♪side:翔一
天井の隅の方が煙草のヤニで黄ばんだ八畳のアパートに二人、その日暮らしみたいな生活をしていた。大学で出会って意気投合した俺たちは、家賃を浮かせるために同じ部屋に住んでいた。
「さぁ今日も始まりました、オールナイトジャパン。金曜日ということで、皆さん夜更かしの準備はいかがでしょうか?本日の恋愛お悩み相談のコーナー。パーソナリティはもちろん私、村田敏弘と」
「角田祐美がお送りします……」
熱帯夜の中、世間はほとんどが眠っている。俺たちと、ラジオマニアと、タクシーの運転手と。あと他に誰がこんなものを聞いているだろう。航大は、聞く価値があるかどうかも分からない音声をずっとこの狭い部屋で垂れ流し続けている。
「なぁ航大。お前、こんなん聞いてて楽しいわけ?」
「どうなんだろうな。俺自身、よく分かってねぇかも」
「じゃあなんでまたこうも毎日毎日夜遅くまでずっと聞き続けるんだよ」
「まぁ、なんだろうな。趣味でハガキ職人やってるんだよ。馬鹿にされそうだったから言ってなかったけどさ」
「ハガキ職人?なんだそれ?」
「ラジオとか、雑誌とかにネタとか面白かった出来事とか書いて投稿するヤツらの事。よく番組のコーナーで採用されて読まれたりとか、リスナーの中でも有名になってる人とかの事かな」
「それ金になるん?」
「質問攻めかよ。別に、趣味の範囲からは出ないと思うけど。あ、でも上手いこと利用したりして稼いでるヤツはいるんじゃないかな」
「暇かよお前、講義終わって帰ってきてすぐなんかやってると思ったらそんなことしてたのかよ」
「おかしいだろ。でもな、なんだろうな。自分だけが分かるような訳のわかんねぇネタが読まれて滑ったりとか、適当に送ったどうでもいいようなネタハガキに限って読まれたりするのとか、わりと面白いんだよな」
「俺には理解できない世界だな」
「そうかもな。やってみるか?」
「理解できねぇって言ったばかりのはずなんだけどな」
「いやまぁ確かにそうだけど、どうせやる事も無いんだろ?」
「うっせぇな」
「最近面白かったこととか感動したこととか無いのか?」
「大学とバイト先と家の往復してる奴にそんな質問すんなよ」
「それだって立派なハガキのネタだぜ」
「そんなことあんの?クソつまらん事だぞ?」
「クソつまらん事でもさ、送ってみることに価値あると思うんだよね」
「もっともらしいことを言う」
「やってみろって、そこのテーブルの上のハガキ使ってみていいからさ」
「あぁ、わかったわかったやりゃいいんだろ」
とんでもなく面倒だ。少し埃の被ったハガキを手元に滑らせる。横にあったノック式ボールペンの芯を出す。表に教えてもらった宛先と自分たちの住所を書く。
「あと何書けばいいんだよ」
「裏にネタ」
「裏にネタ。そんな五文字でわかるかよ」
「ラジオ番組って短いのから長いのまで色んなコーナーあるんだけどさ、そのコーナーに合わせた題材のネタかな」
「最初からそう言えよ」
「お前頭いいから分かるかと思った」
「分かんねぇよ」
「さっきやってたコーナーのやつでいいんじゃない?村田敏弘の恋愛お悩み相談とか」
「適当に決めすぎかよ」
「恋愛の悩みとか無いの?」
「俺にそんなもんあると思ってんの?」
「いや、ごめん正直あるとは思えない」
「そこはお世辞でもいいからありそうだったからとか言えよ」
「無理だろ」
「辛辣かよ」
「あ、じゃあこの次のコーナーは?匿名でカミングアウトってやつ」
「匿名でカミングアウト?」
「なんだろ、自分の隠してることとか、人に言えないような秘密とかを匿名でカミングアウトしてしまいましょう。みたいな企画」
「やば。てかそれもし読まれたらお前にバレるだろ。今ペンネーム見せてんだからさ」
「別に大丈夫だろ。それに、多分読まれねぇって」
「読まれることに価値があるみたいなこと言ってた航大はどこに行ってしまったのか」
