小型のチャーター船の甲板から浮き桟橋に移ると、カメラは、ぐるりと周囲を見渡した。海の青、空の青、山の緑、入道雲の白。
 じりじりと熱い日差しの中を、やむことのない潮風が渡れば、山並みの木々の葉がきらめきの波を起こす。セミの合唱が山から押し寄せてくる。

「ああ、すごい。やっぱり、龍ノ里島はきれいですね」
 すごいとか、きれいとか、そういう安っぽい言葉しか出てこない。サイエンス一辺倒の高三男子に詩的な言葉を期待するのが間違いだ。

 おれはディスプレイから目を上げた。どっしりと重たい、古くてつややかな木のテーブルの向かいに着いたスバルさんは、ノートPCに映した動画の音量を下げながら、日に焼けた顔を微笑ませた。

「今年度からうちの研究所に配属されたスタッフが、カメラの扱いに長けているんだ。写真も動画も、かなりうまく撮影して、編集までこなしてくれる。この映像も、彼が撮ったものでね」
「なるほど。道理で。とてもきれいで、臨場感がある映像ですね」

「DVDに焼いてきたよ。ユリトくんたちへのおみやげだ」
「本当ですか? ありがとうございます。龍ノ里島の景色、ぼくも見たかったし、見せてあげたい人もいて。DVD、すごく嬉しいです」

 スバルさんは、ノートPCが入る大きめのビジネスバッグから、クッション材に包装されたCD-Rを取り出した。おれはお礼を言って受け取る。
 ディスプレイに展開される景色を眺めながら、スバルさんは静かに言った。

「人が住まなくなって、たった三年で、町だった場所は自然の中に呑まれ始めていた。木造の建物の中には、見る影もなく倒壊してしまっていたものもあったな。でも、その景色すら、悲しいくらいに美しかったよ」
「ぼくもその景色を自分の目で見てみたいところです。三年前は気分がふさいでいて、ハルタに連れ出されない限り、自分で外に出なかったから。もったいないことをしました」

「大学生になったら、うちの研究所に遊びに来るといい。チャーター船を使えば、龍ノ里島にもすぐ行けるよ」
「ええ。来年、お邪魔できればと思います。スバルさんや田宮先生の後輩になれたら、ぜひ」

「ユリトくんの顔色を見た感じ、問題なく合格できそうだと思うけどな。オープンキャンパスで手応えを感じられたんだろう?」
「はい。楽しかったです」
 スバルさんは満足げにうなずいた。

 おれの第一志望は、スバルさんの出身校である東京の国立大学だ。今日はオープンキャンパスだった。朝っぱらから暑くて人が多いことにはまいったけれど、いざ模擬授業が始まると、鬱陶しさなんか吹っ飛んだ。学問の世界というものは、それくらい強烈に魅力的だった。

 龍ノ里島を引き払った後も、スバルさんは発電機構を管理するエンジニアとして、西の果ての離島に住んでいる。年に何度か、東京の本社に出張があって、そのたびにちょっと足を伸ばしておれたちの町までやって来ては、田宮先生のところに一泊していく。

 スバルさんがこっちに出てくると、おれとハルタも呼んでもらって、一緒に食事をしている。今回はイレギュラーだ。ちょうどスバルさんが東京に来るタイミングで、おれもオープンキャンパスのために東京にいるし、田宮先生も出張で横浜にいる。
 ハルタが「じゃあ、おれが東京に出ていったら、そっちで集合できるじゃん」と言ったから、それぞれ都合のついたタイミングで、大学のそばの古い喫茶店で落ち合う、という約束になった。

 スバルさんや田宮先生が学生時代によく利用していたという喫茶店は、BGMのかかっていない空間だった。読書をする客ばかりで静かなときもあれば、ゼミの続きの議論を闘わせる集団がいてにぎやかなときもあるという。

「コーヒーを一杯で、何時間でもここに居座ったものだよ」
 スバルさんはそう言って、初めからミルク入りで提供されたコーヒーをすすった。

「勉強をしているかた、多いですね。大学生の人たちですよね?」
「たぶん、大学院生のほうが多いかな。彼らが読んでいる本や、聞こえてくる会話からの推測だけど」
「わかるんですね。さすがです」
「これでも一応、サイエンスに関するアンテナは張り続けているからね。それに、この喫茶店の客層には、伝統というか、傾向があるんだ。ここに入るのは、学部の四年生になって研究室に配属されてから、みたいな人が多かった」

「なるほど。高校生と大学生って、丸っきり、生活や価値観が違うものなんですね。今日一日で、世の中の広さとか人々の多様性とかをたっぷり目撃しました」
「そうだろうな。特にうちの大学は、変わった人も多いから。ここに来られたら、楽しいと思うよ。本当に」

 はいと応えながら、三年前の自分を思って、不思議な気分になる。
 中学三年生の、心の折れかけていたころのおれなら、変わった人が多いなんて聞けば、顔をしかめてしまっただろう。お上品な優等生でいなければと、自分で自分をがんじがらめに縛り付けていた。あのころは苦しかった。
 何をそんなに恐れていたんだろうかと、今にして思う。おれは、おれだ。普通だとか理想だとか、まわりが勝手に決めた型に嵌まるなんて、窮屈に過ぎる。操り人形も王子さま役も、まっぴらごめんだ。