♪side:直哉

東京の中でも空気の美味しいところはあると思う。それがどこかは知らないけど。
翔一と一緒にベランダに出て、ネクタイも緩めないまま電子タバコを取り出す。パープルメンソールのスティックを差し込んで加熱ボタンを押す。横で煙を吐いている翔一の手元に目がいく。部屋の鍵を開けて、ドアを開く時みたいな哀愁がさっきのまま手にまとわりついていた。でもそこに少しだけ色気みたいなものも絡みついているように見えた。
「あれ、タバコいつもと違わないか?フィルター茶色だったっけか」
「ちょっとな」
「あれだろ。昔を思い出して買って吸って、自己憐憫に浸ってるとか、そのへんが相場だろ?」
「分かんのかよ?」
「分かるよ。分かるって言っちゃうとあれだけど。分からん時もあるからさ」
「あぁ、なるほどな」
「今だから分かるってやつ?多分夕方までの俺なら分からんかったと思う」
「すっかり心ん中まで筒抜けなわけだ」
「今はな」
「はっ、そうかよ」
「そうだよ」
「……なぁ、ちょっとこれ吸ってみてくれないか」
「は?なんでだよ」
「いいから。短いヤツだし、一本だけ吸ってみてくれよ」
「確かタール十四ミリだろ、これ。きついぜ」
「やめとくか?」
「いや、やっぱりもらうわ」
翔一からもらったタバコをくわえて火をつける。一口吸い込む。電子タバコに変えてからはずっと味わっていなかった感覚が喉から肺の奥までを満たした。噎せた。涙目のまま煙を吐き出して、遠くを見る。黙ったままの翔一も遠くを見ている。短かった沈黙が破れる。
「お前と同じにおいがする」
「当たり前だろ、俺と同じタバコ吸ってんだからな」
「でもあれだな、ショートホープってやっぱり短いな」
「最初からシケモク吸ってるみたいな長さだろ」
「分かる。それにしても、普通の紙巻なんて何年ぶりに吸ったかな」
「俺が長野からこっち帰ってきて、中途採用で入社した時から電子タバコだもんな」
「よく覚えてんな」
「お前こそ。俺の吸ってる銘柄が違うなんて、よく気づいたな」
「伊達にいつも見てねぇからな」
「違いねぇ。お互い様だったな」
「先戻るぞ」
「あぁ」
翔一の返事を聞くと同時にベランダの扉を開けて部屋に戻る。髪や体表に染み付いた紙巻きたばこ独特の匂いが少しだけ心地よかった。