エレベーターに乗り込み上昇を始めても、私はまだためらっていた。

 このまま、課長と一緒に病室に向かうことを。

 私は、怖いのかもしれない。

 言葉の上だけではなく、変えようがない現実を見せつけられることが、怖いのかも。

 九年前の交通事故以来植物状態で眠り続けているという、課長のお母さん。

 その人と対面した瞬間、いったい私は、どんなことを思うのだろう? 

 うまく、想像ができない。

 チン、とエレベーターの到着を知らせるベルの音に、考えに沈んでいた私はハッと現実に引き戻される。

 言葉もなく、ただ、半歩先を歩く課長の揺れる背中を見つめながら付いていく。

 ほどなく、個室のドアの前で課長は足を止めた。

 パステルブルーのスライドドアの白いネームプレートには、『榊陽子様』の文字が書かれている。

 さかき ようこ。

 それが、課長のお母さんの名前。

 カラリとスライドアを開けた課長は、私を振り返り静かに口を開いた。

「……よかったら、会ってやってくれないか?」

 口元に浮かんだのは、穏やかな、微笑。

 でもその瞳はどこか寂しげで、とても不安げに見えた。

 いつも自信満々で大人で、隙の無い課長のこんな気弱そうな表情は今まで見たことがない。

 そんな表情を目の当りにしていたら、胸の奥にズキンと言いようのない痛みが走った。