ベースを弾くことになった宗助は、以後ベーシストとして活動するようになった。

バンドの作詞作曲も宗助が全て担当した。

「宗助も1曲くらい歌えばいいのに」

メンバーはそう言ったが、
「僕には歌の才能はない」

宗助はそう言って断った。

高校を無事に卒業すると、宗助は18年間育った養護施設から旅立った。

大学進学を期に上京した宗助だが、目的はただ1つしかなかった。

それは、“ミュージシャンとして有名になって、父親に会うこと”である。

文学部英文学科に入学した宗助は、軽音楽のサークルに入った。

そこで出会ったのは、同じく英文学科に通う武藤と言う同級生の男だった。