学校は午前九時ごろに始まって、午後三時ごろまで。途中に二回、長めの休憩がある。その二度ともで、持参したランチを食べていい。
ランチの内容は、簡単なサンドウィッチと丸ごとのリンゴやバナナ、ちょっとしたお菓子。わたしはポテトや野菜のチップスとか、クラッカーにチーズをディップして食べるパックとかを気に入ったから、わたしの甘いお菓子とほかの子のチップス系とで交換したりした。
日本を発つ前には、ホームステイの間に通うのは英語を教わる学校だ、と聞かされていた。実際のところ、確かに一応テキストブックがあって、先生であるマリーとクレアの説明を聞きながら穴埋め問題をやったこともある。
でも、中学生がメインのグループだから、高二のわたしと彼らの間には、どうしても習熟度に差があった。文法を教わるグラマーのテストの結果でいうと、わたしも竜也も高校生として申し分ないそうだ。
最初の三日間はお試しみたいな感じだった。イチロー先生とマリーとクレアで試行錯誤して、わたしたち十五人に何をやらせようかと作戦を立てていた。
その結果、普通の授業はほとんどなくなった。わたしたちは毎日のように、ホストファミリーの子どもたちと一緒に課外授業に出掛けることになった。もともと古戦場や動物園、古い教会、市役所、科学館を訪れる予定は組まれていた。それ以外の課外授業も増えたというわけ。
学校のまわりにある教会や、学校の友達と遊びに行くというショッピングセンター、ローラースケートやスケートボードができる運動公園、映画館とおしゃれなカフェ。
課外授業という名の、ただの街遊びだった。ただの、と言っても、ホストファミリーたちからの説明は全部英語だ。でも、中学一年生のメンバーでさえ、不思議なほどにちゃんと理解していた。
竜也がこんなふうに分析した。
「目の前に実物があるからわかるんだと思う。学校の教室で机に座って、CDでのヒアリングの問題だったら、こんなにちゃんとは英語が耳に入ってこない」
そのとおりだと思った。一つひとつの単語や文章がすべて理解できているわけでもないし、文法的にどうのこうのと解説なんてできない。それでも会話になる。わたしがどうにか意思を伝えたくて支離滅裂に単語を並べるだけでも、ケリーは先回りして理解してくれる。
「サファイア、あなたが言いたいのはこういうことでしょ」
テレパシーみたいなもの。人間同士の間には、そういう不思議なチカラがあるとしか思えなかった。英語を聞き取っているというよりも、英語という形を取った相手の意思を読み取っている。感じ取っている。そんなふうだった。
胃は少しも痛くなかった。ひどいはずの肩こりも感じなかった。毎日が楽しかった。充実していた。
わたしは、日本で通っている学校でははぐれ者だということを、誰にも悟られずにすんだ。それくらい自然に、わたしは笑ってしゃべって学校に通っていた。このひと夏だけの特別な学校に。
家の裏手には、近所の数軒の豪邸で共有する芝生の公園があった。大きな木々がほどよい木陰を芝生の上に落としていた。ふさふさの尻尾を持つリスがたくさんいた。
学校から帰ると、ケリーやブレットの体操や水泳の教室がない日は、はだしになって芝生の公園で遊んだ。まわりには白人の子どもしか住んでいなかったから、みんな、わたしや竜也に興味津々で、日本に関連する本を手に集まってきた。
日本のアニメがアメリカでも受け入れられていることを、わたしは知った。ただ、キャラクターの名前が日本のままとは限らないから、話が通じるまでにはちょっと時間がかかる。そうやって苦労すること自体が妙に楽しかった。まるで暗号の謎解きをするみたいだった。
忍者と刀と空手も大人気だった。特に空手は、どんな小さな町にも教室があるくらいアメリカ人の間で有名らしい。
日本の食べ物はヘルシーだというのも有名らしい。スシ、トーフ、ショーユ、ミソスープ、ラーメン。黒髪のアジア人を初めて間近に見たという子どもたちでさえ、代表的な日本の食べ物を知っていた。
チョップスティックスを使って食事をするのが、まるでマジックを見ているようだという子もいた。
「違うよ。マジックじゃなくて、忍術だ」
ブレットがそう言って、おどけてみせた。ブレットはシャイだけれど、頭の回転が速くてユーモアがある。
わたしが竜也としゃべるときは、さすがに日本語だ。でも、ケリーやブレットがそばにいるときは日本語を出さないように、というルールを決めた。だから、わたしと竜也の間にそれほど多くの会話はなかった。
毎朝、目が覚めるたびに、自分のものとは違うシーツの匂いに包まれている。メガネなしの視界にぼんやりと映る部屋は広くて、ブルーとピンクの花が咲く壁紙が優しい色ににじんでいる。
よかった、と安心するんだ。わたしは今日もまだ、こっちの世界にいる。
世界は一つしかないと、かたくなにそう考えていた。違ったんだ。
わたしが世界だと思っていたものは、学校という世界は、小さな小さな鳥かごに過ぎなかった。鳥かごには扉が付いていて、鍵は掛かっていなくて、出ようと決心すれば外に出られた。羽ばたきながら振り返ってみれば、鳥かごは本当に、とてもとても小さかった。
