♪side:翔一

置かれたグラスの中で溶けかけの氷がカラン、と音を立てる。
直哉が隣の部屋に行って、一人になった途端に少し室内の気温が下がったような気がした。気のせいではなかった。雪が街頭に照らされながら、ちらついているのが見えた。なんとなく寒かったのは心だけじゃなかった。
「……帰ったら歯磨けって言ったのに」
自分の声しか反響しない部屋に寂しさを覚えた。雪の降る音ですら聞こえてきそうなこの静かな部屋に取り残された。直哉は隣の部屋にいるはずのに、とんでもなく遠くに行ってしまった気がして、不安になった。
何ヶ月かぶりに使われている寝室の扉を開けた。当たり前のように寝ている直哉がやっぱりそこにいた。人の気も知らないで、と言わずにまたこっそり扉を閉めようとした。部屋の隅に置いてある空の本棚の上で、光に照らされた銀色の何ががきらめいた。それに気づかなかったら多分、扉を閉めてしまっていた。
直哉を起こしてしまわないように、照明を消して、本棚の上の何かを手に取った。小さい、冷たい何か。それを持って寝室を出た。明るさに照らされた掌の上に乗っていたのは、ジッポーライターだった。だいぶ昔に瘡蓋になった古傷が痛む。カキン、と蓋を開けてみる。焦げて黒くなったウィックにはまだオイルが残っていた。フリントを回してみた。ヂリッと鈍い音を立てて、小さな火花がウィックを燃え上がらせた。オレンジ色の炎とかすかな揮発したオイルの匂いが古傷をつつくと同時に、懐かしさも運んできた。あいつが隣にいてくれた頃、これをずっとポケットに入れていた頃。
「お前のせいだ」
思ってもみないことが口をついて出た。ライターの蓋をカチャ、と閉じた。俺に傷を作ったのも瘡蓋にしたのもあいつだ。でも、俺はそれを航大のせいだとは思わない。そう決めて生きてきた。
長野の雪の匂いと、ショートホープの臭いを同時に灰皿に捨てた日からずっと、変わらないスピードでここまで生きて来た。それなのに、お前のせいだって一言が俺をまた、あのコンビニの灰皿の横に呼び戻した。今度は、ひとりだった。