♪side:翔一

四ツ谷から新宿までは十分とかからない。すしずめ状態の丸ノ内線で少しだけ憂鬱になる。細いピンヒールで足を踏まれた。気がする。少し痛かった。直哉に嘘をついた。多分、心も痛かった。本当は手袋は無くしてた。なんでそんな嘘をついたのか自分でも分からない。でも、なんとなく、そう言わなきゃいけない気がしてた。俺は、やっぱり器用じゃない。
たかだか八分、電車に揺られただけなのに一気に気分が悪くなった。ジメッとした空気、新宿駅の淀んだにおいと人の波に酔った。吐き気が襲ってきた。そのまま駅のトイレで吐いた。どうしてこんな気持ちにならなきゃならないんだ。
いつもの様に携帯をかざして改札を抜けようとした。交通系電子マネーの残高不足で足止めをくらった。なんだか今日はどこまでもついてない。呪われてるんじゃないかってくらいに悪いことが重なる。憂鬱が深くなる。
駅を出て、また寒さに震える。手袋をしていない手に容赦なく冷気が突き刺さる。ポケットに手を入れて歩く。人の波に飲まれそうになる。違う、俺が行きたいのはそっちだ。流そうとするんじゃねぇ。
家に帰るまでに通る歌舞伎町のネオンがいつもより綺麗に見えた。ピントが合ってないファインダーみたいにぼやけて見えたのは、涙のせいなんかじゃきっとない。ピンクだとか紫だとか黄色だとかいった色のネオンが光り輝いていた。ピンサロとかデリへルの看板のくせに、そんなオシャレぶってんじゃねぇよ。とか心の中では思っているのに、そんな明るく猥雑な風景が割と好きだと感じている自分に少し嫌気がさした。
家のドアを開けて、真っ暗な部屋に「ただいま」と一言だけ呟いてソファの上にカバンを放り投げる。緩めたネクタイを首にかけたまま、ベランダに出た。胸ポケットに入れたまま潰れてしまった四ミリのセブンスターに火をつけた。いつものタバコの、でも何か違うような、あの記憶の中のにおいも重なる。今度こそ涙がこぼれる。