♪side:直哉

見開き一ページ全体にびっしりと書かれたメニューの中から、豚キムチ定食を注文した。アメ横のガード下にある店に昼間から入るとは思っていなかった。古い感じのいかにも老舗というか、衛生的に大丈夫かとか勝手に思ってしまっていたが、店内も綺麗にされていて存外いい雰囲気の店だった。カウンターの席では、昼間から瓶ビールをあけながら店主と話している常連らしい客が座っていた。もうかなり酔っているのか、いちいち動きや声が大きい。こういうのも風物詩というか、名物のようなものなのかと思い、気にしないでおく。
少し経って、注文した定食が運ばれてきた。大きめの茶碗に盛られた白米や、実家で出てくるような感じの懐かしい見た目の味噌汁、そしてなんと言っても、白い大きめのお皿に山盛りの豚キムチ。出来たての証明である白い湯気からもしっかりと豚キムチの香ばしい香りが立ち上ってきていた。店に入る前の、衛生的に大丈夫かとかいうろくでもない心配を心の中で謝罪しながら置いてある割り箸を割った。
翔一の方の生姜焼きささみフライ定食も、値段の割に量がとんでもなく多く、とても美味しそうだった。
手を合わせ、豚キムチを一口食べた。空腹は最強のスパイスだとはよく言ったものだとは思うが、そんなものを抜きにしても掛け値なしに美味かった。大きめに切られた豚のバラ肉の甘い脂とちょうどいい辛さのキムチが絡まって、文字通り箸が止まらない。外気で少し冷えた身体が芯から温まっていくのを感じた。豚キムチの旨味とちょうどいい硬さに炊かれた米の相性ももちろん最高だった。この味でこの量で、この安さは正直驚きだった。多分全国チェーンの定食屋とかで同じものを同じ量頼んだら千円は超えてくる気がする。
定食が来た瞬間は、こんなに食べれるかどうか心配だったが、余裕で食べきれた。全部の料理がこんな素晴らしいクオリティなら、と思ったら全部のメニューの味が気になり始めた。今度また来ようと思った。
翔一も俺に少し遅れて食べ終わり、手を合わせた。
会計を済ませ、「ありがとうございました」と店の奥から元気な女の人の声が聞こえてきた。絶対に聞こえていないであろう声でごちそうさまでしたと一言だけ言って会釈をして店を出た。

「豚キムチ美味かっただろ」
「冗談抜きで今まで食った豚キムチの中で一番美味かった」
「お前、それは盛ってるだろ」
「盛ってる?盛ってるって?」
「お前も歳だな。若者たちは少し大袈裟に言う事を盛ってるって言うらしいぞ」
「サバ読んでる、みたいな意味?」
「多分、合ってると思う」
「翔一は?生姜焼きささみフライ定食?だっけ。美味かった?」
「変わらない味だった。すげぇ美味かった」
「あれは俺も常連になるレベルの美味さだったわ」
「たまに一緒に来るか?」
「行こう。全メニュー制覇したい」
「お前それ何年かかるんだよ」
「全部あのクオリティの味ならすげぇと思わん?カウンターにいた酔っ払いのおっさんが食べてたサラダみたいなのも美味そうだった」
「まぁ、全メニュー制覇は無理でもたまに行くくらいならな」
「行こうぜ。仕事上がりとかにでも」
「で、話の腰を折って申し訳ないけどこれからどうする?」

東京のどっかに昼飯を食べに行く、としか決めていなかった俺たちは夕方に差し掛かったアメ横で外気に体温を奪われながら迷っていた。よく考えれば本当に何も決めていなかった。

「とりあえず、スタバとかにでも行ってどうするか考えるか」
「そうだな。寒いしな」

上野駅近くのスタバに向かう。ガード下近くとは一変して、若者たちがこれでもかと溢れかえっていた。俺たち、というか少なくとも俺は、こういう色鮮やかな若者の街よりかはさっきのガード下の定食屋みたいな空間が好きなのかもしれない。