「人聞きの悪いことを言うな。別に、無理やり連れ込んだわけでは無いさ」

 尚も続く楽しげな会話を聞きながら、もう溜息しか出てこない。

「迎えに来る? ああ、かまわんよ」

――課長……。

 電話の向こう側には、課長がいるのに。

 私には、もう、声すら上げられない。

「そこからは、どんなに急いでも30分はかかるだろう? せいぜい事故を起こさないように、気を付けて来るんだな。父親の二の舞はしたくないだろう。じゃあな」

――プチリ。

 無情にも、最後の希望の灯は、受信終了を告げる音とともに消えてしまった。

「白馬の王子様は、今日は、眠り姫になった母親の見舞いの日でね。大事なシンデレラの窮状に気付くのが、少しばかり遅かったようだな」

 喉の奥であざけるように笑いながら、男は、私を抱き上げたままゆっくりと部屋の奥へと足を進める。課長の部屋と同じ作りなら、おそらく、そこにあるのはベット・ルーム。

 万事、休す――

 万策、尽きてしまった。

 身体が思うように動かないのでは、逃げようがない。

 ああ、嫌だなぁ。

 こんな、勘違い野郎の蛇親父に好き勝手されてしまうなんて。

 いくら身から出たサビとは言え、我ながら哀しすぎる。

 それにたぶん、きっと、課長にいっぱい迷惑をかけてしまう。

 谷田部課長、ううん、東悟。

……ごめん。

 おバカな元カノで、ほんっとうに、ごめん……ね。

『高橋さんっ!』

――それは、願望が生んだ空耳だったのか。

 意識が闇に落ちる寸前、私を呼んだのは、聞き覚えのある声。

 ここに、いるはずのない人の声だった――。