たぶん、こんなふうに課長と二人っきりになれるチャンスは、そうそうこないだろう。

 いつか美加ちゃんが言ってた『チャンスの神様』が、今まさに私の前を通ろうとしている。

ここでタイミングを逸してしまったら、もう二度と口にすることはないだろう言葉。

 今なら、言える気がする。

 風間さんの笑顔に背中を押され、パイプベットに預けていた背筋をピンと伸ばした私は、チャンスの神様の前髪をしっかり掴むために、静かに口を開く。

「あの、谷田部課長――」

「うん?」

 まっすぐ向けられる眼差しはひどく優しくて、なんだか、それだけで胸がいっぱいになってしまった。

 色々な感情が入り乱れ、涙腺がかなり怪しく熱を帯びる。

――がんばれ、梓。

 言葉にしなくちゃ、何も伝わらないよ。

 なけなしの勇気を総動員。私は、自分をせいいっぱい鼓舞して、もう一度口を開く。

「……東悟」

 掠れる声でその名を呼べば、名前の持ち主は心底驚いたように目を見張った。

 そして浮かぶこの上もなく照れくさげな、特上の笑顔。

――は、反則だ。

 その笑顔は、反則すぎるっ。

 ますます熱を帯びた涙腺は、ついに、ポロリと決壊してしまった。

 ポロポロ、ポロリ。

 それを皮切りに、次々にあふれ出る涙の雫が頬を濡らし、強く握りこんだ手の甲に滴り落ちていく。

「どこか痛むのか!?」

 慌てたように身を乗り出し顔を覗き込んでくる課長の瞳が、心配げに揺れている。

「ちがっ……」

 私は、フルフルと頭を振った。

「――れしく……て」

「――え?」

 あなたの名を呼べば、返ってくる笑顔。

 だた、それだけのことなのに。

「なんだか、嬉しくて」