冷静な表情を取り繕ってはいるものの、普段は滅多なことでは物怖じしない胡桃ですら困惑していた。

 女子高生に「助けて下さい」と言われて連れてこられた路地裏で、平然とした顔で銃を持っている女子中学生と、今にも銃殺されそうな金髪男がいただけでも驚きなのに、なんだろうこの展開は。

「おい!? お前、喋れるのかよルーシー!」

 ルーシーと呼ばれた銃を持った女子中学生は、金髪男を完全に無視して違う方向を向いていた。同じ方向に視線を移した胡桃が見たのは、

「すまんな。今日お前たちをここに集めたのは、私の都合だ」

 黒目の大きな瞳に、体温が感じられない程に白い肌を持つ、黒髪のショートボブがよく似合う十代にしか見えない容姿の少女だった。ルーシーは偉そうな口調の少女の姿を確認すると、丁寧な礼をした後でふっと姿を消した。

 脳味噌の整理が追いつかず唖然とする胡桃を置いて、金髪男が一歩前に出て少女に問いかけた。

「お前、誰だ?」

「私は死神だ。名前は持たないが、便宜上この世界ではシロヤマと名乗っている」

 ――シロヤマ。キャバクラにやってきたあの男と同じ姓だ。胡桃が二人の共通点を探そうと思考回路を働かせ始めた頃、眼鏡男と女子高生は目を丸くし、悲鳴にも似た声を上げていた。今の話を二人は素直に信じたようだが、死神という単語は胡桃にとって非現実的過ぎて、胡散臭く思えてならなかった。

 胡桃と同様、金髪男も平然としていた。やっぱり、いい大人がこんな嘘を信じて怖がる訳ないわよね、と眼鏡男に軽い軽蔑の気持ちを抱きつつ胡桃は溜息を吐いた。

「驚かないのか、お前たちは」

 シロヤマと名乗った少女は、胡桃と金髪男を見て興味深そうに訊いた。

「だって死神とか有り得ないし。子どもじゃないんだから、信じるわけないわよ。ねえ、普通はそう思うわよね?」

 胡桃は同意を得るために金髪男に話を振った。

「え、死神って存在するだろ? 公務員みてえな仕事だって、ダチが言ってたし」

 金髪男があっけらかんと答えた瞬間、その場の空気が変わった。予想外の回答に硬直してしまった胡桃の代わりに、おどおどしていた眼鏡男が勢いよく突っ込みを入れた。

「ちょ、どう考えても公務員っておかしいだろ! そんなの嘘に決まってるわ!」

「は? マジかよ!? 俺、中学生の従妹に得意気に教えちゃったけど!?」

「だ、大丈夫ですよ! 従妹さんはきっと冗談だと思って、乗ってあげただけだと思います!」

 金髪男のフォローをした女子高生は、癖のある黒髪をサイドに纏め、膝丈のプリーツスカートから細い脚を覗かせていた。素朴で愛嬌のある顔をしているのに、不慣れであろう化粧が可愛らしさを殺していて勿体ないと思った。初めて話しかけられたときも思ったが、彼女はイントネーションがどこかおかしい。おそらく田舎からたまたま東京に遊びに来た子なのだろうと予想した。

「私にはお前たちが何を騒いでいるのか理解出来ないが、高士が言ったことは当たっている。死神の仕事は正社員の形態をとっていて、年功序列の終身雇用だ。安定した職業だから、特に日本の死人たちから人気がある職業の一つということに間違いはない」

「マジで? 俺就職したいんだけど! 採用してくれ!」

「死んでから出直して来い。採用率は六千万分の一の超狭き門だがな」

 シロヤマに一刀両断で不採用通知を出された金髪男を見て、少し笑ってしまった。

「……それで、死神さんがわたしたちに何の用なの?」

 緩んでしまった口元を隠すように、あくまで冷静な声色で胡桃は訊いた。

「胡桃の質問はもっともだ。しかし私はお前たちに直接用があるわけではなく、ある女との五十年前の約束を果たそうとしただけだ。悪いが、お前たちのことは利用させて貰ったぞ」

「ど、どういうことですか?」

 眼鏡男が動揺していた。

「文健、神の名前をどれくらい言える? ギリシャ神話に出てくる有名な神ですら、正確に全員言うことは出来ないだろう? 世界には色々な神がいて、お前たちが知っている神なんてほんの一部に過ぎない。まあ数が多いといっても、私たち神と呼ばれる種族が住んでいるのは神の国《プラマリア・センタ》に限られるから、近所だったり職場が同じだったりする神同士には交友がある。世話になった神にはお歳暮を贈ったりもするぞ」

