シロヤマと別れた四人は今後の作戦会議を行うべく、名前と年齢だけ軽く情報交換しながら電車を乗り継ぎ、文健の家に向かった。

「ね、お互いさ、きちんとお互いの自己紹介をしようよ。明日の夜には他人になっている関係だとしても、お互いの立場や性格をある程度把握することは、運命の女神の期待を裏切る案を閃くためには必要だと思うの」

 江戸川区にある文健の2DKのアパートに到着するやいなや、胡桃が提案した。暖房がまだ効いていない八畳間に、エアコンの空気を送り出す音がやけに響いて聞こえた。

「……じゃあ、とりあえずわたしから。わたしは相葉胡桃。二十歳で愛知県出身。普段は大学生なんだけど、キャバでバイトしてるんだ。シロヤマとはそこで会ったの。趣味はショッピングと旅行かな。家で映画見るのも好きだけど」

(キャ、キャバって、あのキャバクラのことだべか? うわあ、やっぱ都会の綺麗な人はすげえなあ~……)

 美保は胡桃を見ながら憧れに似た気持ちを抱いた。美保にとって、東京に住んでいる綺麗な人というだけで尊敬に値する。美保が夢見る将来像に近い存在が近くにいるのだ。人生の先輩と話す機会があっただけでも、東京に来た意味があったというものだ。

「キャバ嬢か。お前、店で人気あったの?」

 高士が直球の質問を投げていた。

「まあね。週二のわりには稼いでいる方かも」

「へー。じゃあ今度指名するから割引してよ」

「お金のない指名客は時間の無駄」

「んだよ、サービス精神の足りない嬢だな。なあ文健、俺ビール飲みてえんだけど」

「少しは遠慮しろよ……大体、なんで許可もしてないのに俺んちで話し合いなんだよ!」

「……ちょっとあんたたちさあ、ちゃんとわたしの自己紹介聞いてた? キャバ嬢ってとこしか聞いてなかったでしょ?」

(っていうか、なんか流れで、と、都会の一人暮らしの男の部屋に入っちまってるだ! おら、危ねえんでねえのか!? おらみてえな田舎娘なんて、ぱっぱと食われて異国に売られちまうんでねえのか!?)

 一人内心パニックを起こしている美保の心境など露知らず、文句を言いながらも冷蔵庫からビールを取り出した文健に「サンキュ」と言って、高士は喉を鳴らして美味しそうに飲んでいた。

「あー、美味え! んじゃ、次は俺な。俺は境高士。今年二十二歳だけど、定職には就いてねえな。単発のバイトをやりながら麻雀とかパチンコしてる」

「……それって、稼げるのか?」

「稼げるときは、一日で一ヶ月は余裕で生活できるくらいには。ダメなときは一日で一ヶ月生活できないくらいに負けるけどな。ま、文健みたいな真面目そうな奴は、趣味で遊ぶくらいにしといた方がいいぞ」

(こ、この人……とんでもねえワルだべ! やっぱり売られる!?)

 美保が硬直している中で、高士は文健にもビールを勧めた。

「まあ飲めよ、お前のだけど」

「俺の方が年上なんだよ。なんでお前はそんなに偉そうに話すんだ」

 文健は文句を言いながらも姿勢を正し、胡桃と美保を見ながら咳払いをした。

「えー……と。俺は、芳野文健。二十四歳で、えー……会社員だ」

 言葉の続かない文健に、胡桃がやや冷ややかな笑顔を浮かべた。

「……え? それだけ?」

「……どうせ俺は、つまんない奴だよ」

 中身のない文健の自己紹介を聞きながらぼうっとしていると、三人の視線が自分に集まっていることに気がついた。次は美保が自己紹介をする番のようだ。文健のことを特徴ないなと思いつつも、人のことを言えないくらい地味な美保は急に緊張してきた。

「あ、あたしは椎名美保です。こ、高校二年生です! たまたま東京に来ている青森の人間なので、方言や鈍りで言葉が伝わりにくいこともあると思いますが、こ、これがら一日半、どうぞよろしくお願いします!」

 いつもより高くなった声を恥ずかしく思った。頭を下げると高士が「おおー」と感嘆の声をあげた。

「やっべ、リアルJKだ。ガッコ楽しい?」

「は、はい!」

「俺さー、わかんないことがあるんだけど。なんで美保ちゃんはシロヤマに馬鹿の括りにされてんだろな? 賢そうなのに」

 自惚れにはなるが、それは美保も不思議に思っていた。進学校に通っているし、志望している大学だって偏差値は高い。生活態度も悪くないはずだし、田舎で普通に生活して来ただけなのにシロヤマは美保を馬鹿呼ばわりしていた。腑に落ちない点は多々ある。

