まだざわざわと音を立てる胸を鎮めたくて、短く息を吐く。 スマートフォンをベッドに放って、重たい足をのろのろと引き摺って洗面所で顔を洗って、歯を磨いた。 

服を着替えて、寝間着と溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込んだ。 その場にしゃがみ込んで、薄暗く透けた扉の向こうで泡まみれになってぐるぐると回る洗濯物をぼうっと眺める。 視点を近づけると、扉に反射した自分の顔が映っていた。 伸びた前髪を掻く。

立ち上がって、紙が散乱したままの部屋に戻った。

昨日まで、僕は風邪を引いていたようだ。 少し鼻が詰まっている感じはするけれど、もうずいぶん良くなった。

しかし、昨日は身体の具合が悪かったこと以外にも、気分が良くなかったのだろうかと、部屋を見て思う。 ノートには、風邪の具合のことし書かれておらず、部屋に紙が散乱している理由は書かれていなかった。

だけど、6月だからなぁとぼんやり思う。 僕が事故に遭ったのも、両親を事故で亡くしたのも、僕の誕生日も、6月だ。

日にちは違えど、なんとも縁のない月だ。 

だから、紙を部屋にばら撒いたのはノートを書いた後なのだろう。 落ちている紙を拾い上げると、その紙は事故に遭ったばかりの僕が書いたノートのページだった。


“6/31 入院して今日で4日目になる。 先生に今日から日記をつけるよう言われた。 でも、何を書けばよいか分からない。”

“7/4 そういえば、入院してからなんだか頭がぼーっとしている気がする。 それ以外に変わったことはない。”

“9/13 この2か月間、なんだか自分が周りから置いていかれている感覚になる もう、仕事もままならない。 スケジュールをメモに残しても、記憶が抜け落ちて予定通りに動けない。 今日も失敗して、メイワクをかけた”

“9/25 自分に腹が立つ、なぜ忘れる 忘れたことも忘れて、これじゃあ使い物にならない”

“10/29 朝起きてからカレンダーを見るが、今日が何日なのか分からず混乱する スマホを開けば分かるが、知らない人からメッセージが来ている。 
 こんなのが、これからずっと続くのかと思うとぞっとする、”

“11/5 周りに迷わくをかけてばかりだ、なのに、迷わくをかけてしまった人の名前も思い出せない
 もう自信がない、メモを残したって明日には忘れてしまう 意味がない、なんのためにこんなことをしてるんだ”

“1/9 生きているのがつらい もう僕は”

そこまで読んで、顔を上げた。 紙にしわが入って、文字が滲んで歪んでいる。 泣きながら書いたのか、読みながら泣いたのかなと思う。 だから、いまはこれ以上読み続けるのは無理だと思って、ゆっくりと深呼吸をする。

僕の記憶障害には、ある程度回復した機能とそうでない機能とのムラがある。 その理由は、リハビリが終了する前に僕は逃げ出してきたからだ。

耐えられなかった。 いっそ、自分が障害者だということさえ忘れられれば楽になるのだろうかと思ったが、なぜかそれだけは思い出せる。