♪side:翔一

テーブルの横に倒れ込んで寝落ちそうな航大を横目に、電子レンジで炒飯を温める。ブーン……と低い音をやかましく鳴らしながら、冷凍の米が解凍されていく。レンジの中で電磁波に晒されながら回転する皿を見つめながら煙草に火をつけた。寝起きでも煙草を吸えば、目がある程度は覚める身体になってしまった。しっかりと不健康体に向かって突き進んでいる自覚はある。ショートホープなんて、その辺のおっさんしか吸ってないようなタバコを吸い始めた理由はもうとうの昔に忘れた。だって、別に、記憶なんてそんなもんだと思うから。一番覚えていたい事と一番忘れたい事はずっと脳裏に焼き付いて離れないし、覚えていなきゃいけなかった予定とかは普通に忘れててすっぽかしたりする。人の脳ってのは、繊細そうに見えて実は少しいい加減なのかもしれない。
なんて、ひと袋に二人前で二百円かそこらの炒飯を温めながらくだらない事を考える。
チン、と電子レンジが小気味よい音を鳴らした。食器棚の中でコップに無造作に刺さっていたスプーンを取って、もそもそと食べ始めた。不味くはないけど特別美味くもない味だけど、不思議と飽きというものはやってこなかった。洗った食器を片付けて部屋に戻る。
ラジオからは、他愛もない世間話が流れていた。航大と話す気にもならず、俺も少し横になった。さっき貰ったCDを袋から取り出して眺めてみる。新品のシュリンクが軽く劣化して、少し埃っぽかった。裏に書いてある収録曲リストの十四番目に、航大の言っていた「ゴールデンスランバー」があった。本当はすぐにでも聴いてみたかったが、正直開けてしまうのがもったいない気がしてならなかった。
とか思いながらも、シュリンクの端を破ってあっさり開けてしまった。開けてしまえば、案外さっきみたいなもったいないという気持ちは無くなるもんなんだなと実感した。
取り出した歌詞カードをペラペラとめくって、目当てのページを開く。英語はかなり嫌いなので、書いてある歌詞の意味を理解する事は出来なかった。

「このゴールデンスランバーって曲の歌詞さ、どういう意味の曲なん?」
「夕方話したと思うんだけど、子守唄って感じだよ」
「いや、そういう大雑把なやつじゃなくて、もうちょい詳しい訳とか出来ないのか?」
「あぁ、そういうことか。すまん」
「よかったら教えてくれよ」

航大は、ゆっくりと「ゴールデンスランバー」の歌詞の日本語訳を話し始めた。

「昔、故郷へと続く道があった
昔、故郷へと続く道が……

おやすみ、愛しい人。
どうか泣かないで。
子守唄を歌ってあげるから。

黄金の微睡みが
君の瞳を満たしてゆく。
目が覚めた君は
きっと笑顔になれる。

昔、故郷へと続く道があった
昔、故郷へと続く道がそこに……

おやすみ、愛しい人。
どうか泣かないで。
子守唄を歌ってあげるから。」

ふぅ、と一息ついた航大は、「どう思う?」とでも聞きたそうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
思ったより人間くさい歌詞だと思った。もう少しファンタジーじみた曲なのかと思っていた。そんな事は無かった。

「割といい歌詞だな」
「そうだろ?二分にも満たないすげぇ短い曲だけど、このアルバムの中では一番好きだな」
「後で聴いてみる」
「後でかよ」
「なんかそんな気分じゃなくてな。それより今は歌詞カードとかじっくり見てみたい」
「なるほどね。まぁ、気が向いたら聴いてみてくれよ」

返事はせず、CDのパッケージデザインや歌詞カードをじっと眺めた。案の定「ゴールデンスランバー」以外の歌詞の意味はさっぱりだ。それでも、さっき雑誌で見た写真がジャケ写になっていて、なんとなく嬉しくなった。一ミリも詳しくないビートルズに少しだけ詳しくなったような、そんな錯覚に陥った。
二人の間に会話は無かった。航大は天井を、俺はビートルズを。交わることの無い視線がそれそれ違うものを見つめている。ずっと静かなまま、ドアの外に置かれている室外機の低い唸り声だけが小さく聞こえていた。
手に持っていたCDをそっとテーブルに置いて、目を閉じた。酷く暑くて、いつもより長かった一日がようやく終わろうとしていた。