「まぁ、書いて送ってみろって。裏は書いてるところとか見ねぇからさ」
「あぁもう、わかったよ」
「そんなら俺ちょっと酒とタバコ買いに行ってくるから、その間に書いちまえよ」
「ゆっくり買い物してこいよ。なんなら隣町のコンビニとかで」
「そうするか」
笑いながら立ち上がった航大は財布だけを持ってゆっくりと玄関の扉を開けた。扉が閉まったあとで、俺はかなり悩んでいた。さっきは否定してしまったが実際のところ恋愛に関する悩みのようなものも心当たりがある。確かに、人には言えないような秘密もある。これをハガキに書き綴ったとして、どっちのコーナーに送ればいいのだろうか。
俺の恋愛対象が、もしかしたら男性なのかも知れないなんて。こんな悩みをラジオの電波なんかに乗せていいのだろうか。引かれたりしないだろうか。とても不安だった。不安だったが、どうせ匿名ならという思いがペンを走らせる決意をさせてくれた。
「俺は、きっと誰かを好きになるんだとしたら相手は男なんだと思う。別に、女の人に魅力を感じないわけじゃない。ただ、大学のミスコンでグランプリを取った女の子よりも眩しい存在が身近にいてしまうから、俺はきっと女の子を好きになることは出来ないんだと思う。俺が眩しいと思うそいつは、無精髭が生えてたりとか酒飲みだとか煙草吸ってたりとか、傍から見たらろくでもない男なんだろうけど。一緒にいると、ありのままの自分を受け入れてくれるような奴。認めたくはないけど、多分俺はそいつの事を男として好きなんだと思う。もしこのハガキが読まれたら、同性愛についてどう思うか聞かせてください」
我ながら、下手くそな日本語だと思う。国語が心の底から嫌いで、テストの点も悪かったからという理由で理系の三流大学に進んだ。こういう時だけ国語が出来ればいいのにとかくだらない事を思ってしまう。
書いたハガキをカバンの中のルベーグ積分の教科書に挟んで隠した。航大が帰ってきたのは、俺がハガキを書き終わってから一時間くらい後だった。
天井の隅の方が煙草のヤニで黄ばんだ八畳のアパートに二人、その日暮らしみたいな生活をしていた。大学で出会って意気投合した俺たちは、家賃を浮かせるために同じ部屋に住んでいた。
「さぁ今日も始まりました、オールナイトジャパン。金曜日ということで、皆さん夜更かしの準備はいかがでしょうか?本日の恋愛お悩み相談のコーナー。パーソナリティはもちろん私、村田敏弘と」
「角田祐美がお送りします……」
熱帯夜の中、世間はほとんどが眠っている。俺たちと、ラジオマニアと、タクシーの運転手と。あと他に誰がこんなものを聞いているだろう。航大は、聞く価値があるかどうかも分からない音声をずっとこの狭い部屋で垂れ流し続けている。
「なぁ航大。お前、こんなん聞いてて楽しいわけ?」
「どうなんだろうな。俺自身、よく分かってねぇかも」
「じゃあなんでまたこうも毎日毎日夜遅くまでずっと聞き続けるんだよ」
「まぁ、なんだろうな。趣味でハガキ職人やってるんだよ。馬鹿にされそうだったから言ってなかったけどさ」
「ハガキ職人?なんだそれ?」
「ラジオとか、雑誌とかにネタとか面白かった出来事とか書いて投稿するヤツらの事。よく番組のコーナーで採用されて読まれたりとか、リスナーの中でも有名になってる人とかの事かな」
「それ金になるん?」
「質問攻めかよ。別に、趣味の範囲からは出ないと思うけど。あ、でも上手いこと利用したりして稼いでるヤツはいるんじゃないかな」
「暇かよお前、講義終わって帰ってきてすぐなんかやってると思ったらそんなことしてたのかよ」
「おかしいだろ。でもな、なんだろうな。自分だけが分かるような訳のわかんねぇネタが読まれて滑ったりとか、適当に送ったどうでもいいようなネタハガキに限って読まれたりするのとか、わりと面白いんだよな」
「俺には理解できない世界だな」
「そうかもな。やってみるか?」
「理解できねぇって言ったばかりのはずなんだけどな」