「お、お歳暮……」

 あまりに神のイメージとはかけ離れた単語に、思わずオウム返しをしてしまった。

「それでな、私は人間の運命を扱う神《運命の女神》とは、どうも馬が合わなくて仲が悪いんだ。いや、神として彼女は先輩にあたるのだが、私が新卒のときからやけに突っかかってくるんだよ。そんなある日、酒を飲んでいた私たちは少々口論になった。私が『運命というのは必然なのだから、お前の力は関係ない』と言ったら、『じゃあ、私が予想も出来ない運命が存在するのかどうか証明してみてよ』なんて言われてな。売り言葉に買い言葉で、つい」

 あまりの胡散臭さに誰も口を開けずにいる間にも、シロヤマは話を続けていった。

「私は、運命の女神に予想外だと言わせる何かを起こしたかった。一泡吹かせてやりたかったのだ。それで、考えた。神というのは皆例外なく天才だから、反対に馬鹿を何人か集めたならば、そいつらは神には予想も出来ない何かをしてくれるんじゃないかってね。だから私は、馬鹿な人間を集めようとした。お前らみたいなタイプの違う馬鹿が同じ時代に揃うまで、五十年待ったのだ。お前たちを同時間に一箇所に集めるために、努力したんだぞ? 青年実業家を装いキャバクラに行ったり、ネットで痛いハンドルネームを名乗って痛いことを言ってみたり、対応の悪いコールセンターに電話をかけたりね」

 やはり、キャバクラに来たシロヤマと目の前の死神は同一人物だった。眼鏡男も女子高生も腑に落ちた顔をしていたが、何故か金髪男だけが首を傾げて頭を掻いていた。

「そしてやっと訪れた、お前たちが集まる今日という日。目的地までの道が直線では運命の女神の予想範囲内になってしまうかもしれないと懸念して、なるべく遠回りに動かし、意味のない行動もさせた。そんな手間をかけてまで馬鹿な人間を四人も集めたのだから、『運命』という因果の螺旋から外れた、予定調和外の面白い何かが起こるかと期待したのだが……まあ、なかなか上手くいかないものだな。結局、面白いことが起きることはなかった。運命の女神の力を認めざるを得ない結果となってしまった。……おい、今もどうせどこかで見て、嘲笑しているのだろう?」

 誰に問いかけたのかわかりにくいシロヤマの言葉に胡桃が首を傾げたそのとき、何の前触れもなく雪が降り出した。天気予報士も真っ青の見事な予報外れ、新宿に降る今年初の雪に、人々は空を見上げて湧き上がっているに違いない。

 ――この雪を他の三人はどう思っているのだろう。少なくとも胡桃は『運命の女神』の存在を肌で感じたことに、寒さのせいではない鳥肌を立てていた。

「正直、この結果は残念でならない。予想を誤った私が悪いのだが、お前たちに期待していた分落胆も大きいのだ。私はこの辺で撤退することにする。ああ、安心しろ。私は鬼じゃない、死神だ。その時期ではない人間の命を無闇に奪うことはしない。私が消えたら、私の存在も話した内容もすべて忘れているから杞憂もいらないぞ。じゃあな」

 別れの挨拶にもなっていない簡潔な説明だけして、シロヤマは消えようとした。あまりにも一方的な態度に「ちょっと」と胡桃が手を伸ばすより先に、その腕を掴んで引き止めた男がいた。

「あのさー、勝手に期待して勝手に失望されちゃ、たまったもんじゃねえんだよ」

 金髪男に細い腕を乱暴に掴まれたシロヤマは、不快そうに眉を顰めた。

「俺たちが馬鹿だから集めた? 俺はこいつらのことは何も知らねえけど、俺は自分が馬鹿だってことは言われなくても知ってんだよ。素行も良くなかった俺は、昔から周りの大人には『ろくな大人にはならない』って諦められてた。……だからよ。どんな形であれ、お前に少しでも期待されたことが、その……単純に嬉しかったんだわ」

 シロヤマは金髪男に腕を掴まれたまま、無機質な瞳で彼を見ていた。

 胡桃は「わたしは馬鹿じゃないわよ」と反論したい気持ちもあったが、声にならないのはきっと自分自身のどこかで、彼の言葉を認めているからだった。眼鏡男も女子高生も胡桃の気持ちと同様だったのかもしれない。はらはらと舞う粉雪が世界を囲い込む中、誰も口を開かなかった。

