翌日。あれだけべろんべろんに酔っ払っていたのが嘘のように、裕作さんはしゃきしゃき起き出して私たちをレンタカーに乗せた。
「どこ行くんですか?」
私がぼんやり訊ねると、意気揚々と答える。
「宇良部岳っつってな、この島で一番高い山よ。つっても標高200メートルちょいだけどなァ」
山。やっぱり山なのか。アサギマダラは本州でも低地ではあまり見かけない蝶だという。
宿から車で三十分ほど。小さな島なので、山の麓まではすぐについた。勾配はきついが、ほぼ頂上まで車道が舗装されていて、車であれば楽に登れるらしい。
しかし裕作さんは麓で車を止め、「さあて登るか」と元気いっぱいに車を降りてしまった。
「え、歩くの……」
「車からじゃ、蝶を見逃してしまうからな」
佐島も生真面目に言って、車を降りていく。私はため息をついて二人の後に続いた。
改めて見上げると、山頂付近には巨大なアンテナ塔が建っている。NTTの施設らしい。正確な標高は231メートルで、本当に山というよりは丘程度の、小さな丘陵だった。
今日はやや曇天気味で、頂上まで登っても景色はいまいちな気がする。
この山だか丘だかはっきりしないような場所に、本当にアサギマダラがいるのだろうか。……お腹のあたりがむずむずする。
引っ張られるような感じがして、私は誤魔化すように鳩尾をさすった。この感じは、ここじゃない。もっと別の場所だと思うけれど、口にはしない。
私たちはゆっくりと山を登り始めた。さすがに温かい。動いていると、汗が滲んでくる。
なるほど、この温かさを求めて蝶々が集まってくるのかと思いきや、そんなに蝶も飛んでいない。
「本当にいるんですか?」
「まあ、いないかもな。マーキング個体はたまに見るけどな、全部が全部、この日に集まるわけじゃないから」
裕作さんは上の空で答えながら、あちこちに目を光らせている。ああ、プロの目っぽい。そもそもこの人は、私たちがここへきた目的をなんだと思っているのだろう。佐島はどう説明しているのだろう。
「あのさ」
私は佐島の袖を引っ張った。
「あの人、どこまで知ってるの?」
「裕作さんは、俺たちがアサギマダラの渡りを見にきたとしか思っていない」
なるほど、嘘はついていない。慣れた様子で山を登っていく二人にやや遅れて、私ものろのろと急勾配の道を上っていった。
歩いても、往復で一時間もかからないという道だけど、イタジイ(ブナ科の木らしい)、ウラジロガシ(これもブナ科。常緑樹だ)などという聞きなれない亜熱帯の植物に目を凝らして歩いていくと、頂上につく頃には正午を大きく回っていた。
最後の石段を上った先、島の北側の景色はなかなかよかった。
高さはないけれど、小さな島と、あとは海が広がるばかりのパノラマを一望できる。むしろ、その高さで足りてしまうのだ。
そのとき、確かに島にいるのだと、妙に実感が湧いた。
NTTの電波塔があるだけの、本当に寂しい山だったけれど、そのささやかはこの小さく自然の豊かな島によく似合っている。
「んー、不作だなァ」
裕作さんがぶつぶつ言いながらあたりの藪を見回している。
ここまで蝶々は何羽か見かけたが、アサギマダラにはお目にかかっていなかった。私はあまり真面目に探していなかったし、佐島の方も収穫はなかったようだ。
「森宮」
その佐島が、小声で訊いてきた。
「感覚がないか? 体の真ん中が、何かに引っ張られるような違和感だ」
私はぎくりとする。
ずっと島の反対側に向かって引っ張られるような感覚はある。
「……わからない」
私は佐島の目を見ずに答える。
「そうか。困ったな」
あまり困ってなさそうに、佐島は無表情にコメントして、無造作に着ていたティーシャツの裾を持ち上げ顔の汗を拭いた。
