「どうした? 気分でも悪いのか?」

――いいえ。悪いのは、私の要領です。

「……大丈夫です」

 心配げに問う課長に小さく頭を振って、私は、とぼとぼと歩き出した。

 エントランスを抜けてエレベーターホールの前まで来ると先客の姿は既になく、ほっと胸をなで下ろす。

 ブラウスの胸元は血もどきの赤ワインで汚れまくっているし、真夜中だし。

 狭いエレベーターの中で、ご近所さんと顔を突き合わせるのは、さすがに心臓に悪い。

「課長、ここで大丈夫ですから」

 上がっていたエレベーターが戻ってくるのをぼんやりと目で追いながら、私は、告白とは程遠い言葉を口にする。

 今日は、色々ありすぎた。

 危機一髪の救出劇から、病院搬送。

 それに、課長の実のお母さんとの対面。

 さっきのヘッドライトの洗礼で、積年の想いを告げるだけのエネルギーが切れてしまった、というのが正直なところ。

 付き合わされた課長だって疲れているはず。

 これ以上、迷惑はかけたくない。

 明日も仕事があるんだから、少しでも早く休んでほしかった。

 でも課長は、やんわりと笑顔で私の言葉を退ける。

「部屋まで送るよ」

「でも、もうこんな時間ですし」

「部屋まで送る」

「でも……」

「それくらいは、させてくれてもいいだろう? ちゃんと部屋まで送り届けないと、心配で帰れない」

 そんなふうに言われたら、心配の種をまいて巨木に育ててしまった私には、返す言葉が見つからない。