「・・・リツ」

 ホテルの部屋を出る前に、叶はあたしをソファに座らせて言った。

「何も訊かずに、僕に君をくれないか」
 
 目の前に跪いた彼があたしを見上げる。
 穏やかに凪いだ眼差し。
 あたしはただ見つめ返すだけ。

「・・・リツは僕に言うことを利かされるだけだから、仕方無くでいい。君が思ってるよりずっとね、酷い事を言える人間だから僕は」

 儚く笑う。

 ・・・叶の言葉を、あたしはどこか遠くに聴いていた。
 現実味があるようで無いようで。
 ここに居る自分は・・・〝明日〟さえ曖昧で。
 背徳すら畏れずに叶を選んだ自分が。
 ・・・自分が一番驚いている。

 子供の頃からどっちかと言うと、先生には好かれる真面目っ子だったんだから。
 家族の顔が浮かんだ。
 友達の面影も幾人か過ぎって。 
 でもどうしてか。
 叶を置いてゆけない。
 ・・・揺るぎなく見えたのに。
 貴方の眸が揺れたから。
 激情のままにあたしを抱いたから。
 
 一番人間らしく、貴方を。
 とても、とても愛おしいと思ったから。
 だから。

「・・・全部あげる。叶に」


 ほら。
 また。
 貴方の眸が微かに揺れた。
 あたしは笑おうとして、笑えてたのかどうか。
 彼が両手を伸ばしあたしの頬を包み込んだ。

「僕が奪うんだよ、君を」

 真っ直ぐに見つめる眼差し。 


 
「・・・リツは僕に浚われた、ただの人形だ。憶えておきなさい」