演劇用の脚本を書くことが決まった文健のアイデア探しのため、胡桃たちは外に出ることにした。

「どうせ大したもんはできねえんだから、リラックスしろよ」

 難しい顔をして歩く文健の肩に、高士が腕を回して笑っている。美保は歩きながら忙しなく首を動かして、東京の風景にいちいち感動しているようだ。本人は言われたくないだろうけど、その田舎臭さがどこか可愛い。素直で、穢れてなくて、未来がある。正直、羨ましいと胡桃は思った。

 自分は大学に入ってから、真面目に勉強してきただろうか。化粧の腕を上げて、お洒落をして、良い男と付き合って、SNSに近況を報告して、どれだけ友人たちの中でランクを上げるか、それだけを考えている気がする。大学に入る前は何を思っていただろう? もっと違うことを考えていなかっただろうか。

 今の胡桃の夢は、良い会社に入ってお金持ちと結婚すること。別に悪いことじゃない。現実的なだけだ。だけど今、こんなに焦った気持ちになっているのはどうしてだろう――美保の無垢な若さに嫉妬しているからだろうか。それとも、実力は伴っていないものの自分の力で夢を叶えようとする文健から刺激を受けたからだろうか。

 今すぐに答えが出せないのなら、考えていても仕方がない。やるべきことの優先順位をつけるなら、まずは明日、運命の女神を満足させることが最優先だ。キャバクラに足を運ぶ男たち相手だったら、何を話して何をしてあげれば喜んでくれるのか大体わかるようにはなったけれど、女神様は勝手が違う。テンプレじゃない、予想外の面白さをご所望とのことだ。

 改めて目標達成が難しいことを思い知り、溜息が零れた。胡桃は自分には想像力が足りないと自己分析できている。自分がいいアイデアを思いつかないなら、これから文健が書く脚本を否定する権利はない。どうなるのか先が見えない経験をするのは久しぶりだなと思いながら歩いていると、「あの」と美保が手を上げた。

「文健さんが書かなきゃいけないのは小説って言うより、その、脚本ですよね? 誰か演劇や脚本に詳しい方っていらっしゃるんですか……?」

 美保の言葉に誰も手を挙げなかった。高士にいたっては「脚本ってなんだ?」と首を傾げている始末だし、文健は「詳しいわけないだろ」とまたふて腐れた顔をしている。美保が助けを求めて胡桃を見ているが、胡桃も演劇方面には明るくないため何も言えない。高士に話を振って逃げよう。

「……それより早く、何か文健のアイデアになるようなモノを探そうよ。ほら、高士。あんたがリーダーなんだから指示出して」

「あ? 俺がリーダーなのか?」

 みんなもそう思っていたのだろう、反論は起こらなかった。高士は嫌がることも辞退することもなく歩き続けていたが、バス停のベンチに人影を見つけると振り返った。

「まずはリーダーの俺があそこにいるばあちゃんたちに話しかけてくるから、ちょっと待ってろ」

「え? どうしておばあちゃんに?」

「バカ、ばあちゃんたちは物知りだし、会話が面白れえんだぞ? 俺のばあちゃんなんてな……いや、いいわ。ちょっと行って来る」

 高士はバスを待つおばあちゃん二人に気さくに声をかけ始めた。胡桃たちは少し離れたところで様子を見ていたが、特に何か特別なことをしているわけではなさそうだった。高士が何かを話して、おばあちゃんたちは笑っている。高士は人見知りしないと思っていたが、予想を裏切らない男だ。あれでもっと賢くて、お金を持っていたら好きになっていただろうなと考えてしまった胡桃は自嘲した。結局、自分は男をステータスでしか見ていない。この男となら恋愛できて、この男とはできないと勝手に品定めしてしまう。こんな考えを美保の近くですることは抵抗があった。

「……戻って来ませんね」

 美保が呟き、胡桃が時計を確認するとすでに十五分が経っていた。おばあちゃんたちはバスを見送ってまで高士と談笑している。これは止めに行かないと、いつまで経っても戻って来ないだろう。胡桃は溜息を吐きながら高士に近づいた。

「高士、もう時間だよ。早く行こ?」

 彼女っぽい振る舞いで高士の腕を掴むと、おばあちゃんたちは「あらー」なんて笑いながら、

「こうちゃんまたね。彼女さんと仲良くね」

 そう言って手を振ってくれた。おばあちゃんたちの微笑みに胸が温かくなる。一礼して歩き出すと、高士は「またなー!」と子どものように手を振っていた。

 高士を連れて文健と美保に合流すると、文健は待ちくたびれたのか不機嫌そうだった。

「随分遅かったな。何か参考になりそうな話は聞けたのか?」

「おう。ちっこい方のばあちゃんさ、正月に孫が遊びに来たときに肩叩き券を貰ったんだけどもったいなくて使えねえって言っててさあ。早く使わないとあの世に行っちまうぞ? って忠告してやったら、ひ孫を見るまで死なないってよ。明日シロヤマに会ったら、ばあちゃんたちの魂を持っていかねえように言っとかねえとな」

