♪side:翔一

暗く蒸し暑い部屋に戻ってきた。ひとまずかろうじて歩けた直哉を床に転がして電気を点け、荷物を置いた。不快な暑さをとりあえず何とかしようとクーラーをつけた。少し一息つこうと思い、一瞬で眠りに落ちた直哉を放置してベランダに出た。タクシーから降りた時は気づかなかったが、夜風が少しだけ心地良かった。
今日一日色々あったせいでくしゃくしゃになった煙草を胸ポケットから取りだし、火をつけた。中身の煙草も少しだけ潰れてしまっていた。チリチリ……と赤く燃えては短くなっていき、灰が少しづつ伸びていく。吐く息と共に空に昇っていく紫煙が、風に吹かれて散っていくのをゆっくりと眺める。また、なにかを思い出しそうになる。
フィルターのギリギリまで吸って火を消し、灰皿に捨てた。もう一本吸おうかどうか一瞬迷ったがやめにしておいた。

「疲れたなぁ……」

誰に言うわけでもない声が漏れてきた。少し涼しく、この時期にしては過ごしやすい夜中には似合わない感情な気がする。
額に残った汗と少しの孤独感をシャツの袖で拭い取り、部屋に戻った。クーラーの運転音と室外機の音だけが耳に届く。
もう起きる気配の無い直哉をなんとかカーペットまで運び、タオルケットをかけて起きるまで放置しておく。
特にやることも無く、なんとなく取り出したスマホの電池が切れかかっていた。タコ足配線から無造作に伸びている充電ケーブルを差し込み、メールやらSNSやらを開いては閉じた。別に目を引くようなメールや誰かから急ぎの連絡が来ている訳でもない。
もうとうの昔に消味期限すら切れたような感情が心の中でもやもやと浮かんでは沈んでを繰り返している。そんな不安定な気持ちのままスマホをタップし続けていると、バナー広告にラジオのアプリが表示されていた。俺は本当にもうラジオから離れることが出来ない人間なのかもしれない。
流れるようにバナー広告からラジオのアプリをダウンロードし、設定をした。今はスマホ一つでなんでも出来ると聞いてはいたが、ラジオも聞けてそのうえ聞き逃した放送も聞ける様になっているとは思っていなかった。ダイヤルを回して周波数を合わせては、放送を自力で拾っていたあの頃とは比べ物にならないほど便利になっていた。もうベリカードなんてものも化石みたいな存在になってしまっているのだろうなと思いながら、適当に放送局や番組を探していた。懐かしいようなものから革新的なものまで、様々な放送があった。暑さと疲れで溶けきった様な頭では処理しきれず、結局なにもせずにアプリを閉じた。
ビデオテープを巻き戻すように、記憶という映像を辿っていく。倍速であの頃を取り戻そうとしてしまえば、記憶が 曖昧になった瞬間に途切れてしまうというのは分かっていた。それでも、眩しすぎたあの頃あの瞬間を一刻も早く取り戻したいと思ってしまった。小さな小さな心の擦り傷を治すためだけに、縋るように大きすぎる絆創膏を貼ってしまう。辞めなければならない癖をずっと繰り返してしまう。
スリープさせたスマホをテーブルに放り投げ、水分不足の身体に水を流し込んだ。
家に帰ってきて、張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだ。もう寝よう。そう思い、そのまま着替えも何もせずに床に倒れ込んだ。