「……大丈夫。ここは病院だ。もう、大丈夫だから」

 耳元に落とされる穏やかな声に、ただ小さく、コクリとうなずき返す。

 背中を撫ぜていた大きな手のひらが肩に回り、一度だけキュッと力がこめられる。

――このまま、時が止まればいいのに。

 その時私が考えていたのは、そんな不謹慎極まりないこと。

 こんな状況なのに、いまだに恐怖の影は消えることなく尾を引いているのに。

 こうして彼の腕の中にいることに、この上もなく幸せを感じている。

――ああ。

 私は、やっぱりこの人が好きだ。

 届かなくても。許されなくても。

 やっぱり、大好きだ。

 恋心ってやつは、なんて救いがたいんだろう。

 でも、どんなに願っても、時が止まってくれるはずはなく。

「ごめん……」

 ぽつりと、謝罪の言葉が耳元に落とされる。

「こんな形で身内のことに巻き込んでしまって、すまなかった」

 心底申し訳なさそうな彼の言葉に、私は、彼の胸に顔を伏せたままギュッと目をつぶる。

『身内のこと』

 そのフレーズが、私の、甘い感傷を打ち砕く。

 彼には、私には立ち入れない彼の領域がある。

 培ってきた、守るべきモノがある。

 彼は元カレで、今はただの上司。

 どんなに好きでも、どんなに恋しくても、彼は私のモノじゃない。