ランチの内容は、簡単なサンドウィッチと丸ごとのリンゴやバナナ、ちょっとしたお菓子。わたしはポテトや野菜のチップスとか、クラッカーにチーズをディップして食べるパックとかを気に入ったから、わたしの甘いお菓子とほかの子のチップス系とで交換したりした。
日本を発つ前には、ホームステイの間に通うのは英語を教わる学校だ、と聞かされていた。実際のところ、確かに一応テキストブックがあって、先生であるマリーとクレアの説明を聞きながら穴埋め問題をやったこともある。
でも、中学生がメインのグループだから、高二のわたしと彼らの間には、どうしても習熟度に差があった。文法を教わるグラマーのテストの結果でいうと、わたしも竜也も高校生として申し分ないそうだ。
最初の三日間はお試しみたいな感じだった。イチロー先生とマリーとクレアで試行錯誤して、わたしたち十五人に何をやらせようかと作戦を立てていた。
その結果、普通の授業はほとんどなくなった。わたしたちは毎日のように、ホストファミリーの子どもたちと一緒に課外授業に出掛けることになった。もともと古戦場や動物園、古い教会、市役所、科学館を訪れる予定は組まれていた。それ以外の課外授業も増えたというわけ。
学校のまわりにある教会や、学校の友達と遊びに行くというショッピングセンター、ローラースケートやスケートボードができる運動公園、映画館とおしゃれなカフェ。
課外授業という名の、ただの街遊びだった。ただの、と言っても、ホストファミリーたちからの説明は全部英語だ。でも、中学一年生のメンバーでさえ、不思議なほどにちゃんと理解していた。
竜也がこんなふうに分析した。
「目の前に実物があるからわかるんだと思う。学校の教室で机に座って、CDでのヒアリングの問題だったら、こんなにちゃんとは英語が耳に入ってこない」
そのとおりだと思った。一つひとつの単語や文章がすべて理解できているわけでもないし、文法的にどうのこうのと解説なんてできない。それでも会話になる。わたしがどうにか意思を伝えたくて支離滅裂に単語を並べるだけでも、ケリーは先回りして理解してくれる。
「サファイア、あなたが言いたいのはこういうことでしょ」
テレパシーみたいなもの。人間同士の間には、そういう不思議なチカラがあるとしか思えなかった。英語を聞き取っているというよりも、英語という形を取った相手の意思を読み取っている。感じ取っている。そんなふうだった。
胃は少しも痛くなかった。ひどいはずの肩こりも感じなかった。毎日が楽しかった。充実していた。
わたしは、日本で通っている学校でははぐれ者だということを、誰にも悟られずにすんだ。それくらい自然に、わたしは笑ってしゃべって学校に通っていた。このひと夏だけの特別な学校に。
家の裏手には、近所の数軒の豪邸で共有する芝生の公園があった。大きな木々がほどよい木陰を芝生の上に落としていた。ふさふさの尻尾を持つリスがたくさんいた。
学校から帰ると、ケリーやブレットの体操や水泳の教室がない日は、はだしになって芝生の公園で遊んだ。まわりには白人の子どもしか住んでいなかったから、みんな、わたしや竜也に興味津々で、日本に関連する本を手に集まってきた。
日本のアニメがアメリカでも受け入れられていることを、わたしは知った。ただ、キャラクターの名前が日本のままとは限らないから、話が通じるまでにはちょっと時間がかかる。そうやって苦労すること自体が妙に楽しかった。まるで暗号の謎解きをするみたいだった。
忍者と刀と空手も大人気だった。特に空手は、どんな小さな町にも教室があるくらいアメリカ人の間で有名らしい。
日本の食べ物はヘルシーだというのも有名らしい。スシ、トーフ、ショーユ、ミソスープ、ラーメン。黒髪のアジア人を初めて間近に見たという子どもたちでさえ、代表的な日本の食べ物を知っていた。
チョップスティックスを使って食事をするのが、まるでマジックを見ているようだという子もいた。
「違うよ。マジックじゃなくて、忍術だ」
ブレットがそう言って、おどけてみせた。ブレットはシャイだけれど、頭の回転が速くてユーモアがある。
わたしが竜也としゃべるときは、さすがに日本語だ。でも、ケリーやブレットがそばにいるときは日本語を出さないように、というルールを決めた。だから、わたしと竜也の間にそれほど多くの会話はなかった。
毎朝、目が覚めるたびに、自分のものとは違うシーツの匂いに包まれている。メガネなしの視界にぼんやりと映る部屋は広くて、ブルーとピンクの花が咲く壁紙が優しい色ににじんでいる。
よかった、と安心するんだ。わたしは今日もまだ、こっちの世界にいる。
世界は一つしかないと、かたくなにそう考えていた。違ったんだ。
わたしが世界だと思っていたものは、学校という世界は、小さな小さな鳥かごに過ぎなかった。鳥かごには扉が付いていて、鍵は掛かっていなくて、出ようと決心すれば外に出られた。羽ばたきながら振り返ってみれば、鳥かごは本当に、とてもとても小さかった。