おれの睡眠障害を理解しようとしない先生も、実はいる。まさかあの剣持ユリトがサボり病にかかるなんて、と冗談っぽく話す声を、職員室のそばで聞いてしまった。睡眠発作を心配する母親がおれに学校を欠席させた翌日だった。
サボってない。本当につらいんだ。自分で自分をコントロールできない。この苦しみとみじめさを疑うなら、サボり病なんて言うあなたが同じ症状に陥ってみればいい。
悔しいのと同時に、ふつりと、張り詰めた糸の一本が切れた。他人からの信用を失うって、胸に隙間風が吹くような気分だ。寂しさと悲しさの中間。むなしさって言葉が、いちばん近い。
おれはそっとかぶりを振った。ネガティブにねじれた胸の内をスバルさんに悟られないように、用心深い笑顔の仮面をかぶっている。
「田宮先生には感謝しています。おもしろい本を紹介してくださったり、大学時代に研究されていたことを教えてくださったり。田宮先生とお話ししてると、楽しいんです」
「中学生にして研究の話が楽しいとは、ユリトくんは将来有望だよ。まあ、実際、田宮先輩やぼくの専門は、サイエンスの中でも特に楽しい研究の一つなんだけどね」
スバルさんはいたずらっぽく笑った。田宮先生と同じ笑い方だ。ワクワクできる魔法がここにあるんだよ、と自慢するみたいな笑顔。おれの嘘くさい笑顔の仮面なんかより、ずっと純粋で子どもっぽい。
「流体力学って、すごく幅が広い分野で、おもしろいですよね。気体でも液体でも同じ原理が観測されるし、電子の渦も流体力学で説明できるし、宇宙関連の技術ではいろんな場面で登場するし」
「よく知ってるね。ぼくや田宮先輩の大学時代の研究は、主に気体の流体力学で応用寄りだった。つまり、電子や粒子みたいな基礎科学を理論するんじゃなくて、商品として工業化する一歩手前のあたりを研究していたんだ」
「具体的には、風力発電の風車の空力をコンピュータでシミュレートする研究だったんでしょう? 理論上の世界で風車を作って風を当てて、どれくらい効率よくタービンを回して発電することができるか、計算して調べるんだって聞きました」
「風車以外にも、風をつかまえる形をしたものの空力は、いろいろ調べたよ。ヘリコプターのプロペラや飛行機の翼、火力発電や原子力発電のタービン。風をつかまえるのと表裏一体の、風を逃がして活かす構造も見てみたくて、F1マシンもシミュレーションの素材にした」
「あ、F1マシンのダウンフォースですね。風を味方に付ける発想のあのデザイン、カッコいいですよね」
F1マシンのボディは、空力を徹底的に追究したデザインになっている。このデザインによって、マシンの空気抵抗が限界まで削られると同時に、空気がマシンを地面に押し付ける強烈な力、ダウンフォースが獲得される。
ダウンフォースがなければ、マシンは安定しない。軽量化するほうがいいんじゃないかと穴だらけのスカスカの車体を作っても、そんなのは吹っ飛びやすくてかえって遅い。空気抵抗を利用して地面に貼り付く走りをするほうが圧倒的に速いんだ。
「ハイスピードで移動する乗り物は、クルマでも新幹線でも飛行機でも、全部そうさ。いかにして空気抵抗を、ダウンフォースや揚力として利用するかが大事。強引にぶつかっていくだけじゃダメだ。うまく、いなしていかなきゃ」
「正面から邪魔しに来る風を味方にするっていう発想、逆転的ですよね。最初にきちんと証明して理論化した人はすごいなって思います」
「だよね。理論的に証明した人、工業的に実証した人、既存のデザインに飽き足らず、より効率的な形を目指して研究を重ねる人、いろいろ。物好きなマニアじゃないと、こういう分野には携われない。ぼくもそのうちの一人だね」
「物好きなマニア、ですか」
「サイエンスが好きで好きでしょうがないマニアだよ。ぼくの場合は、自分で設計した風車の羽の形が本当に好きで、ずっと見ていても飽きない。いや、もっと美しくしてやる方法はないかと、いつも考えてる」
目を輝かせるスバルさんに圧倒される。何でこの人はこんなに無防備でいられるんだろう? 物好きなマニアだなんて、どうして平気で名乗れるんだろう?
