♪side:翔一

航大との煙草くさいキスはとても心地よくて、多分、一生忘れられないんだろうと思った。異性同士での恋愛がほとんどのこの世の中で、俺は男を好きになった。でも、それももう終わりだった。
引越しを明日に控えた俺たちは、いつものようにアパートの部屋で過ごしていた。航大とはあれからほとんど話していない。航大は長野の上田市にある会社に就職が決まり、俺は結局就職先も決まらないまま地元の新宿に帰ることにした。新宿に帰れば仕事はどうにでもなると思ったし、なにより長野に残るのは少し嫌だった。一方的に千切られた気持ちが漂っている所にいたくないって言うのが一番の理由だった。
夜になっても会話は無く、ラジオの音も聞こえない部屋はとても静かで、少し欠けた月が部屋の中を申し訳程度に照らしていた。電気をつける気にもならず、少し煤けた窓から見える星を端から数えていた。
思い返せば、航大と出会ってから俺たちが話さなかった日はほとんど無かった。ゼミの合宿とかお盆、年末年始でそもそも会わない日を除けば、ほぼ毎日くだらない話や講義の話をしていた気がする。もちろんその全ての会話を覚えているわけではないけど。
あぁ、なんか、思ったより突然終わりって来るもんなんだなぁ……と感傷的な気分に押し潰されそうになる。相手が男だろうが女だろうが、ひとつの恋愛が終わったという事に変わりはないわけで、それが少女チックな終わり方をしたわけでも無ければドラマチックな終わり方をした訳でもない。コンビニの横の灰皿を挟んで、あっさりと一方的に別れを告げられた。あれよりもっと深い関係になりたいとは思わなかったけど、いざ突然言われてみるとキツいものがあった。世間から見れば特異な恋愛でも、俺にとってはとても、とても大事なものだった。どうせ終わるのなら、もっと諦めがつくように終わってほしかったと今になって思う。虚しい夜だった。
東の空はまだ明るくなってくれない。数えていた星の数も途中から分からなくなってしまった。しし座とうしかい座の間を、大きめの流星が煌めいた。願い事を三回唱えたらどうとか言う迷信を信じる間もなく流星は一瞬で消えてしまった。
銀河鉄道がもし本当に走っていたなら、その終点は一体どこなんだろう。宮沢賢治がもし生きていたら、教えてくれたんだろうか。イーハトーヴと呼ばれる理想郷があって、そこに終点があるのだろうか。注文の多い料理店の宣伝広告にある様な、そんな場所があるのだろうか。
そんな一生答えの出ない疑問が頭の中からうっすらと消えていく様に、少しずつ東の空を朝焼けが照らしていく。結局一睡も出来ないまま引越し当日になった。

「じゃあ、な。ありがとう」
「おう。じゃあな。元気で」

俺の荷物を運ぶ引越し屋のトラックが先に来て、積み上げられた箱を積み込み始める。俺達は、お互い一言だけ言葉を交わして、それからずっと最後まで無言だった。引越し屋のトラックが新宿に向けて出発した。俺は黙ったままアパートの鍵を航大に渡し、大きめのキャリーケースだけを持って長野駅へ向かった。
長野新幹線のホームには、ほとんど人がいなかった。列車到着のアナウンスが流れ、「あさま」がホームに到着する。開いた自由席の車両の扉から、ぬるい空気と真新しい車両の匂いが流れ出てきた。
車内のシートはまばらに埋まっていた。

「本日も長野新幹線をご利用くださいましてありがとうございます。この列車は、あさま東京行きです。自由席は一号車から四号車、全席禁煙です。なお、携帯電話はあらかじめマナーモードに設定していただき通話はご遠慮くださいますよう、お願い申し上げます。本列車は長野を出発し、各駅に停車致します……」

聞き慣れないアナウンスを聞き流しながら、俺は自由席の端の窓際に座った。猛スピードで後ろに流れていく景色に別れを告げて、今度こそ決意を固めた。少しだけ流れた涙が景色を滲ませた。俺はもう長野には戻らない。