 対照的に高士はとても上機嫌で、文健の不機嫌なオーラを全く意に介さず饒舌に会話内容を報告していた。

「今の話はどう? 文健、脚本の参考になった?」

「……ひ孫の誕生を楽しみにするって話は、俺らが演じられる話じゃないだろう」

 なるほど同感だ。高士が楽しかっただけの徒労に終わった十五分だったということだ。再度胡桃が時計を見ると十八時半になっていた。冬至まで後数日。陽が落ちるのは早く、辺りはもう真っ暗だ。陽が落ちても何の成果も得られていない四人は、とりあえず公園に行ってみることにした。胡桃はあまり来る機会のない江戸川区だが、緑も公園も多くていい街だなと思った。

 少し歩いて広めの公園に辿り着くと、小学校四、五年生くらいの男の子たちが三人、外灯の下で夢中になって携帯ゲーム機を向け合っていた。

「こんな暗い中でゲームやっていたら、すごく目が悪くなりそうね。ね、今ってなんのゲームが人気あるの?」

 全くゲームをやらない胡桃は、マリオとカービィ、ポケモンくらいしか知らない。

「あたしもそれ程詳しくはないですが、あの子たちがやっているのは多分モンハンだと思います。狩りがどうとか言っていますし」

 モンハン。どんなゲームかはわからないが、言葉だけなら聞いたことがある。

「それって、流行ってるの?」

「流行っていますよ! 人気が高くてシリーズ化していますし、売れています」

 流行っていて売れているものは、人の注目を浴びやすいのではないだろうか。設定を丸ごと引用したら問題だろうけれど、少しアレンジして演劇としてやってみるなら、食いつく人たちは少なからずいるはずだ。人の足を止めることができるなら、題材にするのもアリだと思った。

「ね、文健。あの小学生たちにゲームの内容詳しく訊いてきなよ。参考になりそう」

「お、俺? 俺はこういうの苦手なんだよ、高士が行ってきてくれよ」

「俺が行ってもいいけどよー。もし決まったとしたら話を書くのはお前なんだから、お前が行った方がいいんじゃねえの?」

 文健は困ったように胡桃を見た。その視線を不快に感じた胡桃は冷たく言い放った。

「脚本家はあんたよ。逃げないで」

 文健はごにょごにょと濁していたが、美保の心配そうな瞳に大人のプライドが耐えられなかったのか、ついに小学生軍団の中に突進していった。ベンチから様子を見ていると、文健は不自然な笑顔、不自然な動きでまるで不審者のようだった。

 小学生たちは文健を訝しそうな視線で見つめた後、携帯電話を取り出した。文健が必死に何かを否定していると、彼らはゲーム機を持ったまま立ち上がり公園を出て行った。

 とぼとぼと胡桃たちの元に戻ってきた文健を、美保が心配そうな顔をして出迎えた。

「お、おかえりなさい! どうでしたか?」

「……通報されかけた」

 げらげらと笑う高士に「お前のせいだからな!」と文健は理不尽に怒っている。八つ当たりもいいところだなと、胡桃は溜息を吐いた。

「……あ、あの、胡桃さん、どうかしましたか?」

「……なんでもないわ。ねえ、小学生への取材も失敗しちゃう文健にも小説家になるって夢があるじゃない? 美保は将来やりたいこととか決まっているの?」

「えっと、実を言うとですね、大学に行きたい一番の理由は東京に出たいっていう不純な動機でして。でも、方向性は決まっています。在学中に短期留学をして、英語圏の国に行きたいと考えています。それから栄養士の資格を取って、病院に勤務したいんです。栄養士で英語も話せたら勤め先の幅が広がりそうですし! 担任の先生にいろいろと相談に乗ってもらっていますけど、もう少し頑張って勉強しなさいって言われます。あ、でも今はとにかく、東京のことで頭がいっぱいです! あはは!」

 夢を語る美保の姿が眩しくて、思わず目を背けてしまった。それに、美保の口から出た「先生」という単語が、かつて胡桃が過去に抱いたモノを思い出す起爆剤になり、精神が大いに揺さぶられた。

 胡桃は複雑な心境を決して顔に出さないよう、大人ぶって訊いてみた。

「そっか。だったら美保は、先生や学校は好き?」

 美保はにっこりと笑って答えた。

「田舎だということを差し引いて考えれば、ですけどね」