ちらりと覗いた脇腹に、例の生々しい傷跡が見えた。何か鋭利なものが突き刺さったような、明らかに色の違う皮膚……。
「どこ行くんですか?」
私がぼんやり訊ねると、意気揚々と答える。
「宇良部岳っつってな、この島で一番高い山よ。つっても標高200メートルちょいだけどなァ」
山。やっぱり山なのか。アサギマダラは本州でも低地ではあまり見かけない蝶だという。
宿から車で三十分ほど。小さな島なので、山の麓まではすぐについた。勾配はきついが、ほぼ頂上まで車道が舗装されていて、車であれば楽に登れるらしい。
しかし裕作さんは麓で車を止め、「さあて登るか」と元気いっぱいに車を降りてしまった。
「え、歩くの……」
「車からじゃ、蝶を見逃してしまうからな」
佐島も生真面目に言って、車を降りていく。私はため息をついて二人の後に続いた。
改めて見上げると、山頂付近には巨大なアンテナ塔が建っている。NTTの施設らしい。正確な標高は231メートルで、本当に山というよりは丘程度の、小さな丘陵だった。
今日はやや曇天気味で、頂上まで登っても景色はいまいちな気がする。
この山だか丘だかはっきりしないような場所に、本当にアサギマダラがいるのだろうか。……お腹のあたりがむずむずする。
引っ張られるような感じがして、私は誤魔化すように鳩尾をさすった。この感じは、ここじゃない。もっと別の場所だと思うけれど、口にはしない。
私たちはゆっくりと山を登り始めた。さすがに温かい。動いていると、汗が滲んでくる。
なるほど、この温かさを求めて蝶々が集まってくるのかと思いきや、そんなに蝶も飛んでいない。
「本当にいるんですか?」
「まあ、いないかもな。マーキング個体はたまに見るけどな、全部が全部、この日に集まるわけじゃないから」
裕作さんは上の空で答えながら、あちこちに目を光らせている。ああ、プロの目っぽい。そもそもこの人は、私たちがここへきた目的をなんだと思っているのだろう。佐島はどう説明しているのだろう。
「あのさ」
私は佐島の袖を引っ張った。
「あの人、どこまで知ってるの?」
「裕作さんは、俺たちがアサギマダラの渡りを見にきたとしか思っていない」
なるほど、嘘はついていない。慣れた様子で山を登っていく二人にやや遅れて、私ものろのろと急勾配の道を上っていった。
歩いても、往復で一時間もかからないという道だけど、イタジイ(ブナ科の木らしい)、ウラジロガシ(これもブナ科。常緑樹だ)などという聞きなれない亜熱帯の植物に目を凝らして歩いていくと、頂上につく頃には正午を大きく回っていた。
最後の石段を上った先、島の北側の景色はなかなかよかった。
高さはないけれど、小さな島と、あとは海が広がるばかりのパノラマを一望できる。むしろ、その高さで足りてしまうのだ。
そのとき、確かに島にいるのだと、妙に実感が湧いた。
NTTの電波塔があるだけの、本当に寂しい山だったけれど、そのささやかはこの小さく自然の豊かな島によく似合っている。
「んー、不作だなァ」
裕作さんがぶつぶつ言いながらあたりの藪を見回している。
ここまで蝶々は何羽か見かけたが、アサギマダラにはお目にかかっていなかった。私はあまり真面目に探していなかったし、佐島の方も収穫はなかったようだ。
「森宮」
その佐島が、小声で訊いてきた。
「感覚がないか? 体の真ん中が、何かに引っ張られるような違和感だ」
私はぎくりとする。
ずっと島の反対側に向かって引っ張られるような感覚はある。
「……わからない」
私は佐島の目を見ずに答える。
「そうか。困ったな」
あまり困ってなさそうに、佐島は無表情にコメントして、無造作に着ていたティーシャツの裾を持ち上げ顔の汗を拭いた。
ちらりと覗いた脇腹に、例の生々しい傷跡が見えた。何か鋭利なものが突き刺さったような、明らかに色の違う皮膚……。