♪side:翔一
誰かの唇の柔らかさなんてものにはほとんど触れてこなかった。女の人とのキスも経験が無いわけでは無いが、男の人とのそれはさすがに初めてだった。航大の煙草の匂いがいつもより近くに感じられて、背筋がぞわっとした。数日は剃られてない無精髭が、少し痛かった。
いつかそんな日が来れば。なんて、まるで叶わない理想みたいに思ってたはずの日が、こんなにいきなりやってくるとは思わなかった。お互いが不器用で、馬鹿みたいに下手くそなキスだったけど、女の人とのキスよりも遥かに美しかった気がした。美しいっていう言葉が似合うかどうかなんて、分かるはずも無いんだけど。
「航大、お前男とキスしたことある?」
「ある」
「あるんだ」
「今、お前と」
「それだけ?」
「それだけ」
またテーブルを挟んで二人、囁くような会話がゆっくり進んでいく。航大は頭の後ろで手を組んで、壁に寄りかかりながら天井を見上げて話している。俺は煙草とライターをカバンから取り出して、残っている何本かのうちの一本をくわえた。カチ、とライターのボタンを押す。オレンジの炎が燃え移って、煙草の先端に赤い光が灯る。紫煙が天井に向かってゆっくりと伸びていく。
「なぁ翔一、お前ライターってそれしか持ってなかったっけ?」
「あぁ、これ?コンビニとかで百円くらいで売ってるやつだけど。今これだけだよ」
「俺の使い古しのライターあるんだけど、使うか?」
「使い古しのライター?コンビニのやつか?」
「そんな安いもんわざわざ渡さねぇって。ジッポーライターだよ」
「映画とかでたまに見るあの銀のやつ?」
「それそれ。この前新しいの買ったから、前のやつだけどよかったら」
「もらってもいいならもらうけど」
「じゃ、これ」
航大は俺に向かってそれを放った。手におさまったそれは、ところどころの銀色の塗装が剥がれて傷だらけだった。映画とかでよく見るように、親指で蓋をカキン、と押し上げる。細いアルコールランプの芯みたいなものが黒く焦げていた。ヂリ、とフリントを回してみる。線香花火の様な火花が一瞬だけ散って、ライターの芯に燃え移る。コンビニのライターよりも、優しくて温かい火が揺れている。その火を少しだけ眺めて、蓋を閉じた。
「メンテナンスとかどうすんだよ?」
「今度教えてやる」
「オイルとかは今度近くのコンビニとかで買ってくるわ」
「コンビニまで行かなくても、そこのスーパーのレジ横とかにあったと思うぞ」
「あ、スーパーにも売ってんだ」
「ある所にはな。フリントの石とか替えのウィックも買っといた方がいいかも知れん」
「ウィックって?」
「あぁ、そうか。その黒焦げの芯のことウィックって言うんだけど、知らないよなぁ」
「覚えとく」
貰ったライターと百円のライターとセブンスターをカバンにしまった。咥えながら吹かしていた煙草を根元まで吸って、灰皿に押付けた。
二十歳になったその日に初めて吸った煙草もセブンスターだった。苦い煙が鼻を抜けて、思い切り咽せたのを今でもはっきり覚えている。あの時は、もう二度とこんなもんは吸わないと思ったはずだったのに。気づけば吸ってしまう。そのうち彼女でも出来たらやめようと思っていたはずだったのに、やめられない理由がたった一つのZIPPOライターっていうのが最高に皮肉に思えてしまった。笑えなかった。
誰かの唇の柔らかさなんてものにはほとんど触れてこなかった。女の人とのキスも経験が無いわけでは無いが、男の人とのそれはさすがに初めてだった。航大の煙草の匂いがいつもより近くに感じられて、背筋がぞわっとした。数日は剃られてない無精髭が、少し痛かった。
いつかそんな日が来れば。なんて、まるで叶わない理想みたいに思ってたはずの日が、こんなにいきなりやってくるとは思わなかった。お互いが不器用で、馬鹿みたいに下手くそなキスだったけど、女の人とのキスよりも遥かに美しかった気がした。美しいっていう言葉が似合うかどうかなんて、分かるはずも無いんだけど。
「航大、お前男とキスしたことある?」
「ある」
「あるんだ」
「今、お前と」
「それだけ?」
「それだけ」
またテーブルを挟んで二人、囁くような会話がゆっくり進んでいく。航大は頭の後ろで手を組んで、壁に寄りかかりながら天井を見上げて話している。俺は煙草とライターをカバンから取り出して、残っている何本かのうちの一本をくわえた。カチ、とライターのボタンを押す。オレンジの炎が燃え移って、煙草の先端に赤い光が灯る。紫煙が天井に向かってゆっくりと伸びていく。
「なぁ翔一、お前ライターってそれしか持ってなかったっけ?」
「あぁ、これ?コンビニとかで百円くらいで売ってるやつだけど。今これだけだよ」
「俺の使い古しのライターあるんだけど、使うか?」
「使い古しのライター?コンビニのやつか?」
「そんな安いもんわざわざ渡さねぇって。ジッポーライターだよ」
「映画とかでたまに見るあの銀のやつ?」
「それそれ。この前新しいの買ったから、前のやつだけどよかったら」
「もらってもいいならもらうけど」
「じゃ、これ」
航大は俺に向かってそれを放った。手におさまったそれは、ところどころの銀色の塗装が剥がれて傷だらけだった。映画とかでよく見るように、親指で蓋をカキン、と押し上げる。細いアルコールランプの芯みたいなものが黒く焦げていた。ヂリ、とフリントを回してみる。線香花火の様な火花が一瞬だけ散って、ライターの芯に燃え移る。コンビニのライターよりも、優しくて温かい火が揺れている。その火を少しだけ眺めて、蓋を閉じた。
「メンテナンスとかどうすんだよ?」
「今度教えてやる」
「オイルとかは今度近くのコンビニとかで買ってくるわ」
「コンビニまで行かなくても、そこのスーパーのレジ横とかにあったと思うぞ」
「あ、スーパーにも売ってんだ」
「ある所にはな。フリントの石とか替えのウィックも買っといた方がいいかも知れん」
「ウィックって?」
「あぁ、そうか。その黒焦げの芯のことウィックって言うんだけど、知らないよなぁ」
「覚えとく」
貰ったライターと百円のライターとセブンスターをカバンにしまった。咥えながら吹かしていた煙草を根元まで吸って、灰皿に押付けた。
二十歳になったその日に初めて吸った煙草もセブンスターだった。苦い煙が鼻を抜けて、思い切り咽せたのを今でもはっきり覚えている。あの時は、もう二度とこんなもんは吸わないと思ったはずだったのに。気づけば吸ってしまう。そのうち彼女でも出来たらやめようと思っていたはずだったのに、やめられない理由がたった一つのZIPPOライターっていうのが最高に皮肉に思えてしまった。笑えなかった。