それは、六年前。
私が『初めて自分が担当した』ビル建築工事で、やはり清栄建設からの受注物件だった。
地下二階。
地上十階建のSRC、鉄骨鉄筋コンクリート造りのビルで、私にとっては何もかも初めてづくしの失敗だらけの大変な工事だったのをよく覚えている。
毎日毎日図面修正に明け暮れて、工場からはここがおかしい、ここが変だと苦情を言われ、あげくに、いざ現場での鉄骨組み立ての段階になってみれば、取引き先の手違いで、工事に必要不可欠な部品であるボルトが届かず、自分で注文先を駆けずりまわって軽トラックで現場に運び込む羽目にもなったと言う。
とにかく、胃が痛くなるような怒涛の初現場だったのだ。
そこに、なんと、当時二十歳の大学生だった飯島さんは、アルバイトとして働いていたのだそうだ。
『女だてらに、事務服に安全ヘルメットにスニーカー、小脇に図面を抱えて現場を闊歩するその姿に、ひとめぼれした』のだと。
そして私と仕事がしたいがために、大学卒業後迷わず清栄建設に入社し、私が担当している区域の工事に配属されるように希望を出し続けて今に至るのだと、そう言って、飯島さんは照れくさそうに笑った。