 だけど「期待されて嬉しかった」と言った高士の言葉に、心の底から同感した気持ちに嘘偽りはなかった。

「まあ、自分で気がついていないだけかもしれないし。それを考えるのも良い機会なんじゃない? なかなかないよ? 死神と運命の女神が目を掛けてくれるって」

 この冷静で落ち着いている胡桃も、堅実にサラリーマンをしている文健もきっと、馬鹿呼ばわりされたことに納得はしていないのだろうと思った。東京の大人にもわからないことはあるのだなと、一つ賢くなった気になりながら美保は愛想笑いで返した。


「ところで文健。『出版の話をする約束』って、なんだったの?」

 たわいのない話で親睦を深めている最中のことだった。ふいに思い出したかのように胡桃が訊いた瞬間、文健は見て取れるくらいに動揺していた。

(な、なんだ? あんなに目が泳ぐ人、初めて見たっぺ)

「お、俺の勘違いだったんだから、気にするなよ」

「そうなの? じゃあさ、あんたがわたしに会うときに持っていた鞄の中には何が入っていたの? わたしの予想だと、漫画か小説だと思うんだけど」

「ば、馬鹿言うな。そんなわけ……」

「見せてよ、見てみたい。ね、高士も美保もそう思うでしょ?」

 急に話を振られた美保だったが、興味はあったため素直に頷いた。

「隠し事はやめようぜー? それに、俺たちはどうせ明後日には他人だ。見られたって別に恥ずかしくないだろ?」

 高士は見た目通り力づくでねじ伏せるタイプのようだ。文健が抵抗しても高士は平然とした顔で文健を左手で抑えつつ、右手で文健の鞄を胡桃に投げた。胡桃は「失礼しまーす」と告げてから鞄を開けた。

「あ、小説だったか。読んでいい?」

「くそ……もう好きにしろよ!」

 諦めたのか、文健はふて腐れるように部屋を出ていった。少し気の毒に思ったが、彼が書いた小説を読んでみたいという好奇心が罪悪感より勝ってしまった美保は何も言えなかった。先に原稿の一枚目を読んだ胡桃が美保に渡し、美保が読んだら高士に渡す。そうして文健の書いた小説を順々に読んでいった。

 一枚目を読んだ。日本語がわかりにくかった。

 二枚目を読んだ。主人公とヒロインが誰なのかはわかったけれど、二人の会話に寒気がした。

 三枚目を読んだ。あまりのご都合主義に思わず笑ってしまった。

 …………。

 十五枚目を読んだ。もういいかな、と思った。

 高士はもうとっくに飽きてしまったようで、五枚目を過ぎた辺りからは読まずにゲームをしていた。胡桃はまだ読んでいたが、

「……面白いですか?」

 と美保が訊くと、わざとらしい作り笑顔をしながら答えた。

「多分ね、美保と同じ感想だよ」



 しばらくして戻って来た文健は、ふて腐れた顔をしつつも感想が欲しそうだった。

(うわ、面倒くさい人だべ……!)

 面白いとは思えなかった小説の感想を素直に口にすることは憚られたし、だからと言ってお世辞を延べて賞賛するのも気が引ける。文健と目を合わせないようにしていると、

「お前の小説さー、超つまんねえな!」

 あっけらかんと高士が言った。美保と胡桃がおそるおそる文健の表情を窺うと、彼は顔を真っ赤にしていた。

「な……わ、わかってるよ! でも、ほ、本を読まなそうなお前に言われたくはない!」

「本を読まない俺みたいな奴にも面白いって思わせるのが、面白い小説なんじゃねえの?」

 高士の歯に衣着せぬ感想に、美保は感動すら覚えた。

(こ、高士さん、おらが言えねえことを……すごい!)

