「谷田部課長っ」

「谷田部も課長も、ナシ」

 って、呼ばないよ。

 この状況で名前なんて呼んだら、ヤバすぎる!

「か、課長っ……」

 じたばたと、なんとかこの状況を脱しようともがくけれど、いくら細身とは言え成人男性の力に適うはずもなく。

 気持ちばかりがあせりまくり、状況は一向に好転しない。

 そればかりか、立ち上がろうと足をばたつかせたのが(わざわい)して、身体の密着具合が変なふうに変化した。

 谷田部課長は仰向けになっていて、身体の上で私を抱き枕状態で抱きしめている。この体勢で立とうと暴れたのもだから、私は課長の身体を跨ぐ形になってしまった。

 その状況を理解したとたん、身体は『ピキリ』と、固まった。

 ちょっ、ちょっと、待って!

 これじゃまるで、私が課長を押し倒してるみたいじゃないっ!

 女暦二十八年。

 自慢じゃないけど、男を押し倒したことはない。

 ゆえに、免疫がない。

 ただ、そんな私でも理解できることはある。

 この体勢で暴れたら『飛んで火に入る夏の虫』、じゃなくて、『火に油を注ぐ』ようなものだって。

 パニクる頭でそう結論に達した私は、動けない。

 一切の動きを止めたまま、身体をこわばらせる。 

「梓、名前」

 この状況を理解しているのかいないのか。

 気にする様子もなく、私を抱き枕にしている御仁は、自分の名前を呼んでと耳元に囁きを落とす。

「梓」

 息がかかるほどの至近距離で、低い囁きが耳朶を叩く。

 頭が、くらくらする。

「名前」

「うっ……」

 触れるか、触れないか。

 その温度さえ感じる距離で囁かれ、思わず、呻いてしまった。

 これ、もしかして、本気で酔っぱらっているだけ……とか?