『君は、東悟との結婚を考えていないのかな?』
『ひとつ確認しておきたいんだが、九年前、東悟が泣く泣く別れた意中の彼女とは君のことだね?』
『仕事よりも大事だと思ったから、ここまで初対面の私に付いてきたんじゃないのか、君は?』
『君は――実に面白い女だな。仕事ができるキャリア・ウーマンなのかと思えば、まるで十代の少女のような素直な反応をしてみせる』
『いくら払えば、東悟とヨリを戻すと聞いている』
『百万でも一千万でも、好きな金額を書いていいんだ』
『情でも金でも動かない女を思いのままに動かす方法はいくらでもある。それを、教えてあげようと思ってね』
リアルに脳裏を過る、男の表情とその言葉。
走馬灯のように、一連の体験がフラッシュ・バックする。
まざまざと呼び起こされる、驚きと嫌悪と恐怖。
ゾクリと、全身が恐怖で総毛立つ。
ソファーの隅に抑え込まれ身動きできない屈辱と恐怖。
口移しで無理やり飲み込まされた、ワインと怪しげな薬。
「あ……ああっ――」
あの瞬間、体に走った恐怖の戦慄から逃れようと、私は横たわっていた体を跳ね起こした。
その体を、誰かがフワリと抱きとめてくれる。
けっして強くはないその抱擁は、ただすっぽりと私を包み込んだ。
――とくん、とくん、とくん。
温もりとともに伝わる規則正しい鼓動が、私を恐怖の影から遠ざける。
――とん、とん、とん。
大きな優しい手が、労わるように小刻みに震える私の背を叩く。
薄いシャツの布越しに香るのは、柑橘系のコロンとほのかな煙草の匂い。
――ああ……。
泣きたくなるような安堵感に包まれながら、私は、大きなその背にギュッと両手を回した。