「いやまぁ確かにそうだけど、どうせやる事も無いんだろ?」
「うっせぇな」
「最近面白かったこととか感動したこととか無いのか?」
「大学とバイト先と家の往復してる奴にそんな質問すんなよ」
「それだって立派なハガキのネタだぜ」
「そんなことあんの?クソつまらん事だぞ?」
「クソつまらん事でもさ、送ってみることに価値あると思うんだよね」
「もっともらしいことを言う」
「やってみろって、そこのテーブルの上のハガキ使ってみていいからさ」
「あぁ、わかったわかったやりゃいいんだろ」
とんでもなく面倒だ。少し埃の被ったハガキを手元に滑らせる。横にあったノック式ボールペンの芯を出す。表に教えてもらった宛先と自分たちの住所を書く。
「あと何書けばいいんだよ」
「裏にネタ」
「裏にネタ。そんな五文字でわかるかよ」
「ラジオ番組って短いのから長いのまで色んなコーナーあるんだけどさ、そのコーナーに合わせた題材のネタかな」
「最初からそう言えよ」
「お前頭いいから分かるかと思った」
「分かんねぇよ」
「さっきやってたコーナーのやつでいいんじゃない?村田敏弘の恋愛お悩み相談とか」
「適当に決めすぎかよ」
「恋愛の悩みとか無いの?」
「俺にそんなもんあると思ってんの?」
「いや、ごめん正直あるとは思えない」
「そこはお世辞でもいいからありそうだったからとか言えよ」
「無理だろ」
「辛辣かよ」
「あ、じゃあこの次のコーナーは?匿名でカミングアウトってやつ」
「匿名でカミングアウト?」
「なんだろ、自分の隠してることとか、人に言えないような秘密とかを匿名でカミングアウトしてしまいましょう。みたいな企画」
「やば。てかそれもし読まれたらお前にバレるだろ。今ペンネーム見せてんだからさ」
「別に大丈夫だろ。それに、多分読まれねぇって」
「読まれることに価値があるみたいなこと言ってた航大はどこに行ってしまったのか」
「まぁ、書いて送ってみろって。裏は書いてるところとか見ねぇからさ」
「あぁもう、わかったよ」
「そんなら俺ちょっと酒とタバコ買いに行ってくるから、その間に書いちまえよ」
「ゆっくり買い物してこいよ。なんなら隣町のコンビニとかで」
「そうするか」
笑いながら立ち上がった航大は財布だけを持ってゆっくりと玄関の扉を開けた。扉が閉まったあとで、俺はかなり悩んでいた。さっきは否定してしまったが実際のところ恋愛に関する悩みのようなものも心当たりがある。確かに、人には言えないような秘密もある。これをハガキに書き綴ったとして、どっちのコーナーに送ればいいのだろうか。
俺の恋愛対象が、もしかしたら男性なのかも知れないなんて。こんな悩みをラジオの電波なんかに乗せていいのだろうか。引かれたりしないだろうか。とても不安だった。不安だったが、どうせ匿名ならという思いがペンを走らせる決意をさせてくれた。
「俺は、きっと誰かを好きになるんだとしたら相手は男なんだと思う。別に、女の人に魅力を感じないわけじゃない。ただ、大学のミスコンでグランプリを取った女の子よりも眩しい存在が身近にいてしまうから、俺はきっと女の子を好きになることは出来ないんだと思う。俺が眩しいと思うそいつは、無精髭が生えてたりとか酒飲みだとか煙草吸ってたりとか、傍から見たらろくでもない男なんだろうけど。一緒にいると、ありのままの自分を受け入れてくれるような奴。認めたくはないけど、多分俺はそいつの事を男として好きなんだと思う。もしこのハガキが読まれたら、同性愛についてどう思うか聞かせてください」
我ながら、下手くそな日本語だと思う。国語が心の底から嫌いで、テストの点も悪かったからという理由で理系の三流大学に進んだ。こういう時だけ国語が出来ればいいのにとかくだらない事を思ってしまう。
書いたハガキをカバンの中のルベーグ積分の教科書に挟んで隠した。航大が帰ってきたのは、俺がハガキを書き終わってから一時間くらい後だった。