「じゃ、行ってくるね」

 と足を踏み出そうとしたとき、美加ちゃんにベストの裾をつんつんと引っ張られて動きを止めた。

「もしかして、課長からの呼び出しですか?」

 声をひそめてきらきらりと、期待の眼で見つめられて思わず笑ってしまう。

 どうしても、そっち方面へ話を持っていきたいらしい。

 本当に課長からの呼び出しなら、よかったんだけどね。

「ちょっとした知り合いと、会うだけだよ」

「なんだ。つまらないなぁ」

 いや、つまるとかつまらないとかの問題じゃないし。

「あ、夕ご飯、何か取っときますかぁ?」

「うーん。帰りにコンビニでも寄ってくるから、今日は、いらないや」

「わっかりました。いってらっしゃいー」

 1階に降りるエレベーターの中で、考えうる投げかけられるであろう質問への答えを、脳内シミュレーションしつつ、気持ちを引き締めるために両頬をぺちりとひとたたき。

 ピン、と背筋を伸ばして深呼吸。

――とにかく、落ち着いて冷静に。

 課長とのことは、全部誤解だと説明して。

 まあ、詫びるべきところは、誠心誠意お詫びして。

 うん。

 さっさと、引き上げてこよう。

 そんなことを考えているうちに、エレベーターは目的地に到着し、私は、緊張で冷たくなった指先をぎゅっと握りこみ、会社の正面玄関へと足を向けた。

 時刻は6時半を回っているから、定時退社組のラッシュは過ぎている――はずなのに上げた視線の先には、なぜか黒山の人だかりができている。

「すごい車ねぇ……」

「……誰か、待ってるみたいよ」

 ヒソヒソヒソと興味津々の様子で囁き合っているのは、主に定時退社組の若手女子社員たちだった。