シャープペンシルの芯をカチカチと出し続けた。










 *   *   *







「蓮! もうすぐクリスマスだね」





 海愛は僕の腕にすがりつく。





「そうだな」





 海愛とつき合いだしてから、半年が過ぎようとしていた。来週にはクリスマスが迫っている。





「買い物して、僕の部屋でクリスマスしようか」





 僕の言葉に、海愛は満面の笑みを浮かべた。





「本当? 嬉しい! でも、お母さんと過ごすんじゃないの?」





「母さんにさ、海愛を今度ご飯に連れてきなさいって言われてたんだよ。丁度いいし、クリスマスの夕飯食ってけば?」





「いいのかな」





「僕は来てほしいな、海愛に」





 僕の要望に、海愛は即答した。





「行く、行きます」





「じゃあ決まりな」





 海愛は僕に寄り添い、嬉しそうに微笑んだ。








 *   *   *





 十二月二十四日。

 僕らは近くのデパートでケーキを選んでいた。

 さすがに人が多い。離れないように手を繋ぎながら、僕らは足を進める。ケーキのディスプレイを見つめながら、海愛は「うーん」と唸り声を上げた。





「どっちにしようかな」





 生クリームの上に苺がふんだんに使われたケーキと生チョコでアイシングされたケーキを交互に見つめる海愛。

 その姿が可愛らしく、思わず微笑んでしまう。





「海愛が好きな方を選んでいいよ」





 僕は甘いものが苦手だった。しかし今日は特別だ。彼女の喜ぶ顔が見れるなら、好き嫌いなど、問題ではない。

 海愛は悩んだ末に一つのケーキを指差した。





「これ!」





「わかった、これでいいんだな」





「うん!」





 海愛が選んだのは生クリームがスポンジ生地に塗られ、沢山の苺があしらわれたケーキ。

 会計を済ませると、海愛は幸せそうな表情を浮かべていた。





「食べるの楽しみ!」





「ああ、言い忘れてたんだけど……」





「なに?」





 帰り道、突然立ち止まった僕に海愛は首を傾げた。大きな宝石のような茶色い瞳がきゅるりと僕を見つめる。