♪side:航大

隣町のコンビニに歩いて行くだけでじっとりとした汗をかいた。熱気ですっかりぬるくなった酒が入った袋をぶら下げながらアパートに着く。部屋の扉の前にある電気だかガスのメーターに引っ掛けてある灰皿がいっぱいになっている事に気づいた。ショートホープとセブンスターのフィルターが剣山のように刺さっていた。
湿った空気がどんよりと肌にまとわりつく。隣の部屋の室外機が重い音を立てて動いているのを聞きながら部屋に戻る。
「ただいま」
「おかえり、遅かったな。寝落ちるかと思った」
「いや、誰かがハガキ書くの遅いだろうなと思って気を利かせたんだよ」
「あんな小さい紙に書くことに二時間も悩まねぇよ」
「理系のお前なら散々悩みそうな気がしてたんだよな」
「理系だから国語ができないみたいな偏見やめた方がいいと思うぞ」
「え?国語得意なのかよ?」
「いや、そんなことは無いけど」
「じゃあ正しい偏見じゃん」
「俺に対しての偏見ならな」
「それよりほら、酒とつまみ買ってきたぞ」
「おい待てって、そんな結露だらけの袋テーブルに置くなよ」
「あ、悪い」
「いやまぁ、いいけどさ」
「それよりさ」
「ん?」
「さっきのハガキ、なんて書いたんだよ」
「そのハガキの中身見ないために二時間も外出てたんじゃないのかよ」
「いや、だって気になるだろやっぱ」
「突然聞けば口滑らすとでも思ったのか?」
「もしかしたら口滑らしてくれるかなとは思った」
「なんでだよ」
「いや、でもさ、気になるじゃん」
「気にすんなよ、別にそんな面白いことも書いてないし」
結露で濡れた袋からビールを取りだし、飲みながら話した。明日、これから先もなんの役にも立たない様な話を肴に飲み続けた。
泥酔した。たかがビールでも六本も飲めば流石に酔い潰れそうになる。グラグラする視界で時計を見る。短針が四時半くらいを指していて、玄関の扉のポストにちょうど新聞が配達された。重い身体をのっそりと動かし、普段は読みもしないで積んでおく新聞を取りに行く。
八月十五日、土曜日。
「稜成中学校を襲撃、男を逮捕」
「法隆寺地下から書物発見」
少しも気にならなければ興味もそそられない新聞の見出しだけを見ては捲って、テレビ欄とその裏の四コマ漫画を見て閉じる。四つに折り畳んで積まれた新聞の束の上に放り投げる。
通り魔事件だとか、全日空六十一便ハイジャック事件が起こったりだとか、九十年代に入ってろくでもない事件が多発している。おまけにバブルも弾けて、それから一気に暗くなった国に生きてる俺達がここまで堕落したのも仕方ないことだと思う。と、全部を酒と社会のせいにして逃げるくだらない生活にも慣れてきた気がする。
酔い潰れて倒れ込んだ翔一の手がぶつかり、周波数のズレたノイズだらけのラジオが休むことなく喋り続けていた。このラジオに似たような音を、昔どこかのラブホテルで聞いた事がある気がする。誰を抱いた時だったか、今じゃもう思い出せない。その時抱いた女の子の顔も、温もりも、感触も何も思い出せない。でも、このザラついた音だけはしっかりと耳に残っている。あの夜も確か、オールナイトジャパンが流れていた気がする。
寝たのか寝てないのか、そんな記憶すらもない。テーブルを挟んで眠っている翔一の顔を見る。汗をかいたまま着替えもせず、身体に何もかけないで眠りに落ちている。
翔一の書いたハガキのネタは一体どんなものなんだろうかとずっと気になっている。こんなクズのような俺と似たような境遇にいる翔一にも、誰か想いを寄せる人がいるのだろうか。彼女がいるなんてことは聞いていないが、もしかしたらいるのかも知れない。
そこまで考えて気付いた。別に恋の悩みじゃないかも知れないのに、そう決めつけて勝手にモヤモヤしている自分に違和感を覚えた。何に対してモヤモヤしているのかも分からないのに。
慣れた酩酊の中、働かない頭でうだうだと考えても無駄だと思い、その場に倒れ込んだ。眠気は無かった。カタ、カタ、と細い音で時を刻む秒針が心做しかとてもうるさく感じる。それに混ざる翔一の寝息が、俺に生きていることを実感させる。煙草のヤニが染み付いて黄ばんだ天井の模様を見つめる。前の住人がつけた傷の数を数えながら、時計の短針が一周するのを待つ。