「スバルさんは、自分の好きな研究を仕事にされてるんですね」
「ああ、ちょっと語りすぎかな。ごめん」
「いえ……うらやましいです」
おれは目を伏せる。スバルさんが柔らかく笑う気配があった。
「ぼくなりに迷う気持ちもあったけどね。どんな形でサイエンスに携わるのがいいのか。都会の研究所でこれをやるか、現場である離島に拠点を据えるか」
「やっぱり、迷ったんですか?」
「迷ったよ。だって、都会の大きな会社で風力発電のプロジェクトリーダーにでもなれば、大出世間違いなしだ。だけど、ぼくは現場を選んだ。生まれ育った離島という環境で、好きな研究ができるなんて、最高じゃないか」
サボってない。本当につらいんだ。自分で自分をコントロールできない。この苦しみとみじめさを疑うなら、サボり病なんて言うあなたが同じ症状に陥ってみればいい。
悔しいのと同時に、ふつりと、張り詰めた糸の一本が切れた。他人からの信用を失うって、胸に隙間風が吹くような気分だ。寂しさと悲しさの中間。むなしさって言葉が、いちばん近い。
おれはそっとかぶりを振った。ネガティブにねじれた胸の内をスバルさんに悟られないように、用心深い笑顔の仮面をかぶっている。
「田宮先生には感謝しています。おもしろい本を紹介してくださったり、大学時代に研究されていたことを教えてくださったり。田宮先生とお話ししてると、楽しいんです」
「中学生にして研究の話が楽しいとは、ユリトくんは将来有望だよ。まあ、実際、田宮先輩やぼくの専門は、サイエンスの中でも特に楽しい研究の一つなんだけどね」
スバルさんはいたずらっぽく笑った。田宮先生と同じ笑い方だ。ワクワクできる魔法がここにあるんだよ、と自慢するみたいな笑顔。おれの嘘くさい笑顔の仮面なんかより、ずっと純粋で子どもっぽい。
「流体力学って、すごく幅が広い分野で、おもしろいですよね。気体でも液体でも同じ原理が観測されるし、電子の渦も流体力学で説明できるし、宇宙関連の技術ではいろんな場面で登場するし」
「よく知ってるね。ぼくや田宮先輩の大学時代の研究は、主に気体の流体力学で応用寄りだった。つまり、電子や粒子みたいな基礎科学を理論するんじゃなくて、商品として工業化する一歩手前のあたりを研究していたんだ」
「具体的には、風力発電の風車の空力をコンピュータでシミュレートする研究だったんでしょう? 理論上の世界で風車を作って風を当てて、どれくらい効率よくタービンを回して発電することができるか、計算して調べるんだって聞きました」
「風車以外にも、風をつかまえる形をしたものの空力は、いろいろ調べたよ。ヘリコプターのプロペラや飛行機の翼、火力発電や原子力発電のタービン。風をつかまえるのと表裏一体の、風を逃がして活かす構造も見てみたくて、F1マシンもシミュレーションの素材にした」
「あ、F1マシンのダウンフォースですね。風を味方に付ける発想のあのデザイン、カッコいいですよね」
F1マシンのボディは、空力を徹底的に追究したデザインになっている。このデザインによって、マシンの空気抵抗が限界まで削られると同時に、空気がマシンを地面に押し付ける強烈な力、ダウンフォースが獲得される。
ダウンフォースがなければ、マシンは安定しない。軽量化するほうがいいんじゃないかと穴だらけのスカスカの車体を作っても、そんなのは吹っ飛びやすくてかえって遅い。空気抵抗を利用して地面に貼り付く走りをするほうが圧倒的に速いんだ。
「ハイスピードで移動する乗り物は、クルマでも新幹線でも飛行機でも、全部そうさ。いかにして空気抵抗を、ダウンフォースや揚力として利用するかが大事。強引にぶつかっていくだけじゃダメだ。うまく、いなしていかなきゃ」
「正面から邪魔しに来る風を味方にするっていう発想、逆転的ですよね。最初にきちんと証明して理論化した人はすごいなって思います」
「だよね。理論的に証明した人、工業的に実証した人、既存のデザインに飽き足らず、より効率的な形を目指して研究を重ねる人、いろいろ。物好きなマニアじゃないと、こういう分野には携われない。ぼくもそのうちの一人だね」
「物好きなマニア、ですか」
「サイエンスが好きで好きでしょうがないマニアだよ。ぼくの場合は、自分で設計した風車の羽の形が本当に好きで、ずっと見ていても飽きない。いや、もっと美しくしてやる方法はないかと、いつも考えてる」
目を輝かせるスバルさんに圧倒される。何でこの人はこんなに無防備でいられるんだろう? 物好きなマニアだなんて、どうして平気で名乗れるんだろう?
「スバルさんは、自分の好きな研究を仕事にされてるんですね」
「ああ、ちょっと語りすぎかな。ごめん」
「いえ……うらやましいです」
おれは目を伏せる。スバルさんが柔らかく笑う気配があった。
「ぼくなりに迷う気持ちもあったけどね。どんな形でサイエンスに携わるのがいいのか。都会の研究所でこれをやるか、現場である離島に拠点を据えるか」
「やっぱり、迷ったんですか?」
「迷ったよ。だって、都会の大きな会社で風力発電のプロジェクトリーダーにでもなれば、大出世間違いなしだ。だけど、ぼくは現場を選んだ。生まれ育った離島という環境で、好きな研究ができるなんて、最高じゃないか」