「何を、こんな時間帯にやってきて、物欲しげな色目を使ったのは、そっちだろうがっ!」
パシン――、と左頬に灼熱感が走った数瞬後。
自分が叩かれたのだと理解した美加ちゃんは、頭で考えるよりも早く行動に出た。
ありったけの力を振り絞って掴まれた手を振りほどき、どうにかフラリと立ち上がると文字通り脱兎のごとく、事務所の外、灯が落とされた薄暗い工場の中へと駆け出した。
でもそれを、頭に血がのぼった男がすんなり逃すはずがない。
「このっ!」
追い際にスイッチを入れたのだろう。ブーン――と低い音を上げて、高い天井に付けられた電灯が、ゆっくりと鉄材が積まれた工場の中を照らし出していく。
背後から迫ってくるのは、理性を失くした男が獣のような唸り声を上げながら追い縋ってくる気配。
恐怖にもつれそうになる足を必死に動かして、溢れ出しそうな涙をぐっと堪えて一目散に出口を目指した。
でも、いくら懸命に走っても所詮は女性の足。
それに不慣れな工場の中では、美加ちゃんの方が断然に不利で、あっという間に追いつかれてしまった。
尚も、捕えようと伸ばされた大きな手が、腕ではなく今度は美加ちゃんの胸元を掴みあげ、ブラウスのボタンを弾き飛ばした。
露わになった胸元。
それこそ死に物狂いで社長を突き飛ばし、必死で工場内を逃げ惑った美加ちゃんは、鉄材に思いっきりぶつかり、右腕にかなりの出血をともなう傷を負ってしまった。
でも、それが幸いした。おびただしい出血を目にした男は、怖気付き顔色を無くし。
「何を、変な誤解しているんだ? 私は、世間話をしていただけなのに。自意識過剰なんじゃないのかアンタ。言っておくが、そのケガはアンタが自分でぶつけたものだからな。後で変な難癖つけないでくれよ!」
言うに事欠いてそう言い放ったのだという。
美加ちゃんから一通りの説明を聞き終えた私は、生まれて初めて怒りで体が震えるのを感じた。