*
――五月。
「あのさ、お父さん」
父の背中は、いつも会話を拒絶している感じがする。スーツを着ているせいかもしれない。その黒い背中には、どんな言葉も弾かれてしまう気がする。昔はどんなふうに、この人と話をしていたんだろうと思ってしまう。
「今度の土曜日、タコパしない? 私と由佳とお父さんと、三人で」
出勤前の父は、玄関で振り返って私をまじまじと見た。
「タコパってなんだ?」
「もうお父さんそこからー? たこ焼きパーティに決まってるじゃん!」
洗面所からひょこっと顔をのぞかせた由佳が、呆れたように口を挟んだ。
「む……そうか。そんな約束していたな」
私は驚いた。本当に約束をしていたらしい。
由佳とも、お父さんとも、私は未だにうまく話をできていない。別に何を話したいわけでもないのだ。ただ、会話がない。言葉を交わすきっかけが、うまくつかめない。
糸口が欲しかった。それだけのことだ。別に日記に書かれていたことを、信じているわけじゃない。
「わかった。その日は休みを取る」
父がそう言うと、
「土曜日なんだからもともと休みでしょ!」
由佳ちゃんが喚いた。
迎えた土曜日はいい天気になった。
開け放った窓からは、心地の良い風が抜けていく。
たこ焼き日和、なのかどうかは微妙だけど、焼けたら外で食べるのもいいかもしれないと思う。
テーブルの上には刻んだタコ、ねぎ、紅ショウガ、揚げ玉、キャベツ、鰹節にソース、マヨネーズ、青のり、エトセトラエトセトラ。
「キャベツを入れるのか?」
珍しく私服姿の父は、みじん切りのキャベツの山を目にして首を傾げていた。
「お父さんわかってないな、キャベツはマストだよ」
なぜか由佳が知った顔で父をたしなめている。
私はたこ焼き器のスイッチを入れ、生地を混ぜた。最初に卵をとく。それから粉を数回に分けて、だまにならないようにしっかり混ぜる。手が覚えていた。
たこ焼きなんてやったことないはずだけど、由佳によれば文化祭で鬼のようにキャベツを刻み、たこ焼きを転がしていたらしい。
「じゃあ、始めようか」
私が言うと、由佳が竹串を二本構えて、目を輝かせた。
こんなに楽しそうな由佳を見るのは、いつ以来だろう。父は座ったまま、仕事がないことが不安そうにしている。社用携帯はさっき由佳に没収されていた。
油を多めにしいて、まず生地を半分ほど流し込む。それからタコ、揚げ玉、キャベツ、紅ショウガ、ねぎ、ふたをするように生地を流し込んで、しばらく待つ……。
部屋にいい匂いが漂い始めた。
お腹が空いてきた。
どこかでお昼のチャイムが鳴っている。
父が手持無沙汰に竹串をいじっている。
「そろそろいいと思う」
私が言うと、
「よーし、ひっくり返すぞー」
由佳が張り切って竹串をぷすぷす差し始め、父もそれにならった。
私はしばらく二人の様子を眺めていた。
由佳は皮をごりごりはがそうと苦戦している。父の方は火の通りの弱いところに手を付けてしまったようで、まだ固まっていない生地をどうしたものかと思案顔で突いている。
私はたこ焼き器の真ん中の、一番火が強いところにぶすっと竹串を差した。ドアノブを回すようにくるっと半周、はみ出した生地をもう一本の竹串で押し込むようにして、穴の中に収める。一つあたりにかかる時間は、ざっと五秒だ。
「お姉ちゃんすご! さすが経験者……」
私は苦笑いした。経験したのは、きっと私じゃないけれど。
「経験あるのか?」
「もー、文化祭でやってたって言ったじゃん!」
さっきから由佳は、父につっこみを入れてばかりいる。
「はい、じゃあこれお父さんの分」
由佳が焼き上がったたこ焼きを父の皿に盛った。ソースにマヨネーズ、鰹節をこんもりかけて、何気なく一口含み、
「んっ!?」
そのときの父の顔と言ったら、傑作だった。由佳がげらげらと笑い出した。
「なんだこれは!」
「わさび入りだよーん」
「なぜわさびを入れる!」
「ロシアンルーレット。常識でしょ」
由佳が澄ました顔で言うのと、父の大げさなリアクションが可笑しくて、今度は私が笑ってしまった。
思いがけず大きな笑い声が響いて、びくっとした。
一瞬訪れた沈黙の中で三人して顔を見合わせ、今度は誰からともなく笑い始める。