 しかし感動したのも一瞬、高士は文健の小説をけなしながらも驚くべき提案をしてきた。

「なあ、明日はお前が作った小説を俺たちで演劇するっていうのはどうだ? 運命の女神が『あ~ん! こんなの初めて~!』なんて思うような面白いやつ、書いてくれよ」

「……はあ!? お、俺が!? なんでだよ! 無理に決まってるだろ!? だ、第一お前、俺の小説、つまらないって言ったじゃないか!」

「おう、俺はつまんねえって思ったよ。でもよ、お前は面白いと思って書いた自信作なんだろ? 自信が持てるっていうのは才能だと思うぜ。だから大丈夫だ」

 唖然とする文健を放置して、高士は胡桃と美保の方を見た。

「な? お前らもいいと思うだろ?」

「あんたはまたそうやって……。あのね、ゴリ押しすればなんでも通るって思っていたら痛い目みるわよ? 作者が面白いと思っていても売れない小説なんて、世の中には腐るほどあると思う。……だけど、出会って一日の他人同士が、オリジナルの劇を演じたのにもかかわらず成功させるって、確かに予想外かもしれない。時間もないし他に代替案も浮かばないし、いいんじゃない?」

 憧れの胡桃がそう言うならいいかと思った美保も、首を縦に振った。

「決まりだな。……しっかしさあ、フツメンで取り得もなくて男としての魅力が全然ない主人公が、美女にモテまくるってのはおかしくね? これ、お前の理想なの? 自己投影ってやつ? 痛いねー!」

「ち、違う! 読者のことを考えてこういうキャラ設定にしたんだ! こういう話には需要があるんだよ!」

 文健の顔が真っ赤になっているのを見て、悲しいことに高士の憶測が的中していることを美保は確信してしまった。

「それに話もさあ、ありきたりなんだよな。普段本を読まない俺にすら展開が読めるんだぜ? もう少し考えて話作れよ」

「だったらお前ならどうするんだよ! 書けもしないくせに、偉そうなこと言わないでくれよ!」

 激昂している文健に対して、高士はふむ、と腕を組んた。

「……そうだな。俺なら主人公を超スーパーエリート人にするね。そいつはあまりに頭が良いから、世界中の問題をささっと解決すんだよ。有名人で金もあってマッチョだから女にもモテモテで、とっかえひっかえ遊んでいるうちに、一度だけ関係を持った宇宙人に見初められて、宇宙規模の結婚式を挙げんの。そんで産まれてくる子どももスーパーマンにすれば、続編も簡単だろ?」

「お前の考えた話の方がありえないだろ! 小説をなめるな!」

 得意気な高士を指差して文健は怒鳴った。美保は文健を見ていて彼のことが心配になってきた。知り合ったばかりの人間に怒ったり叫んだりして、ストレスと血圧が急上昇しているはずだ。落ち着かせなければと思い、意を決して高士に意見することを決めた。

「ちょっと、高士さん言い過ぎです! 文健さんの小説はあたしには思いつかない話ですし、すごいなあって思いますよ!」

「……じゃあ、美保ならどんな話を作るんだよ?」

 唇を尖らせながら窺ってきた文健の面倒くささに、イラっとしたのは内緒だ。

「フォローしてあげたんだから、そこで満足しておいてくださいよ!」と届かない声を上げながら、美保は懸命に頭の中で話を急造する。

「え、えーと……。あ、地味で目立たない主人公が、ひょんなことから学校でも有名な超イケメンの秘密を知ってしまって、だんだん……」

「俺の小説の主人公とヒロインが逆になっただけじゃないか!」

 文健の悲しき突っ込みに、高士が声を出して笑った。

「美保ちゃん、面白れえなー。なあ文健、ヒロインにはなりにくそうな胡桃みたいな女をお前の小説に出してみたらどうだ?」

「……難しいな。基本的に読者人気を出すためには、ヒロインは清楚で美人、萌え要素がないと厳しいんだが……まあ状況によってはありかな」

「状況って?」

「例えば、家族のために仕方なくキャバ嬢をやっているけど実は全然男経験がないとか、大学では眼鏡で三つ編みの地味なイジメられっ子とかさ」

「おー、なるほど! ギャップにそそるってわけか!」

 盛り上がりを見せている男二人に、胡桃が心底軽蔑した眼差しを向けていた。

「……あんたたちさあ、キモ過ぎ」

「そ、そんなつもりじゃない」と必死になって否定する文健と笑う高士を見て、タイプは違うけれどこの二人はなかなかいいコンビになりそうだなと思った。

「あー、キモ。……でもさ、なんとかなる気がしてきたわ。大体、年代バラバラで普段は違う生活している人間が一箇所に集められて何かするって、この現実自体がしょぼい小説みたいな話じゃん? だから文健、背負うことはないわよ。何やったって現実よりは上手くいく気がするもの」

 胡桃の言葉を聞いた文健が目を逸らしつつも少しだけ赤くなったのを、美保はしっかりと見てしまったのだった。