「アコちゃん? おーい、アコちゃん。もしかしてかぜひいた? あ、パーカーはおる?」
 フリーズ状態だったわたしが再び通常運転を開始したのは、何かを勘違いしたらしい先輩が好意で赤いパーカーをかけてくれた時のこと。
赤いパーカーがトレードマークの円城先輩は非常によく目立つ。そんな彼がパーカーを脱げば、自ずとそれが移動した方向に視線は流れていく。つまり今回はわたしである。登校中の生徒たちは足を止め、わたしに注目する。
「円城先輩がパーカーを!」
「え、やっぱりそういう関係なの!?」
「あのウワサ、本当だったんだ……」
 目立つのは好きではない。けれどざわめきは静まるどころか次第に広がっていくばかり。途中、耳にとどいた『あのウワサ』の内容はわからない。けれど確実に言えるのは、いろいろと手遅れということだ。どこからやり直せば良かったのかは分からない。けれどこうなるキッカケは赤いパーカーで、これから広まるだろうウワサの引き金もまた赤いパーカーなのだ。
 高校に入学してから2ヶ月ほど。まだまだぴっかぴかの一年生であるわたしは今日からしばらく学園中の注目の的になることだろう。今からすでに胃が痛くなってくるが、せめてもの救いは味方がいることだろう。
「アコちゃん、大丈夫? じゃないよね。ちょっと我慢してね」
 ああ、胃が痛い。
 おなかの辺りをさすって精神的な痛みを紛らわせていると、足下がふわっと浮き上がった。気持ち的な問題、なら良かったのだけど、視線もほんの少しだけ上昇した。その理由は――
「せ、先輩! なにしてるんですか!」
 円城先輩がわたしの身体を抱き上げたから。女の子のあこがれ、お姫様抱っこというやつだ。例にもれず、わたしも幼い頃に憧れてはいた。けれど学年もごちゃまぜの観衆の前で披露されるなんて、そんなの夢に見た覚えはない。至近距離には円城先輩の顔。近くで見るとカッコよさが倍増どころの騒ぎではない。乙女心が躍り出してしまいそうだ。けれどそれよりも視線が。突き刺さるような視線が痛すぎる。降ろして~とSOSを送るが、先輩にそれは通じない。味方のみっちゃんもすでに自販機へと旅立ってしまった。
「無理しないでいいから。保健室に行こうか」
「無理とかじゃなくて」
「ああ、日の光がまぶしいか。なら顔を俺の方向に……」
 さすがイケメン。気遣いも出来るなんて、女子一同が惚れるのも無理はない話だ。
 こんな近くにいたら、わたしの胸の音、聞こえちゃわないかな?
 恥ずかしさで熱くなる顔は先輩の胸へと抱きかかえられる。先輩には善意しかないのに、わたしだけ勝手が緊張して身体をこわばらせる。
「アコちゃん。すぐ着くからね」
「は、はい……」
 早く着いて、と願いながら目を閉じる。するとすぐ近くでドキドキと胸の鼓動が聞こえる。わたしの音だ。ああ、恥ずかしい。小さく震えながら自分で自分の手を包み込んだ。
「先生、ベッド空いてる?」
「あら円城くん。どうしたの?」
「アコちゃんが調子悪いみたいなんだ」
「ならそこのベッド使いなさい」
「ありがとう」
 体調は悪くないんです、なんて言い出せずにベッドにゆっくりと降ろされる。
「みっちゃんには伝えておくから。ゆっくり休むんだよ」
「はい。すみません」
「気にしないで。じゃあ一限が終わったら様子見に来るから。アコちゃんはしっかり寝てなよ」
 円城先輩は慣れた様子でわたしの頭に手をのばすと、髪をすくようになでてくれた。温かくて大きな、とても落ち着く手。眠くなんてないのにゆっくりと眠りに誘ってくれるその手は、ほかの子にも伸ばされたことがあるのだろうと想像すると胸がチクリといたんだ。
ああ、そっか。わたし、円城先輩のこと好きなんだ。
珍獣枠だし、先輩からすればわたしなんて犬と同じ。ふつうの女の子として見てもらえたところで、先輩は学年を問わず人気者で、わたしからすれば高嶺の花。好きになったところでかなうわけない。失恋が確定しているのに自分の気持ちに気づくなんて……。よく、初恋は実らないって言うけど、あれって本当なんだ。みっちゃんみたいにアタック出来たらそんな誰が言い出したかも分からないことを吹き飛ばせちゃうのかもしれないけど、わたしじゃあ無理だ。せいぜい先輩に彼女が出来るまでの間、胸の中にできた小さなお花を育てるだけ。自分がイヤになりながら、布団で顔の半分まで覆った。