僕は視線を自分の手に落とす。

僕がはじめて触ったカメラは、父の形見だった。 そのカメラで写真を撮るのが、僕の趣味だった。 写真は、思い出を形として残せる。 それが何よりも魅力的で、父がこのカメラで思い出を残そうとしたと思うと、切なかった。 それが、中学生の頃。

高校に入ってから写真部に入部して、顧問の薦めでフォトコンテストに応募したら優勝した。 僕よりも顧問が喜び、顧問よりも、祖父が喜んでいた。

それからも写真を撮り続けた。 いくつかコンテストに応募し、いくつかの賞をもらって、僕の写真が——もう名前は思い出せないけれど——何人かの大人の目に留まり、写真撮影の依頼が舞い込んできて、いつしか、写真を撮ることそのものが僕の仕事となっていった。

初めは、確かに嬉しかった。 なんだかよく分からないが、自分は運が良いなあと思ったし、認められているんだと感じた。

それなのに、いつの間にか自分が撮りたい写真よりも周りから要求される写真を撮るばかりになってしまって、次第に、ただただつまらなくなった。 僕自身の思い出を撮ることは、めっきり減った。

それに、周りから言われるがまま撮った筈の写真なのに、僕の名前で世に出ていくことに違和感があった。

それでも、生きていくにはやるしかなかった。 僕は自分の理想を貫くほど芯が強くはないし、頼れる身寄りもその時にはもういなくて、誰かに頼るよりも周囲の期待に応えることに必死だった。

そうしているうちに、こんなことになってしまったのだ。

記憶が落ちるようになってからは、自分の記憶の為に写真を撮ろうとしたけれど、そうなってしまった僕が生活していくには文字のない写真だけの情報では全く足りなかった。 

好きだったことが、再び苦痛になっていく。 あの絶望感は、思い出したくもない。

だから、カメラには触らないようにしていた。 だけど、どうして……。

僕は、再び芳治さんの日記に視線を落とした。