「……それで? それが私の腕を掴む理由になるのか? さっきは無闇に命を奪わないと言ったが、これでも神だ。理由があれば、今すぐにお前を殺すことだって出来るのだぞ」

「お前は俺たちを利用したんだろ? いいじゃん、上等! 期待に答えてやる。俺たちがお前の役に立ってやるよ! なあ? お前らも面白そうだと思うだろ?」

 金髪男は振り向いて胡桃を含む三人の顔を見渡した。こういう馬鹿っぽくて軽そうな男は、慎重で安全思考の男が多い胡桃の周りにはいないタイプだった。

「ちょ、ちょっと待て! か、勝手に話を進めてどういうつもりだ! そういうことは俺たちの意思を聞いてからだろ!」

 眼鏡男の反発も当然だと思った。おそらくこの中で一番年上のサラリーマンにとって、勢いで話しているようにしか見えない金髪男には腹が立つに違いない。どちらかと言えば胡桃も眼鏡男の考えに賛同だった。シロヤマに期待されたことは嬉しかったが、達成出来なかったときのリスクや具体的な案が浮かばない限り、安請け合いするべきではない。

 あんたには悪いけど、と言いかけたそのとき、

「あたしは、高士さんの話に乗ります!」

 意外なところから金髪男の味方が増えた。女子高生が頬を紅くしながら、手を挙げたのだ。

「いいじゃないですか、やりましょう! 運命がすでに決められていて、それに従っていく人生なんて受験生としては否定したいですし! ここで何かを変えられたら、今後の人生、色々なことが頑張れると思うんです!」

 田舎臭い少女が訛りながらも懸命に言葉を紡ぐ姿に、何故か心が揺さぶられた。かつては自分も持っていたはずの、真っ直ぐな純粋さを突きつけられた気がしたからだろうか。言葉に出来ない想いはやがて胸いっぱいに広がり、胡桃の喉を突き抜けようとせんばかりに、堪えきれない感情に変わった。

 ここでやらなければ、元には戻れない。勘としか言えない直感が胡桃を突き動かした。それは胡桃にとっては珍しい衝動的な行動で、何か見えないものに急かされたかのようだった。

「……やっぱ、わたしもその話に乗らせて貰うわ」

 胡桃の言葉に、眼鏡男は目を丸くした。

「何か奇跡を起こしてやろうと計算して行動したとき、結果として起こった出来事は奇跡ではなく、運命と呼ぶのではないか?」
「違うわ。人が誰かのために動きたいと思うことは本能だから、運命じゃない」

 シロヤマを否定した言葉が自分の口から出たものとは思えず、恥ずかしさが体中を駆け巡った。だが、不思議と悪い気分にはならなかった。

「んで? お前はどうすんの? 乗るのか? 乗らないのか?」

 眼鏡男に向かって金髪男が訊いていたが、胡桃にはもう眼鏡男の答えはわかっていた。周りに流されやすそうで、マイノリティが苦手であろうこの男なら、

「……なんだよもう。やればいいんだろう、やれば! わかったよ、やるよ! 成功は約束出来ないけど、出来ることはやるよ!」

 賛同するに決まっているのだ。金髪男はニヤリと笑った。

「シロヤマ、三日だ。三日後には、お前も運命の女神も目玉がひっくり返るような何かを見せてやるよ」

 人差し指をシロヤマに向けて堂々と宣言した金髪男に対して、女子高生が申し訳なさそうに手を挙げた。

「あ、あの……あたし、明日の夜には新幹線に乗って、青森に帰らなきゃいけないんですけど……」

 五秒の沈黙の後、金髪男は咳払いをした。

「……シロヤマ、明日だ。明日の夕方までには、お前も運命の女神も目玉がひっくり返るような何かを見せてやるよ」

 宣言のやり直しに、シロヤマは呆れたように笑っていた。

「決まらない男だな。わかった、明日だな。明日私と運命の女神は、お前たちの様子をどこかで見ている。わかっているとは思うが……二度も失望させるなよ?」

「おう、楽しみにしてろ。よし、行くぞお前ら」

 歩き出した金髪男につられ、胡桃たちはその場を後にした。

 ふと振り返ってみると、シロヤマの姿はもうそこになかった。