――夢を、見ていた。

 大きな、優しい手の感触が頬をなでる。

『梓……』

 低く温かい響きをもった声が、細胞の奥底までゆっくりと染み渡るような、そんな甘やかな声が私の名を呼ぶ。

――東悟。

 その人の名を呼ぼうと口を開くけど、喉の奥に力を込めても声が出てこない。

 どうして声が出ないんだろう?

 闇の中で、私は一人膝を抱えて丸くなる。

――理由なんかわかってる。

 呼んだらダメだと、私自身がブレーキをかけているから。

 (かせ)を作っているのは、私だ。

 その名を呼んだときに、返ってくる反応が怖いから。

――ねぇもしも。

 もう一度その名を呼ぶことが叶うなら。

 その時、あなたはどんな表情を浮かべるのかな?

 笑ってくれる?

 それとも。

『東悟』

 闇の中、声にならない声であなたの名を呼ぶ。

「――梓?」

 返るはずのない呼びかけに、答える声。

 それはやけに現実味を帯びていて、私の意識は一気に夢から現実へと引き戻された。

 熟睡をした後のようなやけにすっきりとした目覚めの後、最初に視界を埋めたのは見覚えのない白い天井。

――あれ? ここ、どこだろう?

 ぱちりぱちりと、夢の向こう側に置いてきた記憶を呼び覚まそうと、ゆっくりと目を瞬かせる。

――確か、会社で残業していたら電話がかかってきて……。

谷田部(やたべ)(りょう)

 課長によく似た面差しの、課長の従兄(いとこ)

 ああ、そうだ。

『――実は、東悟の婚約に関して少し困った状況になっていまして。それがあなたにも関わりがあることなんですよ、高橋さん』

 そう言われて彼に呼び出されて――。