夜の町は人通りが少ないとはいえ、入りくんだ通りに身を隠す場所も多い。

「くっそ、何故逃げた!」

あのまま大人しくしていれば話しが早かったものを、どうしてこんなに手間をかけさせやがる。

とことん面倒くさい奴だ。

数人の男がまとまって走る足音が聞こえる。

俺はとっさに身を隠した。

何を話しているのかまでは聞こえないが、集まった男たちは二人ずつの組みになると、そこから四方に散っていく。

月星丸を探しているのは、俺だけではない。

やみくもに探し回っても、見つからないことは分かっている。

俺が奴を騙して万屋へ連れて行ったことで、敵方とつるんでいると思われたかもしれぬ。

そう思うと、俺の姿を見かけたところで、向こうから近寄ってくる公算も低い。

行く当てもない子どもが、駆け込むとするならどこだ? 

立ち止まって、息を整える。

町中を走り回る複数の足音に、ピリピリと耳をそばだてながら、俺はゆっくりと歩き出した。

あいつらが見つけるも一瞬先に、俺がみつければよい。

辺りににらみをきかせながら、慎重に町中を進む。

やがてたどり着いた橋の上で、万屋に月星丸を迎えに来ていた男の姿を見つけた。

これを逃す手はない。

「これはこれは、お探ししていた坊ちゃんを無事に届け終えて、一息ついたというところですかな?」

男は俺を振り返った。

その視線が、俺の思惑を探っている。

「まぁそういったところだ。そなたは?」

「ちょいと探し物をしていてね、見つけたと思ったら逃げていきやがったもんで、また振り出しでさぁ」

「そいつはお気の毒だな」

男は視線をはずした。

十分な間合いを取れる位置で、俺は立ち止まる。

「ところで、あんたらの探しているものは、なんだ」

「そんなものはない。もう見つかった」

俺はゆっくりと刀を引き抜く。

「ならばそいつを、ちょいと見せてもらおうか」

切っ先を向けて、正眼に構えた。

それを見ても、男は微動だにしない。

「悪いが今は手元になくてね」

「そいつは納得いかねぇなぁ!」

俺は男に斬りかかった。

抜かれた相手の刀は、予想よりわずかに早く強い。

俺は後ろに飛び退いた。

男に動揺や焦りの色は見られない。

「そなたが何者なのかはここでは詮索いたさん。だがこれ以上首を突っ込むとなると、話しは別だ」

男は中段に構えた。

俺はそれよりもわずかに剣先を下げる。

「どこのお坊ちゃんだか知らねぇが、なにも命までとることはあるまい。俺に預けてくれれば、あんたらに迷惑はかけねぇって言ってるんだ」

男が踏み込んだ。

上から斬りかかってくるのを、しっかりと受け止める。

「捨ておけ、そなたの人生に関わりのないことだ」

「もちろんそれは承知の上だ」

力で押しのける。

再びぶつかった二本の刃が、視線の間で火花を散らした。

「だけどまぁ、一度でも知っちまったもんはなかったことには出来ねぇだろう? あんまり人が死ぬところは、見たくねぇよなぁ」

ギリギリと刃と刃がかみ合う。

少しでも接点がずれれば、すぐに斬られる。

「そなたの相手をしている場合ではない」

「そんなさみしいこと、言うもんじゃねぇだろ?」

押しのけられるその手前で、後ろに飛び退く。

振り上げられた刀の下をくぐり抜け、背後に回る。

もう一度中段で向かい合った。

「これ以上邪魔立てすると、本気で許さん」

「望むところだ」

俺が刀を振り上げた、その時だった。

「葉山さま! 月星丸さまが見つかりました!」

斬りつける俺の刃の切っ先を、葉山と呼ばれた男はひらりとかわす。

「案内しろ」

「こちらです」

葉山は刀を鞘に収めた。

「おいコラ待て! まだ勝負はついてねぇぞ!」

月星丸確保の一報を受けてか、周囲に葉山の手下が集まってきた。

「そいつの相手はお前らに任す。手強いぞ、気をつけろ」

男の言葉を合図に、五本の刀が一斉に抜かれた。

その隙に、葉山は案内の男と走り出す。

「待て! 待てって言ってんだろこの野郎!」

斬りかかってくる仲間を、さっと二人ほど斬り倒す。

振り返った残りの三人は、刀を構えてはいるものの完全に及び腰だ。

「くそっ」

ここでこいつらの相手をしていれば、本当に月星丸が捕まってしまう。

俺は刀を鞘に収めた。

それを見た手下が叫ぶ。

「卑怯者! 神妙に勝負いたせ!」

「うるせぇ、お前らの相手にはならねぇよ!」

葉山の走り去った方向に向かって走り出す。

あいつに捕まる前に何とかしなければ。

夜廻りの笛が聞こえる。

あまり騒ぎを大きくしたくないのは、あいつらも同じはずだ。

二人組のお侍の姿が、今夜はやけに多い気がする。

声をひそめ辺りに鋭く目を光らせている様子は、いつもの遊び人どもの酔い歩きとは違う、異様な風景だ。

走りながらどれだけ耳をすませても、もめ事や騒ぎのような喧噪の気配はない。

葉山は本当に月星丸を見つけたのか? 

それとも、すでに捕らえたか? 

逃げ足の素早い奴だ。

どこかにうまく身を隠していれば助かるのだが。

立ち止まった四辻の中央でぐるりと辺りを見渡す。

夜の町はしんと静まりかえっていた。

今この瞬間にも、月星丸の命が危ういというのに。

気持ちだけが焦るばかりで、一向に埒が明かない。

俺は腕を組むと、ゆっくりと歩き出した。

葉山の手先なのか、時折角に立つお侍が俺をギロリとにらみつける。

俺は酒に酔ってふらふらと町をさまようふりをしながら、月星丸の姿を探していた。

依頼の仕事が終われば、その後は深入りしないのが鉄則だ。

確かに俺にしたところで、奴を追いかけて得することは何もない。

辻に立つ侍が俺を見ている。

立ち止まりはしない。

俺はただ歩いている。

万屋から受けた仕事は、月星丸を探すことであった。

その仕事は終わったのだ。

その後のことは気にすることはない。

あいつは自分が殺されると分かっていたから、帰りたくなかったのか。

逃げ回っていた奴の行動に、今なら何もかも合点がいく。

月星丸は、自分の身の置き場を求めてさまよっていたのだ。

俺は夜空を見上げた。

月星丸という妙にキラキラした名のわりには、今宵は雲に隠れて何も見えない。

途切れた切れ間から、わずかな星が見えるだけだ。

きっともう、葉山とかいう男に捕まったに違いない。

だとすれば、今頃はもうこの世の者ではないだろう。

どこの誰だか素姓は分からぬままであったが、もしかしたらその方がよかったのかもしれない。

俺は頭を激しく左右に振った。

もう考えるのはよそう。

萬平の言う通り、案じたところで何がどうなるわけでもない。

夜道を歩く。

いつもは静かな江戸の町が、今夜は落ち着きがない。

無数の足音と叫び声が、聞こえないはずの頭に響く。

「くそっ、あの野郎どこに逃げた」

夜道を急ぐお侍の姿を見かける。

ひそひそと人目を気にして交わしている言葉の数々。その声をたどりながら俺は夜道を歩く。

彼らのささやき声に導かれるようにやってきたのは、花街の近くだった。

この辺りは夜でも人の出入りが多く通りも明るい。

「やぁ、あんたまだいたのか」

妖光漂う町へと続く門の前に立っていたのは、葉山だった。