私の答えを聞いて、ホッとしたように、落とされる溜息。

 続いたのは、私が予想もしなかった言葉だった。

「ありがとう」

 シンと静まり返った深夜の病室に、穏やかな声が優しく響く。

「……え?」

――お礼を、言われてしまった。

 なんに対する礼の言葉なのか把握できない私は、疑問の眼で課長を見つめ返す。

「また、名前を呼んでもらえるなんて、思ってもいなかった」

 伸びてきた大きな手のひらが、私の頬を優しくなぞる。

――温かい。

 親指の腹で涙の後をそっと拭うと、手のひらは、静かに離れていく。

 その温もりが名残り惜しくて、私は思わず身を乗り出し、両手で課長の手のひらを、はっしと掴んでしまった。

 引っ込めようとした手を鷲掴みされた課長は、驚いたように目を丸めている。

 そりゃそうだ。いきなり泣き出したと思ったら、次はコレだ。

 課長の驚きは、もっともだ。

 一番、私自身が驚いている。

 猫じゃらしに反射的に飛びつく猫のごとく。

 ほとんど本能的とも言える制御不能な自分の動きに、とっちらかった脳細胞は上手いフォローを入れてはくれない。

「え、あのっ、これは、その……課長の手が温かかったので、また、熱でもあるのかなぁと……」

 しどろもどろに、口から飛び出したのは、一か月以上も前の出来事。

 いくらなんでも、脈絡が、なさすぎだろう、私。

「そうか? 別に、自覚は無いけど?」

「そうですか。そうですよね。それならよかったです」

 あははは、と、盛大に引きつった笑いを浮かべつつ、両手で掴んでいた課長の手をそっと放そうとしたら、今度は逆に掴まれてしまった。

 そのまま大きな両手で握りこまれ、全身ピキリと固まった。