「――そうだね。この辺はまだ不案内だから、何処か、安くて美味しい店を教えてくれるとありがたいな」
「はい、安くて美味しいお店なら、任せてください」
私はあくまで、上司・『谷田部課長』に対する態度と言葉遣いを崩さない。それに対して、彼も部下に対する以上の反応をみせない。
それでいいと、そう思う。
もし、このバランスを少しでも崩してしまったら、私には自分を押さえる自信がない。
真っ直ぐ突っ走ってしまいそうで、自分の行動に自信が持てない。
九年前、どうして突然姿を消したのか。
今までどうしていたのか。
問いただして、泣いてすがりついてしまうかもしれない。
たぶん、私の心の内にくすぶっているこの想いは、もう消えてしまったと思っていた、この男に対する恋心なのだろうと思う。
だけど、危険だ――。
『この男に近付いてはイケナイ』
そう、私の中の『女の勘』が警鐘を鳴らしている。
でも、それを分かっていながら、揺れてしまう自分がいるのも確かだ。
たとえるなら、まるでピンと張られたタイトロープ。その上を、やっとのことでバランスを取って歩いている。
そんな危うい自分を、私は感じていた。