――私は、バカだ。
何を、怖がっていたんだろう。
自分の最大のウィークポイントをさらけ出そうとしているのは、課長だ。
課長の方が、きっと私の何倍も怖いはずなのに。
私は、さっきまで病室に入るのをためらっていた自分を恥じた。
そして、せいいっぱいの笑顔を浮かべ、「失礼します」と病室の入り口でペコリと頭を下げ、一歩、足を踏み入れた。
明かりの落とされた薄暗い室内に、低い機械音が間断なく響いている。
十二畳ほどの部屋のの中央、白いカーテンが引かれた大きな窓を背にして、ベットが一台設置されていた。
枕元の左側には、生命維持装置らしき医療機器が物々しく並べられている。
慣れた様子で枕元の右側、ソファーセットの置かれた方へ足を進めた課長は、枕元のヘッド・ライトのスイッチを入れた。
ぼんやりとした明かりが、ベットに横たわる人物の姿を薄闇にくっきりと浮かび上がらせる。
薄明りのせいだけではないだろう、青いほどの白皙の肌には、生気というものがまったく感じられない。
骨格が浮き出た、細すぎる顔の輪郭。
硬く閉じられた、落ちくぼんだ目蓋。
人工呼吸器を取り付けられた、その人は、まるで野に咲く花のように、ひっそりと眠っていた。
あまりの儚さに、その痛々しさに、なんと言っていいのか分からない。
九年間。
けっして短くはないその時間を、課長は、どんな気持ちで見守り続けてきたんだろう。
目を覚まさない母を。
たぶん、刻々と、痩せ衰えていくその姿を。
――痛い。
胸の奥が、鷲づかみにされたように、痛い。
目頭が一気に熱くなり、こみ上げてくるものを必死で押しとどめる。
――私が、泣いてどうするんだ。
その資格があるのは、課長だけだ。
ギュッと両手を握りこみ、静かに眠るその人に、心を込めて頭を下げる。